http://www.asyura2.com/12/senkyo138/msg/532.html
Tweet |
勉強する意味が分からない世の中になっている。今は子供達が希望を持って勉強できる時代ではない。
学校・塾の時代が終わった後に見るのは過労死と貧困と失業。
何の為に勉強するのか全く意味不明。「将来の為だから」ともっともらしい事を言っても未来などないように見える。
企業はいかに労働者をいかに安く酷使するかのみ考えている。それに従うだけでは未来はない。
教育改革とは何か。そもそも何の為に勉強するのか。動物、狩猟時代、農耕時代を考える。
動物ですら死を避ける為に学習してきたのであって、自分以外の何物かに死を強制されて受け入れる事が学習ではない。
その意味では今の学校教育は死学である。塾はただ死学を補強するだけ。
そして社会に出て本当に死んでいくのである。
生きる為に何が必要かを問わない教育改革は拒否すべきである。
文部省のカリキュラムはただ国民に何の役にも立たない死学を強制でしかない。
生きる知恵につながらない教育改革とはただの過労死改革でしかない。
企業社会に殺されない知恵はつくのか。勉強するとはそういうことだ。
己を使い捨てにしようとする者の教育改革など拒否していい。それは必要ないのである。
文部省にただゆだねるだけの末路がこの地獄だったのだ。政治家達は改革と言いながら巨大な企業社会という地獄を作り続けている。
この社会は破綻しているのに健全だと言っている。何の為の教育、誰の為の学校なのだ?
根本的に企業社会の非人間性を問う人間を支持せねばならない。それをほおっかむりした第三極なら同じ事の繰り返しだ。
全共闘が問うた問いは全共闘運動参加者自体が中途で折った。今こそ問い直さねばならない。
あの時はまだ学生時代後に生活向上の未来があった。今はそれこそ問わねば死ぬしかないのである。
もう人類には後がない。偏差値が良くなる事が、本当に人類を救う事につながらないと意味がない。
大阪府の順位がどうのこうのという小さい話ではない。大阪府民だけじゃなくて人類全体が天災と恐慌で虐殺されようとしているのだ。
かつて学校は人間が従順な殺人マシーンになる事を正義と教える場所だった時代を忘れるべきではない。
マスコミの政局論は政局論が自己目的化してあまりにも閉じている。
国民は家畜になってはいけないし、政治家の掲げる正義を疑わなければならない。脳味噌があるならば。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK138掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。