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小沢無罪、判りきったことである。証拠も何も無しで「推定」だけで裁判を延ばし続けてきた。裁判を続けることで小沢を「被告」の立場に置き続けることが目的だった。しかし国民環視の裁判では、いくら何でもこの内容で有罪には出来ない。冤罪作成者たちも、とうとうギブアップせざるを得ないだろう。
この裁判の意味するところは何か。日本国民が有史以来初めて現政権を否定し新政権を打ち立てる。官僚を中心とする旧体制の利益集団はこれを妨害にかかる。新政権のトップを狙うのは至極当然であった。そこででっち上げられたのが小沢事件である。これが冤罪であるのは火を見るより明らかであった。検察官僚の危ない実態も明らかになった。(参照:郷原信郎『検察が危ない』『検察崩壊』、森ゆうこ『検察の罠』、カレル・ヴァン・ウォルフレン『誰が小沢一郎を殺すのか?』等)
しかるにマスコミは検察のシナリオ通りに動き回り、小沢抹殺の加担者の役割を自らに課した。検察側が敗れ続け、事態の真相が明らかになっていっても、自分のしてきたことを反省せず、その役割を変えることもなかった。今や「偉い人が黒と言っているから白も黒」「みんなが黒だと言えば黒」式の日本的非合理精神に頼るしかない。或いは「大したことではない。もう終わったこと」ととぼけるか。角田被告の写真をこぞって間違えて報道した全マスコミが「間違えました」の一言で済ましてしまったように。
「小沢冤罪事件」はそれのもたらした意味から言えば「戦後最大の歴史的冤罪事件」なのである。いい加減な総括では許されない。先の大戦の責任を日本人自らが追及するのを止めてしまった事実に匹敵する。原発被害をもたらした当事者たちの誰の一人も責任を追及されていない状況とも似ている。
検察を中心としたクーデターとも言うべき冤罪事件にどう落とし前をつけるのか。少なくとも、無罪の人間を犯人扱いして報道してきた事実にどう落とし前をつけるのか。それをはっきりさせるのが、誠意ある人間の取るべき唯一の道だろう。
福井孝典ホームページ「常住不断」
http://plaza.rakuten.co.jp/fukuitakanori/diary/?ctgy=1
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