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2012年11月27日 橘玲
作家・橘玲×増原義剛対談
貸金業改正は失敗だった!
ポピュリズムに毒された政治の敗北
「多重債務者救済」「弱者救済」を旗印に、改正貸金業法が完全施行され、2 年が経過した今、約500万人の健全な利用者の多くが行き場を失っているという。当時、法律立法に携わった元自民党・金融調査会小委員会委員長の増原義剛氏は、著書『「弱者」はなぜ救われないのか―貸金業法改正に見る政治の失敗』の中で、法改正の経緯を振り返り、日本の政治がいかにポピュリズムに翻弄されているかを明かしている。そんな増原氏と、自らのブログでも本書を紹介し、日本の政治が抱える問題点を指摘している金融作家の橘 玲氏が、貸金業法改正を振り返り、そこから見える日本の政治を論じた。
(左)ますはら よしたけ・1969年東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)入省。東海財務局長を経て退官。2000年衆議院議員に初当選(2009年までに3回当選)。以後、自由民主党においては税制調査会幹事、財務金融部会長代理、金融調査会小委員会委員長等、政府においては総務大臣政務官、内閣府副大臣の要職を務める。2006年には、自民党政務調査会・金融調査会「貸金業制度等に関する小委員会」の委員長として、改正貸金業法の立法に携わった。現在は広島経済大学教授。今秋に『「弱者」はなぜ救われないのか』(金融財政事情研究会)を刊行。 (右)たちばな あきら・1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。 撮影/湯浅立志
善意の金利規制が、
結果的に多重債務者を
増やしてしまった
橘 2006年に成立した改正貸金業法は、経済学的側面からも、常識的に考えても理不尽で、なぜこのような法律が通ってしまったのかと、当初から疑問に感じていましたが、増原さんの著書を読んで、そうした疑問が解消されました。
当時、与党自民党の金融調査会小委員会の委員長を務めたお立場から、そもそも問題の本質はどこにあったとお考えですか。
増原 われわれが検討に至った前提となるポイントは3点あります。まず、一つは、議員立法で段階的に下げていった出資法の上限金利ですが、29・2%とした2003年の規定には「施行3年後に見直す」という条項が含まれていて、ちょうどその3年目に差し掛かっていたということがあります。
ですから、その流れを受けるなら、上限金利は25〜26%といったあたりに落ち着かせ、業者への行為規制の強化、見直しを図るといった検討にとどまってもおかしくはありませんでした。ところが、その4〜5年前から、多重債務に関する深刻な事件がマスコミを賑わすようになり、社会問題化してきた。この「多重債務問題」をどう解決していくか、これが立法府に課せられた二つ目の大きな条件となったわけです。
ただ、実はそれらの事件の大半はヤミ金が引き起こしたものでしたから、ヤミ金の問題であれば、警察が取り締まりを強化すれば対処できたはずです。ところが恐喝まがいの取り立てで問題となったヤミ金と正規業者が同一視され、貸金業者=悪”のイメージが浸透し、貸金業者への風当たりが強まり、とくに消費者金融への規制強化が声高に主張されるようになったのです。
ところで、この多重債務問題ですが、実はこれまで政府が上限金利を下げてきたこととも微妙に因果関係があるといえます。どういうことかというと、金利が下がれば、従来と同様の収益を維持しようという企業論理が働き、貸し出す量が増えていく。結局、善意の金利規制が、多くの多重債務者を生む結果を招いてしまったといえます。
法的安定性を脅かした
異常な最高裁判決
さらに三つ目のポイントが、2006年1月の「みなし弁済規定」の適用を厳格に解釈した「最高裁判決」です。この判決によって、これまで貸金業者に適用された「みなし弁済規定」は事実上無効となり、今の過剰な利息返還請求を引き起こすことになりました。
それにしても、あらゆる契約に認められている期限の利益喪失条項”を契約の強制として任意性を認めず、事実上、立法の趣旨を根底から否定することになった判決は、あまりにも乱暴な解釈です。司法のあるべき姿を忘れているのではないでしょうか。
最近、友人の弁護士とも「最近の司法はちょっとおかしいよね」と話したばかりですが、あのような理屈付けで最高裁が現行法を無効にしたことは、法的安定性をも脅かす異常なことです。本来なら総合的に見ても「民法90条の公序良俗違反だから無効である」で十分なことで、そうしたケースメソッドを重ねていくという知恵も出せたはずです。それであれば、これほどまでに「利息返還請求」が過熱することにはならなかったのではないかと思います。
ちゃぶ台をひっくり返された貸金業者は被害者
橘 そのグレーゾーン金利の問題について伺いたいのですが、企業は法律の範囲内で、利益の最大化を図るために個々に経営努力をしています。そうした企業に対し、何が合法で何が違法か、正当な競争の範囲を明示するのが本来の政治の役割だと思いますが、グレーゾーンに関してはそれが明確に示されておらず、業者も手探りでやっていた。ところがある時突然、これまでのやり方は全部違法だとちゃぶ台をひっくり返され、大半の業者が潰れてしまった。
常識的に考えれば、これは消費者金融が被害者”で政治が加害者”といえるのではないかと思います。そもそも二つの上限金利を放置したことで、政治は健全な市場を育成するために最低限必要なインフラ整備に失敗したのではないでしょうか。
増原 確かに二つの上限金利があるのはおかしいと思えるかもしれません。ただ、一方は有効無効の民事の話、一方は刑罰の刑事の話で、違法性の基準が全く異なるわけですから、二つあったとしても決しておかしいことではありません。しかし問題は、それをつなぐところが何とも曖昧だったことです。本来、金利とは、経済原則的にリスクとリターンで決まってくるもの。つまり、信用情報が一元管理されて機能していれば、金利をいくらにするかは市場が決めればいい。民法の原則は公序良俗に反しない限り契約自由?なのですから。
ポピュリズムに乗った
選挙に弱い議員とマスコミ
橘 そういう認識を議員間ではどの程度共有できていたのでしょうか。
増原 あまり共有できていませんでした。どうしても政治家は選挙を意識して、世論に左右されるところがあります。よほど選挙に強い方は別として、特に小選挙区制度になってからはそういう傾向が強まりました。
橘 本にも書かれていますが、それはマスコミの問題も大きいということですね。経済学的には今おっしゃったことは常識ですが、この件では極めて非常識な議論がいわゆる「正義」として通ってしまった。感情的な議論の誤りを正していくのが、本来のマスコミあるいは政治家の役割のはずです。それが機能しなかったことにも問題があったように思いますが。
増原 そうですね。あえて申し上げると、マスメディアの中でも、論説や社説では、今、橘さんからご指摘があったようなことは述べられていました。ところが、社会面に載ると全く違った論調になっていた。
橘 「勧善懲悪」ということですね。
「結局、善意の金利規制が、多くの多重債務者を生む結果を招いてしまった」 撮影/湯浅立志
増原 そう、白か黒か。とくに当時のマスコミの報道には一種異常な空気が漂っていました。よくマスメディアは第四の権力と言われ、自分たちがつくった土俵から一歩でも踏み出す人は、こてんぱんに叩くという習性があります。それを前提に考えるならば、政治家にとってはそこを踏み出すことは大変なリスクを負うことになるのです。
橘 選挙で落ちたら、何もかも失ってしまいますからね。
増原 ただの人、プラス借金ですから(笑)。きちんと主張できる議員は選挙に強い方です。
橘 逆に、ポピュリズムに乗って、ヤミ金と消費者金融の区別もせずにひたすら叩いていた人たちというのは、選挙に弱い人と考えていいですか。
増原 一部例外はありますが、ほとんどそうだと思います。当時、たとえば地元に帰って、「先生、貸金業法の改正をどうお考えですか」と聞かれたときに、「いや、あれはおかしいんだよね」と堂々と答えることのできた議員は少なかったといえるでしょう。
長者を生んだ市場の歪み
橘 90年代になって日本経済が下降線をたどる中、消費者金融だけが圧倒的な収益を上げ、創業者が次々と長者番付に名を連ねていました。それに対する嫉妬から消費者金融叩きが始まったという人もいます。しかしそうなった理由の一つが、先ほどおっしゃったように、政治が上限金利を下げたからだということはほとんど理解されていません。
強制的に金利を下げれば、競争力のないところは淘汰され、安い調達金利で大量に貸せるところだけが生き残って寡占化が進むのは当たり前です。リスクとリターンで金利が決まるという正常な市場であれば、ニッチな業者も出てきて、あれほどまでの寡占状態にはならなかったのではないか。冷静になればそういう議論ができたはずですが、当時はどういう雰囲気だったのでしょうか。
増原 確かに「いかに創業者利益といっても、10年余りも長者番付の10位以内に消費者金融の創業者が名を連ねていられる状況は行き過ぎだ」という声はありました。ただ、金利の引下げで「儲からないので廃業する」ということは理解していましたが、「レバレッジを活かせる大手に有利」という意見はなかったと思います。
橘 そういう状況が起きるのは市場が歪んでいるからであって、歪んでいる市場を元に戻せば大手消費者金融の独占も減っていくはずだと考えるのが普通の理解だと思いますが、そのようには論じられなかったんですか。
増原 ええ。さらにもう一つの問題が無人化”です。そこそこ大きくなった業者が、新しいビジネスモデルとして自動契約機を導入し、さらに大きくなっていった。それはそれでいいことです。しかし、どんどん上限金利が下がっていく状況下では、いわゆる街金融と言われる中小業者にはこのビジネスモデルを真似する余力などない。
橘 だから中小業者は市場から退場するしかなくなるわけですね。
クレジット情報一元化の
整備は必須
橘 金利は借りる人のリスクで決まりますから、貸手は、その人のリスクが分からないと適正な金利がつけられません。日本の場合、クレジット情報の利用者が非常に限定されていて、これも一種の市場の歪みといえます。クレジット情報が一元化され、必要な事業者が広く利用ができるようになれば、市場は正常に機能すると思いますが、そういう問題意識はなかったのでしょうか。
増原 当然われわれにもありました。当時、登録されていた貸金業者は1万5000社ほどありましたが、その中で全情連といわれる情報センターに登録していた貸金業者は、わずか約2300社。一方で、クレジットカード会社は、キャッシングにおいては全情連に、クレジットにおいては業界独自の情報センターに登録していて、非常に非効率的な状況でした。法改正でそれらを一元化して業者の登録を義務付けし、現在進捗しているところだと思います。
そもそも、今回のクレジット情報統合では除外されている住宅ローンも含め、ホワイトもブラックも合わせてすべてを一元的にカバーした総括的なクレジット情報を構築し、それを基に与信を行うことができれば、利息制限法なんていらないはずです。
橘 本の中では借地借家法のことにも触れられていましたが、アメリカの場合は、家主は、家賃支払い情報以外にクレジットの延滞情報にもアクセスできるため、ブラック情報のある人には、契約を断るなり、高い敷金を取るなり、何らかのリスクヘッジができます。しかし、日本の場合には借主のプライバシーが過剰に保護されているため、家主のリスクが極めて高くなっている。そのため市場に優良な賃貸物件が出回らなかったり、賃料が高止まりするなど、逆に弱者が安い家賃で優良物件を借りることを困難にしている。そういう問題も全部つながっているように思います。
臨時の資金需要に応えていた
事業者金融
橘 法改正の副作用として、事業者の資金需要に応えられなくなったと指摘されていますが、私は事業者向け融資にも大きな制度の歪みがあると考えています。私が個人の会社を登記している自治体では、信用保証協会の保証を条件に、1000万円まで実質年利0・37%で融資が受けられる制度があります。このように行政、自治体の補助政策を利用すると、かなりの金額まで超低金利でのファイナンスが可能になりますが、その一方で、事業者金融から29%の金利で借りる事業主もいる。
つまり事業者の極端な二極化が進んでいて、金利補助を受けてほぼゼロ金利で資金調達できる事業者たちは業績が良好と評価され、信用金庫などからもっと借りてほしいと営業されます。ところが信用保証協会が使えなくなったようなハイリスクグループの事業者を、まともな金融機関はどこも相手にしません。
増原 おっしゃる通りです。
橘 つまりこれは、国家が過剰に中小企業を保護することで金利構造を歪めてしまい、経営の厳しい事業者を逆に市場から排除していく構造を生むことになるのではないですか。
増原 そうだと思います。ですから、銀行の中小企業向け融資に対する信用保証協会の100%保証”、これもちょっと待ちなさいということです。リーマン・ショックの時期くらいまで、一時、海外の好況を受けて日本も景気的に立ち直った時期がありました。その当時われわれは「信用保証協会が100%の保証を行うのはおかしい。銀行はノンリスクではないか。それでは銀行がモラルハザードを起こすことになる」と散々議論し、それぞれ9割、8割、7割といったランク別の保証を決め、銀行にもリスクを課しました。ところが今また100%に戻ったわけで、これでは再びモラルハザードを引き起こすことになるといえます。
さらに、ヒアリングをしてみると、事業者金融には、「2週間後に入金があるから、それまでの2週間、1000万円貸してほしい」と、つなぎ資金として、今融資を受けたいという需要が結構ある。結局、信用保証協会の保証をいっぱいに使っているから追加融資が受けられないとか、取引銀行に持ち込んでも、手続きと審査に時間がかかり過ぎ、間に合わない。そういう事業者の緊急的な資金需要に応えていたのが事業者金融だったのです。
そうした零細事業主の資金繰り事情をよく知っている先輩議員からは、「増原君、世の中は必ずしも杓子定規にいくものではない。だからいざという時の需要に応えるノンバンクもないと困るんだよ」とよく説教を受けましたよ。
ポピュリズムが生じた背景
―金貸しは悪?の社会通念
橘 少し本質的な話になりますが、今回のようなポピュリズム”が生じた背景には、金貸しは悪”という、ベニスの商人以来の社会通念があって、そこに乗っかって声を上げる人たちがいたという問題があると思います。本来、人間が完全に合理的であれば、ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンの原則に則って、自分にとって最適なものを選び、あとは自己責任でやればいい話です。
しかし、特に多重債務問題の場合、現実にはなかなかそう割り切れない側面がある。債務者が一種の中毒症状、つまり、自分の努力では抜けられない状況から借金まみれになってしまうと、その原因は金を貸した側にあるとして、金貸しをドラッグビジネスと同じと見なす偏見がこの業界には付きまとっています。このことについては、どういう認識でおられたのですか。
増原 確かに小委員会では「貸す方も問題だが、借りる方にも問題がある」という議論も出ました。ギャンブル等の依存症が原因で多重債務に陥るような借手の問題は、カウンセリングが必要になる。まさにメンタルな部分からフォローしないと常習性は消えず、根本的な解決が図れません。法テラスがいいのか、消費生活センターがいいのか、あるいは地方自治体の窓口がいいのかは検討の余地がありますが、「これはビジネスライクに」「これはセーフティーネットで」と解決策を入口で仕切る役割を担う窓口が必要でしょう。それがないと処方箋を間違えることになります。
日本人は民度が低いと
世界に公言した「総量規制」
橘 そういう様々な議論を経て、結局「総量規制」という世界に類を見ない極めて特殊な政策に行き着くわけですね。しかし、たとえばイギリスには上限金利はありません。だとしたら総量規制とは、「イギリス人は上限金利すら規制しなくてもちゃんとやっていけるのに、日本人は民度が低く自分で金の管理などできないのだから総量規制を行わなければならない」と日本政府が世界に向けて公言している、極めて自虐的な政策だということになります。
増原 あるいは「国民総バクチ常習犯」とか言っているようなものです。
そもそも日本には日本独自のコモンローがありました。明治以降になって、利息制限法や借地借家法といった個別具体的な実体法を制定させていったのですが、問題は、戦時下のようなある種異常時につくられた法律が、異常時でなくなってからもそのまま普遍化して残っていることです。本来日本でも、先ほどおっしゃったイギリス的なボンド(債券)の世界はありましたが、それを非常時になくし、そのままになっているのです。再度原点に返るべきです。
橘 ええ、自虐史観に怒る人は大勢いるのに、こんなヒドい自虐政策に誰も文句を言わないというのはおかしなことですね。先進国のどこも採用していない政策を採用することは、かなりリスクを負うことになりますが、金融庁は、こんなことをやっている国はどこにもないということを知っていたのですか。
増原 それは知っていました。ただ、最初は議員立法でしたから、慣例として行政はその改正にタッチしない。ところが、議論していくうちに、規制法のままでやっていたのではらちが明かないから、自主規制を利かせ、業務改善命令を下せる業法にするしかないと、途中でそちらの方向に舵を切り変えたわけです。ですから彼らも、最初は総量規制が法律として通るとは、そもそも想定していなかったと思います。
橘 総量規制への副作用を懸念する常識的な議論がどうしてなされなかったのでしょうか。
増原 多重債務者をこれ以上出さない、その理念は確かに間違ってはいない。しかしながら、ポピュリズムに引きずられ、多重債務者がどうして生まれるのかというところまで掘り下げた議論ができなかったことに問題があり、政策を誤ってしまった。
橘 安易な理想論に引きずられると市場を壊してしまうという典型例ですね。
増原 おっしゃる通りです。ただ、タイミングの問題はありました。あの時は臨時国会での法案提出を目指し、とにかく年内に結論を出そうということで取り組んでいましたから、さらにもう1年熟思、慎重審議をすることが許されない状況でした。
橘 そのような状況では、ポピュリズムの風が1回吹いてしまうと、もうそれに対して立ち向かうのは難しいということですね。
増原 それはまったく不可能です。
弁護士の質を下げた
「利息返還請求」
橘 総量規制等の法改正の副作用と並行して、「利息返還請求」が頻発し、これも市場を大きく縮小させる要因となりました。
増原 これほどまでの影響は想定してなかったと思います。最初にも言いましたように、多重債務問題を何とか解決する必要があったことは確かです。しかし、過去の物については、これまでの法律で処置するしかなく、いわば判例に従ってやるしかない。立法府としては遡及適用はできませんから、将来に向けて新たな多重債務者を生まないようにするしかありませんでした。
しかし、完済者までもが請求を行っている過熱ぶりを見るにつけ、もし遡りができるなら、完済者については、貸金業規制法第43条でいうところのみなし弁済で「任意性、書面性を満たしているものとみなす」という1行ぐらい入れておきたかったと思いますね。完済している人は多重債務者でも何でもないのですから。
橘 理屈が通らないですよね。
増原 通りませんよ。あそこまで弁護士や司法書士の方々が掘り起こしを始めたことには驚きました。
橘 利息返還請求で弁護士バブルが起きて、大儲けした弁護士が豪邸を建て高級車を乗り回したり、さらには過払い専門の弁護士が脱税で国税庁から摘発を受ける事件も相次いでいます。こうした状況では、司法制度の信用は失墜するばかりです。
データ検証をせずに
決定された政策
橘 政策をつくる時は、当然データに基づいた検証作業が行なわれるものだと思っていました。貸金業法にしても、諸外国が採用している金融制度はいわば巨大な社会実験ですから、それらを検証すればそれぞれの制度の良し悪しを比較ができ、日本の現状に合致する最適な政策を決めることができたはずです。しかしお書きになった本を読む限りそうではなかった。感情的な議論の中で、ほとんど一方的に決まっていったことに愕然としたわけですが…。
増原 おっしゃる通りです。党内には「やはりこれは政治主導でやるのだ」という意識がありました。一方で、規制法ですから、役所には業種業界と手を携えてやらなければならないという認識はありませんでした。もちろん検察庁も積極的に取り組んではいなかった。違法業者を検挙してもポイントが上がるわけではありませんから。その意味で、エアポケットだったのだと思います。そうした状況の中で、当時のマスコミの社会正義的な雰囲気に、政治家が大きく振り回されてしまった、ということだと思います。
とにかく、当時は正論が通らないあまりにも異常な雰囲気であったため、完全施行までの3年で、熱を冷ましてから再度検討をしたいと考えていました。その間に施行の影響に関するデータを蓄積し、それを検証して、利息制限法の金額区分や金利も含めた見直しを行うつもりでした。それで「見直し条項」を入れたのですが、「既存の債務者の5割が総量規制に抵触する」というデータが出てきた時には、われわれはもうバッジをつけていませんでした(笑)。
政治に求められている
「持続可能性」
橘 政治主導”が言われるようになった背景には、高度経済成長期のような官僚主導型の国家運営システムに、皆が閉塞感を感じ始めるようになったという現状がありました。だから大蔵省にいた増原さんも官僚を見切って政治家になられたのではないかと思います。ところがその政治主導も機能しないとなると、いったいどうすればいいのでしょうか。
増原 おっしゃるように、官僚当時、どうして政治は早く財政健全化に舵を切らないのか。政治はなぜ決断しないのか、という歯がゆさを常に抱いていました。行政官として、A案がベストだと思うのに、政治が選択するのはいつもC案だったというような状況が続きまして、これはやはり政治でないと世の中を変えることはできないと考えたわけです。
高度経済成長期までは、とにかく先進国に追いつき追い越せという国家目標に向けて、最も効率的に日本の官僚機構は動いていました。しかし、いざキャッチアップしてみると、先例がない”という理由で次に進めることができない。
政治も今、同様の負のスパイラルに陥っているといえます。今政治に必要なのは「持続可能性」を探りながら問題解決を図ることです。これは多重債務者の問題も然りです。また、国が多重債務の状況では恒常的にやっていけるはずがありませんから。
日本は、世界に類を見ない最速度で少子高齢化社会に突入したため、政策の前例がどこにもないという理由で政治が迷走状態に陥り、持続可能性”に向けた解決策を打ち出すことができずにいます。これが大きな問題だといえます。
橘 大蔵省、財務省の中では、そういう問題をいつ頃から自覚し、議論していたのでしょうか。
増原 私が大蔵省に入省したのは昭和44 年ですが、その時の大蔵省事務次官が村上孝太郎さんで、大蔵大臣が福田赳夫さんでした。この村上さんは「このまま行くと日本は必ず高齢化社会を迎え、社会福祉関係で財政が硬直化するから、歳出を削るなり、増税するなりして、早め早めに手を打たなくてはいけない」と財政硬直化を懸念する発言を当時からしておられました。
橘 60年代から気づいていて、半世紀たってもこの体たらくでは、今さら何をやっても無駄という気もしますが。
増原 今の野田政権で、8〜10%の消費税増税案を通しましたが、実はこれではまだまだ財政の健全化は図れません。国・地方の借財が少なくともGDPの2倍はあるのですから。これはギリシャの財務状況よりも悪い数字です。従ってうまくやって20%、下手したら25%の増税が必要です。ただ、日本の場合には経常収支が黒字なのでまだもっていますが、最近、貿易収支が赤字化し始めていますので、このままではかつてのイギリスやアメリカと同様に、国際収支の発展段階説に陥り、救いようがなくなってしまいます。
結局は国に頼らず
自助自立するしかない
橘 官僚から政治家に転身されても、そうした財政健全化を実現するのは難しいというのが実感ですか。
増原 この状況を、自民党の中だけではなく、民主党の中でもやはり心配している議員は大勢います。しかし要はリーダーシップのある指導者が出てこないと解決は図れないのです。と同時にそれに同調する国会議員の過半数を占める集団が存在しないと実行は難しい。
最初に消費税導入を通した時、時代は竹下登さんが総理大臣でしたが、当時、党内の9割以上は消費税導入に反対でした。ところが、竹下さんは「いや、竹下さんに口説かれたら、もう従うしかない」と各派閥の首領に言わせしめるほどの、実に温厚ですが強烈な政治家としてのリーダーシップを発揮した。だから政治が動いたのです。ところが今は、そういうリーダーシップを発揮できる政治家は本当に少ない。
そうなると、結局はどういう状況に陥ろうとも、国に頼らず個人あるいは企業が自助自立していくしかないのです。景気対策も国には頼らない。これが先ほど言った「持続可能性」の本質です。このことは意外と先ほどの話に通じるかもしれません。「おまえたち、上限金利規制や総量規制をしてもらわないと一人立ちできないのか」という部分とね。
橘 増原さんのような大蔵省から自民党の中枢にいらしたキャリアを持つ方が、「もうこれからは国に頼っても仕方がない、自分一人の力で生きていくしかない」とおっしゃる。これは年来の私の持論でもあるのですが、それを増原さんの口から聞かせていただいたということが、一種衝撃的な本日の議論の結論なのではないでしょうか。
クレジットエイジ 2012年11月12月号に掲載
(構成/川島直子 撮影/湯浅立志)
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