86. 2012年11月17日 01:43:22
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◎政治家も人間。。過去は過去。 今がほんとうに最低の酷い時代というのならば、過去も酷い時代だったということ。 この酷い時代を一人の人間として生きた。我々もみんな同じである。それぞれが酷い時代の影響を受けるのは当然のことだ。しかし、この酷い時代に目を向けてこそ、見えてくる違いがわかるのだ。◎チーム生活党の議員達の過去は雑多だ。しかし、みんな高い試験に合格していると判断できる。 ☆対米従属勢力に、真正面から抵抗できる人間のハイレベルをしらねばならない。やろうとしたって、卑怯者や愚か者に簡単に、この本物の信念が培えるものか! ◎対米従属に、国益の立場から、不当は不当と独立した立場を譲らずに言う人々。 この人達。今まで通りの敷かれたレールの上を盲目的に走ることの意味を、疑問を、二十一世紀より前に、深く考えて、考え続けて別の答えをを得て、現在に至った人達なのだ。 だから金魚の糞浮き草人間の売国奴達とは根本的的に違うのだ。本当に日本の国の利益は何なのかと考える人の差が、今大きく出ているということだ。 この本物志向の日本の精神の正統な後継者としての人達が多く残っているので、この精神の高みを正確に計る基準も、酷い時代の価値観に呑み込まれていて抜け出せないで居る人間達のお粗末な人間判断の基準とは別なものを維持しているのだ。 本物と偽物がこのぎりぎりの国難の時期に顕著になったのだ。 しかし、なんとも偽物が大きな顔をして、この先も尚本物の上にインチキ支配を継続しようという小物揃いの米国背景のうぬぼれの大見得の数々だろうか。 ◎売国奴に走る人間と、国益に立つ人間とは、一体何が違うのだろうか? フーテンの寅さん 「それを言っちゃあ、おしまいよ!」 人間としてとても譲れないことがある。そこがターニング・ポイントだ。 A、とても人間としては、そこまで酷くなることはできない。わたしはどんなに不利になっても正しい筋を通す。時がきて、正しい国が求められるときのために、不断の努力を惜しまない。 B、大勢に従います。 C、権力には、信念さえも(もともと無い)売り渡し、どんな厚顔無恥の猿芝居も日本を裏切る役目も平気です。 ☆様々な人がこの本当の日本の国益は何かという高い壁に挑み、本物の追求者達は、素晴らしいことに正解を獲得して越えたのだ。 しかし今日の自公民維新みんなの党の議員達のような人間達は、この日本人の指導者としては当然の義務であるこの高いバーをクリアすることを、とうの昔に諦めて、早々と自分から、或いは買収され、ユダ金に繰り込まれた。つまり、日本の国の役に立つという本物の高いバーのクリアを事前にやめて、楽で楽でしかたがない私腹を肥やす嘘つき人間の売国奴の道を選択した人間達ということ。 しかし、諦めずに、何が日本の国の為になるのだろうかと追究してきた本物の努力を費やしてきた人間達は、今、何が日本の国の為になるのかと言うことを、自分のこれまで培ってきた長い試行錯誤の後の解答には、自身の真実の感覚とが共振する本物の確信を得ている。これがかけがえのないものだ。 時流の波に流され、上面では厚顔無恥に都合の良いことを独善的に語る態度に芯から染まりきってしまった浮き草人間とは、比べものにはならないのだ。 ところが、その解答は、日本の現状の想像を越えた酷い生命の危機を含むものだった。だから、より懸命になるのだ。なれるのだ。 ☆国民の生活が第一は、日本の精鋭。どうしてこんな高みに集う本物の日本人がこんなに残っているのか、信じられない喜びだ。 ☆大人は実を取る。現実の良い実は高い価値なのだ。 国民の生活が第一の議員達の過去は様々だが、大人達は、実から評価する。 実の質の高さ、充実度を正確に計り、吟味して、自分の信念の言葉で評価する。また評価できるし、その審美眼を大人同士で共有する。 実が見えない奴、見えていても実の内容が分からない奴、質の高い実など見たくない奴は、実のある人間を幾らでも冷酷にあしざまにできる。今日の酷い言論の正体がそこに現れている。 しかし、実の何たるかを知る大人は違う。大人とは、本物の実を基準に生きる人なのだ。利害を超えても内容の高い実は評価する人々だ。 ☆日本の過去の精神の良い後継者は、現在の酷い時代にも生き残っていて、最低のどん底で、再浮上不可能の酸素切れ間近の潜水艦のごとき日本の国の再浮上の希望として、今力の結集に成功しているのだ。 再浮上は不可能。そんな勢力結集など不可能とされていながらも決して諦めなかったのだ! ☆正反対のベクトルの人間達が存在している。 それは本当に国を思う人達の対極の裏切り者達のことだ。 この日本の国をさらに、沈没させようと努め、さも再浮上を言いふらし味方のふりをして騙しながら肝心な所では冷酷に阻止してきた、日本の国の歴史の最悪な裏切り者に名前が記されるのに相応しい黴菌に等しい卑怯者達である。 人間の種類が違うのだ。この卑怯者達の別名はゾンビである。私は、電通読売マスコミ自公民維新みんなの党石原新党の構成員、準構成員達がそれであると考えている。 ☆A層の人間達は、まともな人間の筋を通すだけではないのだ。そういう国を作ろうと言うことは、もっともっと別の深い思考になる。 私はこころの中で知ってます、と言うだけで、社会の何が良くなるだろうか? 政治家がそれで良いはずがない。 人間の共同体へ本物の思考が進むと法≠フ何たるかに気がつく。法が違うと、全く異なる価値内容になることに気がつく。 ひとつの法の背景の正統性の根拠を、本物の人間の生活の価値追究に置くのだ。 そこから、国のため国民のために貢献ができるという立法府(政治家が法律を作る)の明確な役割を心底確信して、本物の創造性への使命を見いだすのだ。 人間の社会の豊かさは、良い法の追究に、無限の発展の可能性を持つと確信できるとする態度である。こうなると、浮き草同士の利害関係では、動かぬ人間ができあがるのだ。 ◎ 法を語ると違いが現れる。売国奴は、奴隷契約書を、役に立つ正しい法だと嘘をついて契約書にサインを強要している。 |