http://www.asyura2.com/12/senkyo138/msg/296.html
Tweet |
JBpress>日本再生>国防 [国防]
日本を窮地に追いやる危険な政治家たち
詭弁を弄さず真実を語れ!
2012年11月05日(Mon) 久保 善昭
本年、日中国交回復40周年を迎えたが、4月の石原都知事の「尖閣諸島購入」発言から始まって友好ムードは霧散し、両国関係は悪化の一途をたどっている。
特に、9月、魚釣島、北・南小島の国有化決定以降、一挙に中国の態度は硬化し、反日デモ、その暴徒による日系企業、店舗の破壊・放火などが生起した。
「盗み取った」発言を許していいのか
国連で演説する野田佳彦首相〔AFPBB News〕
また尖閣諸島には中国公船(漁業監視船、海洋調査船)による執拗な領海侵入、加えて台湾漁船の侵入など緊迫した状態が続いている。
さらに野田佳彦首相の出席した国連総会では、中国側から「日本は尖閣諸島を盗み取った」という非礼な発言が繰り返された。
このような中国に対し、日本政府は「大局感をもって意思の疎通を図り、冷静に理性的に品格ある対応をする」との態度に終始している。
これは一見して国際社会における成熟した国家の対応に見えるが、「そうせざるを得ない受動的な国家戦略を、あたかも主動的である」と真実を隠し、糊塗している。まさに国民を欺く詭弁である。
我が国は、戦争放棄の憲法に従って「国際紛争解決に武力を行使せず、威嚇を行わず、そのための軍隊を保有しない。ただし、憲法解釈上、自衛のため、必要最小限度の実力(戦力ではない)を保有する。集団的自衛権を有するが憲法上行使しない」としている。
憲法に基づく日本の国家戦略は、端的に表現するならば「国家の安全は世界の信義に委ね、富国軽兵、有徳の国家を目指す」であろう。
この戦略は、民族、宗教、文化、政治体制、経済規模など多種多様な190を超す国家が混在する国際社会では、理想主義的もっと厳しく言えば空想的な面がある。
我が国の指導者は、この戦略をもって国際社会で生存してゆくには「大きな忍耐」を要すること、場合によっては「国民の犠牲」を伴い「国家の存立すら危うくする」負の側面があることを率直に語るべきである。
北朝鮮による邦人拉致問題、その象徴である「横田めぐみさん」は13歳で拉致されて35年、今年48歳になる。本人の苦痛はもとよりご両親の心痛は涙なくして語れない。
国土防衛の意識がまるでないオスプレイ配備反対世論
米空軍が所有するオスプレイ〔AFPBB News〕
1人の、いたけない少女すら守れず、さらに長年にわたって帰還させられないのは国家の責務を放棄している。
北方領土、竹島の不法占拠、今般の尖閣問題では、相手国のペースで事態が推移し、ただ指をくわえて傍観しているにすぎないと言われかねない状況にある。
またオスプレイ配備では日本を含めたアジアの抑止力たる米海兵隊を忌避する世論を合理的に説得できない。
米国の核の傘は反米、親米の立場を問わず、日本の安全の基盤になっていること、日米安全保障条約は米国の国益にかなう限り有効であり日本のためのみの条約ではないことなど、我が国の政治家は、冷厳な真実を語らず、さらに実効ある行動も起こしていない。
アフリカの草原で穏やかに暮らすゼブラ(しま馬)の群れは、ライオンに襲われた時、通常は、老いた馬を囮にして逃げ、群れ全体の安全を保つという。
ただ、子馬や雌馬が狙われた時は、その周囲に若馬がバリアを築きライオンを撃退するという。この話に我が国の生存戦略に関する寓意を感じる。
尖閣問題で「冷静な対応」について有力な政治家の発言があった。
「無人の小さな島々のために互いに争いアジア情勢、安全保障、経済などの関係を不安定にしてはならない。戦略的互恵関係を育てねばならない」
これは、うわべを取り繕う、まさに偽善そのものであり、大いなる誤りである。たとえ、小さな島々であっても、領土は国家主権の基本であり「徹底的に争うべき」ことである。
国際法上、歴史上の観点から、当事国同士で議論し、必要ならば国際機関、国際世論に訴え、判断を委ねればよい。
最後の手段として、実効支配を狙う不法上陸などが計画的に反復されるようであれば、自衛権を行使するという凛とした態度を示さねばならぬと考える。自ら努力せず、米国の安全保障条約の適用範囲であるという発言に安住してはならない。
毅然とした態度を取ったマーガレット・サッチャー
英国の鉄の宰相、マーガレット・サッチャー元首相〔AFPBB News〕
尖閣諸島事案に関連して、1982年に生起した「フォークランド紛争」における英国マーガレット・サッチャー首相の決断を思い出す。
アルゼンチン軍事政権のフォークランド島の不法占領に対し、敢然と空母を含む戦力を投入し、その奪回を図った。
フォークランド諸島は英国本土からアフリカ東部を周り、はるかに離れており地理的にはアルゼンチンに近接する地域であったが、住民の帰属意識は英国であった。
それを尊重したサッチャーは、陸海空軍を派遣し、海軍艦艇などの犠牲を顧みず断固奪回作戦を遂行した。その後、両国は1989年国交を回復し、領土問題の火種は残るものの、現在は諸島周辺の資源開発で協力する関係になっている。まさに「争うべきことは争い、協力すべきは協力する」である。
サッチャーは国家主権、領土、国民の生命財産、国の伝統、文化などの国益について明確な理念を持ち、毅然と難局に立ち向かい、国民に真実を語り、英国再生のため行動した政治家である。
顧みて、我が国では「高度福祉国家」「国民の生活が第一」などの甘言が横行しているが、肝心の国家、あるいは国民が国際社会で、いかに生存すべきかという国家戦略を語り、そして行動するリーダーが皆無に近い。
我が国の将来のため、真実を愚直に国民に語りかけ、信念を持って行動する熱き政治家の出現が不可欠である。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36401
JBpress>ニュース・経営>政治 [政治]
「第三極」結集を呼びかける石原氏の痛々しさ
新鮮味も躍動感も感じられない石原新党
2012年11月05日(Mon) 筆坂 秀世
石原慎太郎氏が東京都知事を辞職し、「たちあがれ日本」の代表に就任するという。石原氏という人物は、毒のある政治家だが、他には見られない魅力を持った政治家でもある。東京都政のことを詳しく承知しているわけではないが、ディーゼル車規制、銀行の建物面積や従業員数に着目して税収を図る銀行への外形標準課税の導入、中小企業への無担保無保証融資を専門とする新銀行東京の設立、官公庁会計を単式簿記から複式簿記に変更する公会計制度改革、世界最大規模の東京マラソンなど、トップダウンによる思い切った政策がいくつも実行に移された。確かに新銀行東京は杜撰融資で失敗したが、中小企業金融を円滑化させようという意図が間違っていたわけではない。
東日本大震災で発生した福島第一原発のメルトダウン、建屋爆発事故や市原コンビナート火災でも東京消防庁が消防・防災活動で大きな貢献をした。被災地のがれき処理でも、東京都は真っ先に受け入れを表明し、実行に移した。「さすが首都東京だ」と多くの人々が拍手を送った。
尖閣諸島の東京都による買い上げ構想も、決して間違った方針ではなかった。結局のところ尖閣は国有化され、日中間で大きな摩擦を引き起こしたが、その原因は中国側にある。
東京都というのは、予算規模が韓国の国家予算並みの12兆円、職員数は17万人と桁外れに巨大である。その経済規模はGDPベースではカナダを抜いて世界第9位にあたる。この力をバックにしていたからこそ、石原氏はトップダウン方式で様々な施策を実行できたし、その個性も存分に発揮できたはずだ。
その地位をわざわざ捨て去って、なぜ国政に転身しようとするのか。東京都知事というのは、首都の顔であり、その政治的地位は首相に次ぐものと言ってよい。このバックボーンがなくなった石原氏に、果たして魅力はあるのだろうか、果たして力はあるのだろうか。
「たちあがれ日本」の会合で、石原氏本人が「『暴走老人』はいつ死ぬかもしれない」と語ったそうだが、その姿は私には一老人にしか見えなかった。
前途多難な第三極づくり
石原氏は、自民党、民主党に次ぐ第三極をつくることに躍起のようだが、その姿にも痛々しさを感じてしまう。
石原氏ほどのキャリアを持った政治家が、日本維新の会の橋下徹氏やみんなの党の渡辺喜美氏など、はっきり言って大人と子供ほどの、キャリアの違う政治家に、連携を求めて秋波を送っているようにしか見えないからだ。だがその橋下氏は、「石原氏個人とはやりたいが、『たちあがれ日本』のメンバーとは感覚的にも世代的にも違う」と冷ややかだ。
みんなの党の江田憲司幹事長も、石原氏が「大眼目は官僚による硬直した日本支配を壊すこと。原発政策や消費増税への対応は大事だが、ささいな問題だ」「薩摩と長州は戦争したが、倒幕して近代国家をつくるため大連合した」と表明したのに対し、「消費税、原発の問題は決して小異でない。現下の最重要課題だ。こういう問題をゆるがせにして連携することはありえない」とはねつけている。
石原氏は、自分が呼びかければ維新の会もみんなの党も第三極連合に乗ってくると高を括っていたのかもしれないが、現実はそう甘くない。
銀行への外形標準課税でも、銀行側が訴訟に持ち込み、合法ではあるが税率が高すぎるとして一部返還を余儀なくされた。築地市場移転問題も依然として強い反対運動に直面している。もともと石原氏は、トップダウンを常としており、根回しなどは上手くない。もし石原氏が、もっと根回しや下準備が上手なら、知事辞任前にもっと魅力ある石原新党を立ち上げていたであろう。
平均年齢70歳を超える新党にブームは来るか
「たちあがれ日本」は石原氏が代表に就任し、党名を変更するという。「石原新党」というが、実は新党でも何でもない。もともと「たちあがれ日本」という党名は、石原氏が命名したものであり、平沼赳夫氏らと立ち上げた政党だからだ。
同党に所属する国会議員の年齢を調べてみると、代表の平沼氏が73歳、幹事長の園田博之氏が70歳で、この2人が衆議院議員である。参議院の側は、参議院代表の藤井孝男氏が69歳、同幹事長の片山虎之助氏が77歳、同幹事長代理の中山恭子氏が72歳である。平均年齢は70歳を超えている。ここに80歳の石原氏が加わるわけだ。
年齢が高いことを非難し、揶揄するつもりはないが、いかにも新鮮味に欠けることは否めない。橋下氏が「世代的にも、感覚的にも違う」と言うのも当然である。しかも中山氏を除けば、ほとんどが20年、30年と国会議員を続けてきた面々だ。その面々がいまさら何を変革するというのか。だったらいままで何をしてきたのか、と言いたくなる。
新党が立ち上げられたとき、その政党が躍進するかどうか、何かしら予感がするものだ。1976年に河野洋平氏や西岡武夫氏らが新自由クラブを立ち上げた時には、「この政党は躍進する」という予感があった。92年に細川護熙氏が日本新党を立ち上げた時も同様だった。小沢一郎氏や羽田孜氏らが新生党をつくったときもそうだった。だが石原新党には、その予感がない。
第三極とは何なのか
自民党でもない、民主党でもない、それが第三極ということなのだろうが、しかし、第三極だけで政権を奪取できるのだろうか。日本維新の会、みんなの党、石原新党の3党で衆議院の過半数を確保できるとは到底思えない。民主党との連携を考えていないとすれば、自民党・公明党と行動を共にするしかない。日本維新の会も公明党が小選挙区候補を立てるところは、候補者を擁立しないと決めるなど、良好な関係を築いている。
だがいまの世論調査などを見ていると、自民党が相当に議席を伸ばす可能性がある。民主党が激減することも間違いない。第三極に出番があるとすれば、自民党、公明党で過半数確保ができなかった時ということになる。とするなら結局、自民党の補完勢力になるだけという可能性もある。
石原氏は、大嫌いな社民党、共産党、小沢一郎氏とは手を結ばないと公言している。しかし、維新の会ともみんなの党とも連携できなければ、第三極どころではなくなる可能性すらある。
「小異を捨てて大同につく」は間違い
連立、連合を組む場合に、よく政策が一致しなければ野合であるという批判や「小異を捨てて大同につく」ということが言われる。しかし、政党が違えば、政策や理念で違いがあるのは当然のことである。政策が一致しなければ、連立も連合もしてはならないなどというのは、連立や連合の意味を知らない議論である。
この言葉は、中国の格言「求大同、存小異」からきているそうで、「小異を残して大同につく」というのが正しい。違う政党が連立、連合する場合、多くの違いがある。違いを捨てるというのは、事実上、その政党の解党を意味することになる。最近の新党は、綱領らしい綱領も持たず、最初から政界再編を視野に解党することも想定されている、にわか政党が多いが、まともな政党なら小異を捨てることなどできない。
ただ違う政党が連立や共同戦線を張る場合、本当に残すのは「小異」だろうか。私は場合によっては、「大異」を残して大同につくというのが、連立や共同戦線を張る場合の基本だと思う。
「悪魔」とも手を握った野中広務
このことを一番よく理解している政治家が小沢一郎氏だと思う。政権を奪取するためには、あるいは守るためには手段を選ばずということだ。
石原氏は、最初から「小沢は嫌いだ。共産党も嫌いだ」と言って遠ざけてしまった。しかし、小沢一郎氏ならプラスになると思えば、石原氏とも共産党とでも手を組むことを厭わないだろう。
かつて小渕内閣の官房長官だった野中広務氏は、「小沢と手を握るぐらいなら政治家を辞める」と言うほどの小沢一郎嫌いだったが、自民党が衆議院で単独過半数を割っていたため「悪魔とも手を握る。ひれ伏す」と言って、自民党、自由党の連立に踏み切った。小沢氏も、野中氏の「自分嫌い」など気にもしなかった。
中国でも、蒋介石率いる中国国民党と毛沢東率いる中国共産党は、それぞれの窮地を脱するため2度にわたって国共合作に踏み切った。石原氏が、本当に第三極をつくりたいなら、これぐらいの度量と戦略を持つべきであろう。好き嫌いで大連合などできない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36460
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK138掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。