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極右政党、国民戦線にみるアクロバット的教義
エリック・デュパン
(ジャーナリスト)
訳:石木隆治
http://www.diplo.jp/articles12/1204marinelepen.html
2012年の3月半ば、アル=カイダを名乗るひとりの若者がトゥールーズとモントバンでの無差別殺人の犯行を表明した。事件の影響で、極右政党、国民戦線がおはことするテーマに再び注目が集まった。彼らに言わせると、解決すべきは移民問題やイスラムの問題なのである。一方、今回の大統領選挙に出馬していた国民戦線党首マリーヌ・ルペン女史は、事件の前からキャンペーンを展開し、少なくとも国民戦線にとっては新しい社会理解を打ち出していた。女史が選挙期間中に刊行した新著の大胆な内容を報告する。[フランス語版、日本語版編集部]
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「自由主義神学にとっては聖霊とは、神の見えざる手のことだ。この神の見えざる手によって、ばらばらで利己的な大衆から始まっても、最後には科学にかない、さらに進んで自然の摂理にまでもかなう集団的幸福の構築へと向かうのである」。三位一体の教義ばかりか伝統的右派をも冒涜するようなこの言葉は、国民戦線党首であるマリーヌ・ルペン氏の新著からの引用である(注1)。大統領選のまっただ中に出版されたこの本でのルペン候補の言い回しは驚くべきものがある。彼女はその中で、「超自由主義」を激しく批判している。これは「グローバル化され、ボーダレス化した支配階級のイデオロギーにすぎない」と喝破し、この「新たな貴族階級」をできるだけ早く葬り去らねばならない、としている。そして体制内左右両派は「超自由主義的資本主義から生じたグローバル化イデオロギーを共有しており、一握りの特権勢力の利益を生むだけだ」と述べている。
ルペン女史は臆することなく、自らの発言の裏付けのため数々の著述家の言葉を引用するが、はっきり言えるのは、本の著者たちは極右とまったく縁がない。フィリップ・アシュケナージの著書『茫然自失状態のエコノミストたちの宣言』(注2)から2度も引用されているし、本紙のセルジュ・アリミも著書2作から引用されている。一冊は市場精神の氾濫を指摘する本、もう一冊は「ジャーナリズムにおける特権階級」の告発に用いられた本だ。
ルペン女史の本には、こうも書かれている。「グローバリズムとは、消費主義と物質主義の結合物だ。グローバリズムは人類を歴史から逸脱させ、ジル・リポヴェツキーが著書のタイトルにもした”空虚の時代”へと陥らせる」。エマニュエル・トッドからフランクリン・ルーズヴェルトへ、またジョージ・オーウェルからベルトルト・ブレヒトへ、カール・マルクスからモーリス・アレまで、彼女はあらゆる著述家の言葉を援用して、自身のグローバリズム批判に根拠を与えようとする。
しかし、彼女がもっとも影響を受けたのは哲学者のジャン=クロード・ミケアのようだ。それは、彼女が次のように述べていることから窺える。「私は、会話や白熱した議論のなかで一部の仲間と対立した結果としてそうなったのである。議論のテーマは、ライシテ(政教分離)や共和制、自由貿易あるいはユーロの終焉といったいずれも重要なものであった」。彼女はミケアの著作から繰り返し援用しており、ミケア本人に「その理論をフランス化していることをご容赦ください」と断わりを入れるほどである。ミケアの『袋小路のアダム・スミス』(注3)を読んで、なにゆえ左派が自らの政治理念を裏切り、「庶民や労働者階級の支援から、いつの間にか社会的落伍者や不法滞在者の支援に回ってしまった」のか、腑に落ちたというのだ。
ルペン女史は自著を利用して、およそ極右のリーダーらしからぬ賛辞を敵陣営へおくる。彼女がもちあげたのは、古き良き時代の左派である。「左翼はその発祥以来、常に壮大な自由への解放闘争を牽引してきた。彼らの政治活動の原点は、“理性”の名において“神の啓示”に対して闘うことであった。啓蒙思想家たち、百科全書派は、教会勢力と卑劣な迷信が人々の良心の自由を抑圧しているとして糾弾したのである」。極右機関誌『リヴァロル』、『ミニュット』、『プレザン』――3誌とも、すでに彼女を快く思っていない――も、この点ば評価するだろう。
移民問題の告発は、彼女の「グローバル化」批判の要である。この問題について女史は、社会問題を利用して抜かりなく持論を展開するようにしている。彼女は「他国労働者との競争」が「わが国の賃金労働者を悲惨な境遇に追いやっている」ことを強調する。そして「ホーム・ショアリング[在宅ワーク]」問題にも言及し、人件費競争が「“現代の奴隷”というおぞましいしい姿」を生むという主張を振りかざす。
ここでもまた彼女はちゃっかり左翼側の発言を拝借する。1957年1月19日のピエール・マンデス・フランス元首相の言葉を掘りだすのだ。その言葉とは、わが国は「とりわけ経済見通しによって必要と判断される場合には、移民の流入を規制し、外国から持ち込まれてくる失業や生活水準低下のリスクから身を守る」権利を保持するというものである。
彼女はさらに、1981年1月6日にフランス共産党書記長のジョルジュ・マルシェがパリの大モスク院長に宛てた書簡を援用する。マルシェ書記長はその中で「移民の流入を阻止しなければ、若い労働者が失業に追いやられる」理由を説明し、「社会的緊張」と「ゲットー」化現象が起こることを示唆している。だが、左翼党幹部のアレクシス・コルビエールが指摘するとおり、彼女はマルシェ書記長のもうひとつの言葉を引用することは都合よく忘れている。マルシェは「われわれの指針は、移民と利益を共有し、彼らと連帯することです。憎しみや断絶とは正反対のものであります」(4)と、補っているのだ。
自由貿易批判と移民攻撃を併せた「グローバリズム」攻撃は、国民戦線の要石である。彼女は「産業の再建、および産業の再配置」を訴え、これが「唯一、真のエコロジーにかなう」政策であるとする。保護貿易を擁護し、ユーロ離脱を唱える。社会的反響の大きいテーマを借りて政治方針を発展させようという戦略は一貫しており、熟慮されたものであると言わずにはいられない。彼女の著作には「もはや左派と右派の間に溝はもうなくなった、などと言う気持ちはさらさらない」と書かれている。治安の悪化と移民問題にかんする国民戦線の姿勢は、もっとも右寄りの右翼に深く根ざしているのである。そうは言っても、彼女の政治方針は5年前の父親の政治方針をやや軟化させてはいるのだが。
移民問題における彼女の方針は、相変わらず徹底したものである。このことは、特に「5年後には、合法的な移民を年20万人から年1万人へ縮小」、さらには「国籍の出生地主義の廃止」といった持論に顕著である。ジャン=マリー・ルペン氏が重視した「国民第一主義」が「国民優先主義」に座を譲ったのだ。2007年の大統領選に出馬した彼女の父は「諸々の生活保護と家族手当をフランス国民にのみ交付する」ことを提案した。今回、その娘は、企業は「能力が等しい場合、フランス国籍保有者のほう」を採用すべきと考えている。同じ論理が公共住宅にも適用される。家族手当については「少なくとも片親がフランス人かヨーロッパ人である世帯に交付する」というのだ。
●教師の囲い込み
この父娘の違いがもっとも顕著なのは、経済政策である。国民戦線の創設者である父ルペン氏は、米国のロナルド・レーガン大統領(任期は1981-89)(注5)への傾倒を隠さなかった。元プジャード党(注6)代議士であるルペン氏は、自由経済の庇護者たることを自認し、絶えず「国家による経済統制」と「課税」に反対した。一方、2012年になって娘のマリーヌが推奨するのは「金融業界と投機マネーをコントロールできる強いフランス」である。彼女は「危機的状況にある一部貯蓄銀行の暫定的な国有化」の検討をも辞さない。父親が高所得者の課税率を最大20%に引き下げることを提唱したのに対し、彼女は46%に引き上げるという。
ジャン=マリー・ルペン氏のときは「一律65歳からの年金支給」に賛成だった。しかしマリーヌは、年金支給年齢の「段階的な60歳への引き下げ」を公約に掲げる。そして「なるべく早急に支払い期間40年で、満額受給退職を可能にするよう目ざす」とも述べている。
国民戦線幹部らはこうした方針転換について、これは世の中の変化に対応するものであると説明している。マリーヌ・ルペンの言葉には、第二次世界大戦後に高度成長を遂げた、いわゆる“栄光の30年”(注7)へのある種のノスタルジーが滲んでいる。「当時のフランスの混合経済、大資本の介入を許さないその国力、手厚い福祉法に最低賃金、“値の張る”公共事業、採算度外視の教育機関と公共機関、“至れり尽せり”の医療機関、一社独占のガス・電気・交通機関・郵政事業。これらは、超自由主義経済の描く理想とはまったく対立するものだ」。彼女は「国策としての計画経済」を復活させると断言し、ド・ゴール将軍がモットーとした「猛烈な義務感」をよすがとする。
上記のような話は、フランスの極右全体の意見とは相容れない。それぞれ政治的傾向が微妙に違い、一枚岩ではないからだ。父ルペン氏は、1970年代にそうした右派を束ねることに成功し、国民戦線が創設されたのである。元国民戦線幹部で、“時計クラブ”(注8)の創設者でもあるイヴァン・ブロ氏は、憤まんやる方ない様子でこう述べている。「彼女はヨーロッパ最後のマルクス主義者だ。マリーヌ・ルペン候補の支持者は移民増大と治安悪化に危機感を持っている。しかし、彼らの危機感と赤いマリーヌの危機感とのズレに驚くことになるだろう!」(注9)
これはいったいどう考えればよいのだろうか。国民戦線の選挙対策局長であるフロリアン・フィリポ氏は「代筆は、一切ない」としている。フィリポ氏はフランス国立行政学院(ENA)の卒業生で、ジャン=ピエール・シュヴェヌマン氏(注10)が創設した《共和市民運動》での活動を経てきた人物である。彼は、しかしながら彼女の著書が「2年に亘る共同作業」の成果であることを認めている。
彼女が自著で述べていることは、支持者拡大のための戦術ではないのか。現在、国民戦線は極右の支持を独占している。ゆえに、彼らは従来の右派支持層を当てにでき、それに加え新たな有権者を取り込むよう動くこともできる。たとえば、教員である。2011年9月27日に国民戦線系のシンクタンク《国民思想研究所》主催による教育シンポジウムの際、ル・ペン女史は彼らに以下のような言葉で呼びかけた。「長いあいだ、私たちの間には誤解がありました。長いあいだ、私たちはあなたがたを敵視しているかのような印象を与えてきました。長いあいだ、私たちは話し合うことができず、共通の言葉を見つけることができませんでした。(中略)長いあいだ、私たちは先生たちの学校荒廃に対する態度は、容認か無関心であるという誤った認識をもっていました。大多数の教師たちを誤解していた。しかし、それは過去のことです」。
同じ方式で、不健全な経済システムの不正、不均衡を批判することから、現実的な政策を作り上げることができる――とくに経済危機においては。そうした政策で、庶民階級の支持を獲得していけるかもしれないのである。
富の再分配政策はナシ
しかしこれでは、イカサマと叫んでみたい誘惑にかられるところだ。ルペン女史の社会的問題に応える装いをもった多くの政策は厳密な吟味に耐えられるものではない。ルペン女史は「強い国家」を約束する。そして非常に多くの公務員ポストが削減される「公共政策の全面見直し策(RGPP)」を弾劾している。一方、彼女は地方公共団体に「公民定数の縮減、安定化のプランを」提出するよう厳しく求めている。他の例。国民戦線のプロジェクトは公務員の200ユーロの賃上げから、最低賃金の1,4倍までの給料の値上げをちらつかせている。原資には「輸入税をあてる」としている。しかしこれの内実は、給料からさっぴく保険金を軽減することであって、収入の不均衡是正を意味するものではまったくない。「収入の不平等の是正」はこの党にはまったく無縁な発想なのである。
また、大統領候補ルペン女史は、宣伝戦における2つの主張を束ねるのに苦労している。この2つの方向性は2つの異なった勢力に呼びかけるものだからである。「妊娠中絶」の問題は2つの勢力を同時に満足させねばならないという問題に関して象徴的な位置にある。従来の伝統的な国民戦線支持者たちは、妊娠の中絶には猛反対している一方、あらたな支持者たちは女性の権利に対して好意的である。このため、ルペン女史の公約はどっちつかずで「堕胎しない女の自由」を謳った後、「中絶費用の保険料払い戻し」は優先的な重要性を持つ課題ではないとし、保険制度の赤字の際には中止されるとした。
国民戦線のもともとの主張に対するサルコジ候補の侵入が世論調査で一定の成功を収めたので、 選挙期間中にマリーヌ・ルペン候補は。移民問題とイスラムに関して、従来の主張を強化することになった。しかし一方、ルペン女史は経済問題での批判を捨ててはおらず、これを頼りに庶民階級、中産階級の支持を広げようとしている。しかしながら、このようなサルコジの支持組織、民衆運動連合(UMP)と国民戦線のつばぜり合いのせいで、ルペン女史の大胆な改革計画はたががはめられることになった。それというのも、女史は国民戦線の伝統的支持基盤から分離するようなリスクは冒せないからである。
注
(1)Marine Le Pen : Pour que vive la France, Jacques Grancher, Paris, 2012
(2)Philippe Askenazy, Thomas Coutrot, Andre Orlean et Henri Sterdyniak, Manifeste d'economistes atterres. Crise et dettes en Europe: 10 fausses evidences, 22 mesures en debats pour sortir de l'impasse. Les liens qui liberent, Paris , 2010
(3)正確なタイトルは、Impasse Adam Smith. Breves remarques sur l'impossibilite de depasser le capitalisme sur la gauche, Flammarion, Paris, 2006
(4) Alexis Corbiere, "Marine Le Pen, un livre absurde et dangereux pour la France ", 3 fevrier 2012, www.placeaupeuple2012.fr
(5)新自由主義の最初の提唱者・実行者として知られる。[訳注]
(6)フランスの中小企業主などを結集した右派政党。[訳注]
(7)7月革命(1830)で起きた《栄光の3日間》をもじった言葉。[訳注]
(8)自由主義的な右翼政党。[訳注]
(9)Yvann Blot, "Un livre neomarxiste ? Quand Marine Le Pen devient Marine la Rouge...",Atlantico
(10)ジャン=ピエール・シュヴェヌマン、元社会党の有力議員[訳注]
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同じ極右でもこれだけ違う。
片やグローバリズムを
「これは「グローバル化され、ボーダレス化した支配階級のイデオロギーにすぎない」と喝破し、この「新たな貴族階級」をできるだけ早く葬り去らねばならない、としている。」
と批判し、人件費競争を
「人件費競争が「“現代の奴隷”というおぞましいしい姿」を生むという主張を振りかざす。」
奴隷労働と批判する。
日本の極右は新自由主義に被れ、TPPを推進し、原発容認、消費税増税、軍国化と
まるで国民のことを考えていない。
同じ極右でも思いが違う。
民族のためを思った極右と、自分の権力、利権のことしか考えない極右の違いか。
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