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株式日記と経済展望
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政治的公約や連帯の約束を一夜にして反古にすること、「勝ち馬に乗る」ことを
政治家として生き残るためには「当たり前」のことだと思っているような政治家達。
2012年11月19日 月曜日
◆幼児化する政治とフェアプレイ精神 11月19日 内田樹
http://blogos.com/article/50595/?axis=g:0
できたばかりの石原慎太郎の太陽の党が解党して、橋下徹の日本維新の会と合流。太陽の党との合流話を一夜で反古にされた河村たかしの減税日本は「減税の看板をはずしたら仲間にいれてやる」と恫喝されて落ち込んでいる。渡辺喜美のみんなの党は維新への離党者が続出しているが生き延びるために維新との選挙協力の方向を探っている。
いわゆる第三極政局は「あの業界」の離合集散劇とよく似ている。党名を「なんとか組」に替えて、笠原和夫にシナリオを書いてもらったらずいぶん面白い映画ができそうである。残念なのは、登場人物の中に感情移入できる人物がひとりもいないことである。
状況的には河村たかしと渡辺喜美が『総長賭博』の中井信次(鶴田浩二)や『昭和残侠伝・人斬り唐獅子』における風間重吉(池部良)の役柄に近い「引き裂かれ」状態にある。甘言を弄しあるいは恫喝を加えて縄張りを奪おうとする新興勢力に抗して、なんとか平和裏に組を守ろうとするのだが、うち続くあまりの理不尽な仕打ちにぶち切れて、全員斬り殺して自分も死ぬ・・・という悲劇的役どころは彼らにこそふさわしいのだが、ふたりともそこまでの侠気はなさそうである。
この二人を見ていると、級友にいじめられて、「パン買ってこい」とパシリに使われている中学生が、それでも「オレはいじめられてなんかいないよ。あいつら、オレの友だちなんだから。みんなオレのマブダチなんだ」と言いながら、だんだん目がうつろになって、しだいに狂ってゆく・・・という姿がオーバーラップする。橋下徹という人はほんとうに「いじめ」の達人だと思う。どうすれば、人が傷つき、自尊感情を奪われ、生きる意欲を損なわれるか、その方法を熟知している。
ある種の才能というほかない。減税日本とみんなの党の「いじめ」方をみていると、それがよくわかる。人をいじめるチャンスがあると、どうしてもそれを見逃すことができないのだ。たぶんこれがこの人に取り憑いた病なのだろう。
テニスで、相手がすべって転んだときにスマッシュを控えるのは英国紳士的な「フェアプレイ」であり、これができるかどうかで人間の質が判断される。テニスの場合、強打するか、相手の立ち上がりを待つかの判断はコンマ何秒のうちに下される。政治的思量の暇はない。フェアプレイ精神が身体化されていない人間にはそういうプレイはしたくてもできない。だから、英国人は「そこ」を見るのである。テニス技術の巧拙や勝敗の帰趨よりも、そのふるまいができるかどうかが、そのプレイヤーがリーダーとしてふさわしいかどうかのチェックポイントになるからである。
(中略)
ただし、重要なことは、それは政治的オプションとして「選択」することができないということである。脊髄反射的にできるものでなければ、「フェアプレイ」とは言われない。熟慮の末に、「こうふるまえば自己利益が増すだろう」と思って選択された「敵に塩」的パフォーマンスはただの「マヌーヴァー」である。考えている暇がないときにも「フェア」にふるまえるか、「利己的」になるか、その脊髄反射にその人が受けてきた「統治者たるべき訓練」の質が露呈する。
ふりかえってわが国の「ウッドビー統治者」たちのうちに「フェアプレイ」を身体化するような訓練を受けてきた政治家がいるだろうか。繰り返し言うが、それは「上品な政治家」とか「清廉な政治家」とかいう意味ではぜんぜんない。統治者としてリアルな力量があるかどうかを「フェアプレイ」を物差しで見ようとしているだけである。その基準で言えば、「政治的技術としての身体化されたフェアプレイ精神」を示すことのできる政治家はいまの日本にはほとんどいない。ほんとうを言うと、「ひとりもいない」と書きたいところである。だが、どこかに「フェアな政治家」がまだ絶滅危惧種的に残存しているかもしれないので、そのわずかな希望を「ほとんど」に託しているのである。
繰り返し書いていることだが、また繰り返す。今の日本の政治システムが劣化しているのは、システムのせいではない。人間の質が劣化しているのである。だから、制度の改変や政策の適否について、百万語を費やしても無駄である。政治的公約や連帯の約束を一夜にして反古にすること、「勝ち馬に乗る」ことを政治家として生き残るためには「当たり前」のことだと思っているような人間たちばかりが政治家になりたがっている。統治者になるための訓練を受けたことがない人間たちが統治システムに群がっている。中学生的な「いじめの政治学」には長けているが、「フェアプレイ精神」については聴いたこともないという「こども」たちが政治の世界に跳梁している。
日本の政治は12月の総選挙で少しは変わるのだろうか?私にはわからない。これ以上政治が幼児化することがないように祈るだけである。
(私のコメント)
今日も政局の話になりますが、台風の目になると思われた第三極も石原慎太郎と橋下徹の野合劇は失望を禁じえない。みんなの党や減税日本は橋下徹によって切り捨てられた。どのような理由なのかは分からないが政策で合わないと言うのならわかりますが、それなら石原氏と橋下氏の政策の違いの方が大きい。結局は主導権争いで、最初から石原氏と橋下氏の談合政党になりそうだ。
小さな政党が14も乱立していますが、小選挙区制度では、よほどの候補でなければ二大政党以外で勝つことは難しい。以前なら自民もダメ民主もダメなら「維新の会」しかないと書いてきましたが、その後の橋下氏の発言と行動には、一時の橋下フィーバーは完全に消えてしまった。テレビなどで既成の政治家を攻撃している分にはいいのですが、第三極を纏めるような能力は無い。
石原氏も、なぜ今国政に出るのかはっきりとは言いませんが、「維新の会」の神輿に乗れば総理になれると考えているのだろうか? しかし今では「維新の会」の支持率は自民はもとより民主よりも下回っている。研修会でも集まりが悪くなって人気の離散が目に付きます。石原慎太郎の看板を担げば何とかなることを期待しているのでしょうが、肝心の石原慎太郎のやろうとしている事が分からない。
橋下徹と石原慎太郎の通った後には裏切られて討ち死にした死骸が累々と横たわっている。民主党もいろいろな政党の集まりだから選挙になると離党者が相次いでいますが、小沢一郎ばかりでなく鳩山由紀夫も追い出しにかかっている。小沢一郎と鳩山由紀夫は民主党が政権を取った立役者なのですが、政権を取った後はこの二人を内閣の外に追い出してしまった。
菅政権や野田政権になって、急にマニフェストにも書かれていなかった消費税増税とTPP参加を言い始めましたが、小沢氏や鳩山氏を追い出して霞ヶ関官僚主導の政権となり、消費税増税のために三党合意までして舞台を作ったのは財務省の官僚だろう。その消費税増税法案が成立すれば野田総理の役割は終わったとばかりに財務省は野田切りに動いた。
自民党も三党合意で消費税増税法案に賛成したことになり、黙っていれば選挙で勝てるのに不利な消費税増税に乗ってしまった。そこで第三極である「維新の会」に期待が集まりましたが、時間が経てば経つほど馬脚を現している。候補者にしても素人の集まりであり、石原氏と組んでもかつての盟友は平沼氏だけであり、同じ同士だった亀井静香氏は石原氏を見限っている。
亀井氏も小沢氏や鳩山氏と並ぶ民主党初期の連立内閣幹部でしたが、同じく菅総理に追い出されてしまった。2009年の総選挙の立役者を次々と追い出してしまった民主党政権は自民党と変わらぬ官僚主導の政権となりマニフェストは反故にしてしまった。初めての本格的な政権交代で閣僚経験のあるのは亀井静香氏くらいで、小沢一郎はついに閣僚になることはなかった。
内田樹氏が書いているように、国会議員の質が著しく低下して「勝ち馬に乗る」事ばかりを考える国会議員ばかりになってしまった。これはいわゆる「裏社会」の質と共通するものであり、裏切りと陰謀が渦巻く世界であり東映のヤクザ映画の世界を見るようだ。古い任侠の道が廃れて新興ヤクザが乗り込んできた構図に良く似ていますが、橋下徹はまさに新興ヤクザを思わせる。
石原慎太郎は既に引退間近いヤクザであり、新興ヤクザは先の長く無い親分を担ぎ出して主導権を取ろうとしている。ヒトラーがヒンデンブルグを担ぎ出したのと同じであり、役が済めばお払い箱だ。確かに公務員制度改革や地方分権などどの政党も言ってはいるが実行力が無い。石原氏も橋下氏も東京や大阪では成果を上げたが霞ヶ関は無理だろう。
石原氏も、国会議員を辞めなければ総理大臣に確実になれただろう。しかし能力があっても順番を待つ忍耐力が無かった。かつて三本の矢といわれながら橋本龍太郎は総理となり河野洋平は総裁となった。なぜ自民党を飛び出して国会議員を辞めたのかは分かりませんが、能力があっても運がなければ能力は生かせない。青嵐会の同士であった亀井静香は小泉純一郎に潰されて自民党を追い出されてしまった。
亀井氏は結局は民主党に合流しましたが、小泉内閣の時に亀井派が不信任案に賛成すれば小泉内閣を潰す事が出来たのにしなかったのは、党に反旗を翻すだけの決断力がなかったからだ。結局は小泉氏に追い出されましたが、小泉総理はホリエモンと言う刺客を立てて亀井氏を追い込んだ。まさに小泉氏は筋金入りのヤクザだった。そんな世界に石原氏は嫌気がさしたのかもしれない。亀井氏は石原氏の事を次のように言っている。
◆元盟友の亀井静香 「石原よ、お前ひとりで死ね!」〈週刊朝日〉 10月30日
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121030-00000005-sasahi-pol
辞職表明の前夜に石原から連絡があって、「明日午後3時から記者会見をする。都知事を辞めて、新党を作る」って言う。俺は「そりゃあ、トゥー・レイトだぞ」って言った。
翌日会ったら、「一緒にやろう、一緒にやろう」って言うばかり。「いまさら言われても、ハイハイと言うわけにはいかねえよ。国民は政党や政治家を信用してないから、国民の大きなうねりに決起して、政治をやろうと思っている」って俺が言ったら、今度は「じゃあ、仲間に入れてくれ」って言うからさ、「そう簡単にいくかよ」って断ったんだ。
6月13日、石原に呼ばれて都道府県会館の東京都事務所へ行ったら、「新党を結成する。日本維新の会だ。都庁の会見でぶち上げる」と政党名まで自分で言うんだよ。なのに翌日、園田(博之「たちあがれ日本」幹事長)を通じて連絡があってさ、「23日に維新政治塾の入塾式で講演を頼まれているから、会見で言うのは先延ばしにする」って言うんだよ。
コイツ始まったなと思った。すぐ石原に電話して、「昨日決めたことを、翌日にひっくり返すのはどういうことだ。去年から、あんたが『この日本を命懸けでやり直す』と言うから、俺も一緒に命を捨ててやろうと思っていたのに。だったらお前ひとりで死ね!」と言って電話を切った。
石原は威勢のいいこと言って極右みたいに思われてるけど、ありゃ、上から目線なんだよ。国民目線に立って、国民に“大政奉還”しようと本気で思うなら考えてもいいですよ。そりゃ長い付き合いですからね。
(私のコメント)
かつて佐藤総理は、政治家には寛容と忍耐が大切だと言いましたが、石原氏が総理になれなかったのは寛容と忍耐がなかったからだ。自民党にいれば確実に総理になれたのは明らかだったが、当時は経世会の天下であり、経世会の若頭の小沢一郎の天下でもあった。しかしその小沢一郎はやはり忍耐が足らずに自民党を飛び出した。小沢一郎はいつでも総理になれるのにならなかった。
小沢一郎は自民党から政権奪取に成功して鳩山政権の幹事長になりましたが、最後は野田総理に民主党から追い出されてしまった。鳩山氏も民主党の公認を得られるか分からずにいますが、ヤクザの世界は裏切りの世界であり誰もが信用できずに党を割ってしまう。まさに東映のヤクザ映画を見るような光景ですが、橋下氏と石原氏も同じであり、一夜にして意見をころっと変えてしまう。これでは政権を任せるわけには行かないだろう。
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