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2012.11.19 石原・橋下“大野合連合”は必ず破綻する(ハシズムの分析、その39)
〜関西から(82)〜
広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
11月14日の党首討論において野田首相が衆院解散に突如言及した瞬間から、政局は一転して暴風状態に入った。それも11月16日解散というのだからいきなり「待ったなし」の状況になったのである。野田首相の解散声明は、窮余の策の一撃だったのか、予定通りの演出だったのかは知らないが、橋下新党(日本維新の会)や発足したばかりの石原新党(太陽の党)はさぞかし泡を食ったことだろう。
もともと橋下新党(日本維新の会)は、知名度の高い石原氏(だけ)を広告塔に利用して2大政党間に割って入り、「第3極」を形成して政界進出を図るという構図を描いていた。そこには「決められない政治」を“右”から打開する「第3極」としての旗印を掲げ、マスメディアに露出しながら派手な挙戦を展開するという橋下氏一流の戦術が込められていた。
だがこの「第3極」イメージは、既成政党崩れの国会議員たちが維新の会に合流するに及んで少なからず傷ついた。合流した国会議員がいずれも清新さと迫力に欠け、とうてい「第3極」を演出するに足る人材ではなかったからだ。さる9月9日の公開討論会における国会議員と維新の会のやりとりは、さすがのマスメディアの目にも「いかさま」以外に映りようがなかった。東京から取材に来た記者たちは、誰もが吐き捨てるような失望(墳慨)の言葉を残して本社に帰って行った。これが躓き(つまづき)の第1幕だった。
第2幕は、11月13日の石原新党の旗揚げで開けた。だがこの幕開けは悲惨そのものだった。石原新党「太陽の党」の記者会見に参加したメンバーは「たち上がれ日本」の議員5人と石原氏だけで、応援部隊や取り巻き連中は誰もいなかった。「立ち上がれ日本」はかねがね「立ち枯れ日本」などと揶揄されてきたが、枯木に枯木が加わっても所詮は“枯木集団”に過ぎない。石原新党は出鼻から清新な「第3極」イメージを打ち出すことができず、事実上打ち上げに失敗したのである。
それを象徴するのが石原氏の支離滅裂な記者会見だろう。「私は暴走老人ですから、年齢的には限界があります。やっぱり次のランナーにちゃんとバトンタッチをしてくためのワンステップでしかありません。だから、必ず衆院選の前に大同団結します。太陽の党が(他党に)吸収されて消えてもかまわない。しかし、新しい関ヶ原の戦いには必ず勝ちます」など、まるで破れかぶれの言い草だ。
だいたい新党結成の記者会見で「新党が他党に吸収されて消えても構わない」などというのは、国民を馬鹿にしているとしか言いようがない。早晩に消えるような存在であれば、初めから作らない方がましだ。それでいて「新しい関ヶ原の戦いに必ず勝ちます」などというのだから、国民のだれもが石原氏はもはや暴走老人などではなく「耄碌(もうろく)老人」そのものだと確信したに違いない。
ところが驚くなかれ、石原氏の支離滅裂発言がその後現実のものになった。石原新党は史上最短の結党5日間で解党し、日本維新の会に合流することに合意したのである。17日の記者会見で石原氏は「とにかく合流することが大切。政策はその都度考えていけばよい」と語り、表向きは維新の会の政策を「丸呑み」するといいながら、選挙後には何が起こるかわからないと匂わせた。
一方、橋下氏の方は大喜びで「石原氏を総大将にかついで一大合戦に臨む」と大張りきりだ。石原・橋下氏という稀代の「デマゴーグ」(扇動政治家)を2枚看板にすることによって彼の好きな「大戦争」(おおいくさ)に勝ち抜き、情勢は「もう勝ったのも同然」と思い込んでいるらしい。だがこの“大野合連合”が果たして成功するかどうかは全く予断を許さない。
私自身は、実は橋下新党と石原新党との合流は難しいと思っていた。理由は、両党の政策スタンスの違いもさることながら、両党の“イメージ”が大きく異なるからだ。橋下新党の方は、これまではファシストの本性を隠しながら大阪の選挙に行かない若者層や構造改革路線に同調する中年ミドル層をターゲットにして「イメージ作戦」で浮動票を集めてきた。一方、石原新党の方は「立ち上がれ日本」の体質に象徴されるように極めつきの復古調右翼集団であり、誰が見ても若者層やミドル層を引き付ける魅力に乏しい。
だから、橋下氏は石原氏を一本釣りすることで「極右第3極」のイメージを薄め、石原新党に抱きつかれて橋下新党が沈んでいくような事態は避けたいと思っていたのである。橋下氏にとって必要なのはあくまでも広告塔としての石原氏個人だけであって、「立ち上がれ日本」や「減税日本」などといったややこしい連中がついて来ることは大迷惑だったからだ。
しかしさすが権力亡者の石原氏のこと、橋下氏に利用されるだけの存在にはなりたくなかったのであろう。まずは石原新党を立ち上げ、その後の橋下新党との連携にあたってイニシャティブを握ろうとした。そして連携できると見るや「減税日本」を容赦なく切り捨て(当時の神奈川県知事を都知事後継者に擬しながら、情勢不利と見るや自らの立候補で切り捨てたとの同じ構図)、自らが日本維新の会の党首となることと引き換えに維新の会の政策を丸呑みすると言う政治選択をしたのである。
だが、この政治選択が大きな誤りだったことを証明する日は遠からずやってくるだろう。石原新党との合流によって橋下新党のイメージは決定的に変わった。橋下氏にこれまで投票した若者層やミドル層が「極右第3極」の臭いがふんぷんとする日本維新の会に果たして投票するだろうか。また彼らにそこまでの認識がなかったとしても、「野合第3極」の姿が露わになった日本維新の会に清新な魅力を感じるだろうか。私の答えはいずれをとっても「ノー」であり、彼らの“大野合連合”は破綻する他はないというのが結論である。
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