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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121101-00007543-president-bus_all&p=1
プレジデント 11月1日(木)8時30分配信
■橋下市長率いる維新の会、 支持率凋落の原因は何か
橋下徹氏率いる大阪維新の会の支持率凋落が激しい。私は大きく期待をしていたほうだったが、維新の会に群がった国会議員や有識者たちのあまりにも残念な顔ぶれを見て有権者が離れていったのだろう。
「生活保護の不正受給は許せない」「大阪市のバス運転手の給料が高すぎる」などと、どんな相手でも反論できないことだけをずっと発信していればよかった。わざわざ「竹島を共同管理に」などと、どう考えても反発がきそうなことを発言するのは、自分が未熟で幼稚な政治家だとさらけ出しているようなもの。ここは「激しい憤りを感じる。政府には早急に明確な実効性の高い対応を求めたい」などと具体性の一切ないものでお茶を濁しておくべきだ。声を荒らげる・机を叩くなどの演出を入れるとテレビなら誤魔化せる。
今後は、絶対に勝てる論点・相手を見極めたうえで(行政全体から見ればまるで大したことがない課題でも)論戦を挑むという初心に帰るしかないだろう。
ご同情、申し上げる。
そんな橋下氏が、次に旗印として掲げそうなのが「道州制」だ。維新の会につられるように、各政党も力を入れはじめた。
その内容は、明治維新以来の中央集権的な国家体制を否定し、外交・防衛といった「国」にしかできない仕事以外は、地方に委ねるというものだ。首長出身者が多く集まる維新の会にとって選挙向けに都合がよい政策といえる。とはいえ国民がこの問題について関心があると思えないのが橋下氏にとって頭の痛い問題だろう。
維新の会が発表した「維新八策」では、一番目に登場する「統治機構の作り直し」の理念として、中央集権型国家から地方分権型国家へ、と書かれている。具体的な道筋としても「道州制を見据え地方自治体の首長が議員を兼職する院を模索」して、道州制が最終形とまとめている。
しかし、この維新八策の「最終形」という道州制と橋下氏の最大のテーマである大阪都構想は、日本や大阪の経済成長にはつながらないことは当事者が認めていることだ。
橋下氏や維新の会は、かつて大阪都構想について大阪経済の低迷を打破するものだと主張してきた。たしかに府と市が一体化して、都となった場合、行政の無駄が省かれるというメリットはあるかもしれない。しかし、国だろうと地方自治体だろうと、行政の歳出が減れば、国やその地域の景気が悪化するのは経済学では自明の理である。もし維新の会の言うように、都構想や道州制が行政のムダを省くものだとしても、景気対策・成長戦略には決してならない。実際に大阪府自治制度研究会において、「経済と大都市制度の因果関係を明確に論証することは困難」という結論に至っており、少なくとも府市がバラバラだから景気や成長を下降させたわけではないことがわかる。
橋下氏が都構想を実現したいのは、自分の大阪府知事時代の失政を隠したいからだ、とまでは言わないが、実際に隠し通せる可能性があることも指摘しておく。本連載では以前に指摘したが(>>記事はこちら)、華々しい発言の裏で、大阪府知事時代に橋下氏は「臨時財政対策債」を大量に発行し、府の借金を大幅に増やしている。一方、大阪市は平松邦夫前市長のもとで在任中ずっと借金を減らし続けた。
客観的に財政状況を分析すれば、統治能力に優れているのは、橋下氏よりも平松氏といえるのではないか。そして都構想が実現できれば、自身が悪化させた府の財政を、大阪市の財布に手を突っ込むことで誤魔化すことが可能になるのだ。
■道州制のユーロで起きたこと
維新の会の政策とは、その場しのぎの人気取りとそれを取り繕うための言い逃れの繰り返しだ。大阪府の行政が思うようにいかないのは、府と市がうまくいっていないからだ、と府知事を辞め市長になる。市の行政がうまくいかないのは、国が悪いからだと今度は国政を目指す。いつまでも結果が出ないままでも自己を肥大化させることのできる便利なレトリックである。
では、橋下氏の掲げる「道州制」を導入すると日本はどうなるのか。
道州制のイメージはつかみづらい。日本が目指す「道州制」に近いのはEUであろう。
オランダと九州を比較してみる。人口は、オランダ1700万人、九州1300万人。面積はオランダが4万2000平方キロメートルで、九州とほぼ同じだ。
ヨーロッパでは、バラバラの国だったものをひとつにした。貨幣を統一し、経済交流を自由化させたが、中央政府の機能はほとんどない。逆に日本では、ひとつの国をバラバラにしようとしているが、経済的な観点でのゴールは一緒だろう。
しかし最近の欧州危機でわかったのは、景気のいいときは欠陥が見えないが、道州制は遠からず破綻することだ。いま欧州で起きているのは、ギリシャのような貧乏な州を、ドイツのような金持ちの州が助けないといけない。しかし、強力な中央政府が存在していないため、調整ができず救済が困難になっている。貧乏州がますます貧乏になり格差が広がっていく一方で、金持ち州の足を引っ張り続けるという構造だ。
日本でも貧乏な州(例えば東北州)が窮地に陥ったときに必要なのは、強力な中央政府の存在である。しかし、そもそも強力な中央政府を解体することが道州制導入の目的だったはずで、州の間の調整ができるのなら、中央政府は矛盾した存在といえる。
外交と防衛以外の行政機能をすべて地方に移すのは、はっきり言って無理である。むしろ、徹底的に中央集権を強化して弱い産業を外国から保護し、強い産業を伸ばすのが国家の役目ではないか。
■道州制で日本は墓穴を掘る
道州制を叫ぶ識者は「経済活動が広域化するなかで、県単位で行政をするのは無理」と言う。逆に「きめ細かい住民サービスをするのは現状の統治機構では無理」と言う人もいる。
この矛盾ともとれる指摘に共通するのは、「州」のような中途半端な大きさの行政府をつくることが一番の無駄であるということ。県の権限をほぼなくして国と市を強化するか、県同士が問題ごとに連携を強化したほうが解決は明らかに早い。
県同士の連携に疑問を持つ声もあるが、では州と州の境界で起きた問題や境界をまたぐ問題を道州制ではどう処理するのか。道州制論者は、自分たちの現在の行政システムへの批判がそのまま自分たちに跳ね返ってくることを理解できないのだろうか。道州制は不要な混乱を巻き起こし、維新の会・みんなの党をはじめとする成り上がりものたちに、自己肥大化のチャンスを与えてしまう。
実際に世界の潮流もアンチ道州制といえる。道州制をはじめたアメリカでも法改正が行われるたびに中央集権的な国家に近づいている。分権的な方向での法改正はほとんどない。
ヨーロッパでも強力な中央政府をつくるか、道州制をやめるかの議論になっている。中途半端な行政体をつくるデメリットをやっと世界が理解しはじめた。日本は、世界の流れに逆行して自分の死体を入れる墓を一生懸命掘っている状態なのだ。
※すべて雑誌掲載当時
小泉純一郎元総理大臣首席秘書官 飯島 勲
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