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2012年11月14日 永田町異聞
「天声人語の一文目」という朝日新聞のテレビCMをこのところよく目にする。
美しいピアノ曲をバックに、コラムの最初のセンテンスが映し出される。「書き写しノート」のPRも抜け目なく添えて、朝刊一面の看板に「教養」の金箔をはりつける。
筆者の手もとに、北風三六郎という方から届いた私家版の冊子がある。
「小沢バッシングの正体」というタイトルのその冊子には、2009年3月4日から2012年5月にかけて、朝日新聞が小沢一郎氏について書いた社説と天声人語が収められている。
そのうち、天声人語の記事数を数えてみると、じつに54本にのぼる。およそ20日に1度は天声人語に「小沢」が取り上げられている勘定だ。
小沢氏はあまりにも当然のことながら、二審でも無罪となった。しかも東京高裁は、元秘書らが土地取得に関して故意に記載時期をずらせたとする一審判決を「事実誤認」と指摘し、元秘書らも小沢氏とともに無実であるという認識を色濃く打ち出した。
ここに至って、あの産経新聞でさえ申し訳ていどではあるが「検察審査会の暴走」に言及しはじめた。報道ステーションの古舘伊知郎氏ですら自分たちのこれまでの報道にちょっぴり反省の弁を述べた。
朝日新聞の紙面から感じられるものは、相変わらずの自己正当化と、われらこそ「日本の知性」といわんばかりの、傲岸不遜ぶりだ。
その最たるものが、書き写すほどに文章の模範とする人が多いという「天声人語」であろう。その教養と知性とやらは、小沢を罵倒する数々のフレーズによって、お里が知れる。
まずは、西松事件で大久保元秘書を逮捕、起訴したあとの次の文章。
◇下心みえみえのゼネコンから党首が巨額の献金を受け、どこが悪いんだと居直る。(2009年3月26日)
この件については、のちに検察が無謀捜査を覆い隠すため訴因変更し裁判そのものが消滅している。
大久保逮捕後のマスコミの大騒動によって代表辞任を余儀なくされた小沢氏について。
◇「本当に怖い」「猛獣が野に放たれた」。党内から漏れる声を聞けば、辞任会見で言っていた「民主主義」とは何かと思う。(2009年5月14日)
政権交代後、マスコミへのリークによる検察の世論操作に民主党内で批判が強まった。そのさい、検察に寄り添う姿勢を示したのが天声人語の下記の文章だ。
◇これでは捜査への嫌がらせである。…西松事件で小沢一郎氏の秘書が捕まった時、野党の民主党は、政権と結んだ国策捜査だと非難した。目下の状況は与党の思い通りになっていないのだから、「検察の独立」を誇ればいい。(2010年1月21日)
野田政権が誕生し、小沢氏に近いといわれる輿石氏が幹事長に就任したことに関して。
◇党内融和を最優先した人選だが、かけ違いはないか…そもそも世間に「小沢的なもの」への嫌気がある。(2011年9月1日)
「小沢的なもの」への嫌気があるとすれば、それをつくってきたのは誰なのか。一般市民の政治家への好悪は、マスメディアの送り出すメッセージによって変化するものであろう。
2012年4月26日、東京地裁は小沢氏に無罪判決を言い渡した。この翌日の天声人語は、なぜか1983年のロッキード事件一審判決で田中角栄元首相が有罪になったことから書きはじめた。
◇政治を動かした判決といえばやはりロッキード事件だろう。…闇将軍が表舞台に戻る日は遠のいた。…約1年後、田中派の重鎮竹下登らは、分派行動ともいえる創政会の旗揚げへと動く…▼さて、この判決は政治をどう動かすのか。資金問題で強制起訴された小沢一郎氏の無罪である。…だが顧みるに、この人が回す政治に実りは乏しかった▼若き小沢氏は心ならずもオヤジに弓を引き、創政会に名を連ねた。以来、創っては壊しの「ミスター政局」も近々70歳。「最後のご奉公」で何をしたいのか、その本心を蓄財術とともに聞いてみたい。(2012年4月27日)
まず小沢氏がオヤジと慕った田中角栄氏を持ち出して「金権」イメージをダブらせる。さらには、創政会参加でその恩人を裏切った権力亡者のように書く。
こうした作文術で、小沢悪徳説に読者を誘う。朝日新聞をはじめとするマスメディア各社が長年にわたり続けてきた典型的な小沢攻撃の手法である。
一、二審とも無罪になった人物に対し、巨額裏献金を受け取った悪徳政治家のごとく根拠もなく吹聴してきた朝日、毎日、読売、産経、日経、そして各テレビ局は、なぜ、これまでの報道を自ら検証することをしないのか。
このところ、iPS細胞に関する読売新聞の大誤報や、尼崎連続変死事件で別人の顔写真を掲載するなど、報道の不祥事が相次いでいる。小沢報道についても、いかにウソをくり返してきたかは、一、二審の無罪判決が明確に示している。
2009年3月3日以来の小沢報道を検証し、本来の報道がどうあるべきだったかを読者、視聴者に自ら示すことこそが、マスメディアの信頼回復にとって最低限必要なことではないだろうか。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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