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2012年10月31日 世相を斬る あいば達也
まずは、今さらのようだが小沢の新党「国民の生活が第一」の基本政策及び3つの緊急課題をあらためて読んでいただきたい。
≪ 「国民の生活が第一」の基本政策
私たち『国民の生活が第一』は、すべての国民が「自立と共生」の理念のもとで、「いのち」を大切にし、安心、安全で、安定した「暮らし」を送ることができる社会を追求します。
日本ではいま、子どもたちがみずから命を断つような教育現場があり、また、自然災害や原発事故で住みなれた地域から避難を余儀なくされ、故郷を失う悲しみを、多くの人びとが経験しました。働きたいのに働く場を与えられない人が多くなる一方で、額に汗して働く人たちが「報われない」との思いを抱くのはなぜか。私たちは、その原因に、戦後日本の政治、行政、経済、社会の有りようが多かれ少なかれ関わっていると痛感しています。その責任から、今の与党も前の与党も、逃れることはできません。だからこそ、その仕組みを一新し、根本から立て直すための不断の努力を続けなければならないのです。
国民のすべてが、みずからの将来に夢と希望を取り戻し、誇り高く暮らせる日々を実現していくために、私たちは「いのち」と「暮らし」と「地域再生」をキーワードに、以下の政策課題を実現してまいります。
3つの緊急課題
1“いのちを守る”、「原発ゼロ」へ!
2“生活を直撃する”、消費増税は廃止!
3“地域のことは地域で決める”、地域が主役の社会を! ≫ (国民の生活が第一HPより抜粋)
以上、「国民の生活が第一」の全文に流れている心は、共に助けあい農作物を収穫した、或いは漁をした人々の日本人の伝統文化生活様式に中に骨太に生き続けるものである。勿論、都会に住む人間や時代の先端産業で生きる人々の場合、ハタと立ちどまり考えないと気づかない心なのだが、それが日本人の原型なのである。今日のコラムは、政治と云うよりも社会学的な観点からの考察なので、人によってはツマラン!ものかもしれない。しかし、小沢一郎と云う人を政治家としてだけではなく、人間として見つめるとどうなるかと云う視点で読んでいただきたい。
10月26日付の拙コラム「21世紀は女性の世紀なのかもしれない 生物学的には“先祖返り” ということだが」 http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/a8aa802f5ee45899902d6bbf397a3898 はテーマが唐突過ぎたせいか、反応が今ひとつだった。小沢一郎の性癖を真似たわけではないが、思考の経緯を抜きに結論を、少々大袈裟に語った。実は、チャンと経緯はある。小沢の09年以降の視線の中に“女性を活かす社会”と云う精神が色濃く生まれているのではないか、と云うひらめきで、それ以降の小沢一郎を見つめ直すと、そのひらめきを指し示す多くの材料に出遭える。
「自立と共生」と云う概念を自然に受け入れる体質を持っているのも女性の側だろう。おそらく、男の場合、何度となく反芻し、考えた結果、同意するようなプロセスが必要な気がする。これはあくまでも筆者の感想であり、万人に通用するとは思わないが、日本の男社会独特の“らしさ”の観念は多くの男どもを縛りつけ苦しめている。しかし、野放しな弱肉強食社会だと言われる自由主義的金融資本主義の増長は、長い目で見れば99%の貧困を産む。分厚い中間層の構築目標とは相いれない要素を持っている。
つまり、経済的貧困層とまでは行かなくても、年収2〜300万層が国民の多くになった場合、日本社会が持つ、男の経済的優位性は崩壊する。このレベルに至る社会においては、男だけが外界に出て収入を得てくる役割分担の思想の根底が崩れる。既に、若者世代では、その予行演習がなされているようにも見える。26日のコラムで書いたように、日本女性の世界と伍して活躍する姿はめざましいものがあるのに、世界経済フォーラムから毎年発表されている世界各国の男女格差に関するレポート(ジェンダー・ギャップ指数)で、我が国は調査対象135カ国中101位と云う名誉ある地位にいる。
調査の対象項目が表層的にならざるを得ないので、甚だ不本意な順位になるのは仕方ない。世界の標準から考えた場合、実質家庭の大蔵大臣が女房であると云う事実は評価の対象ではない。あくまで、社会を構成するカウント可能な項目においてであるが、家庭内の実権がどうのこうので、その国家が持つ国力を評価は出来ない。やはり、女性がどれほど社会に進出し、尚且つ男女平等を包含出来ているかどうかが重要になる。
26日コラムで
≪……或る意味で、男社会中心に築いてきた社会制度や政治体制が突破出来ない巨大な壁に進路を阻まれている今、女性が世界の閉塞を救ってくれる可能性は結構あるのではないだろうか。 “清濁併せ呑むと”云う表現があるが、筆者の感覚からすると、女性は“清濁併せ持つ”ことが自然に身に就いた生き物のような気がしている。男は、必死なって併せ呑むのだが、女性は一時に併せ持つことが可能なのではないだろうかと、フト思う。あくまで想像の範囲だが、出産と云う大事業と育児子育てと云う難行苦行に耐えうる心身を 兼ね備えているのではないかと云うことになる。時に、女性は出産子育てに家事全般、そしてワーキングマザーたりうる。人間の一生で、これだけの難事業をこともなげに(事もなげではないかもしれないが)こなせる女性と云うもの、男の視点から見ると、実は怖ろしく凄いことなのである。 男の場合、仮に出産は別にして、それ以外のことを女性側に放棄され、忠実に彼女ら通りのことを行おうとした場合、おそらく人生の何かを犠牲にするしかない不器用さを発揮する。ある男は発狂するに違いない。しかし、女性はそれを難なく受け入れる心身の度量がある。この動物学的力量の差は歴然としており、ジワジワ と女性の力が社会を構成する主体なり得る可能性を秘めているのではないかと思う今日この頃だ。……≫ などと書いたのだが、日本の閉塞感がこれ程までに強靭で、政府や日銀が束になって掛かっても、ビクともしない閉塞不況の元凶は、この国民の5割を占める女性の力を男社会が拒絶している所為かもしれない。
考えてみると、国民の5割を占める女性の力を押しこめ、わが世の春を謳歌しようとし続ける男社会への警鐘かもしれない。小沢一郎が筆者と同じことを考えたとは思わないが、結果的に、女性を重用する姿勢は堅持しているどころか、ますますウィングを拡げようとしている。自立と云う次元でみると、生活の上で自立しているのは女性の方である。男は役割分担と云う逃げ口上に終始している。共生と云う次元も、女性にとって過ごしやすさがある。その基本理念から、3つの緊急課題を展開する「国民の生活が第一」だが、1の“いのちを守る”、「原発ゼロ」へ!と2“生活を直撃する”、消費増税は廃止!の課題提示も、主に女性に訴える力の方が勝っているだろう。反原発に立ち上がる女性の活躍も目を見張るものがある。
日本のマスメディアのクズどもは、“小沢ガールズ”などと、自分らと同様な芸能レベルに、話を落としこんで面白可笑しく書いているようだが、さにあらずである。これからの日本の少子高齢化社会を乗り切る為には、男社会分野の垣根を乗り越えた女性の登用が欠かせないポイントの一つになる。社会的にも、経済的にも、これからは女性が役人が用意するお仕着せの男女雇用均等法などをせせら笑う勢いで社会への参加を描く小沢と云う政治家、只モノではない。その点で、脱原発、消費税廃案は正鵠を得ている。直近の政治課題と世紀を跨いだ挑戦的政治理念になっている。
政治的意味合いで、この小沢の着眼点をみると、若者と女性、そして地方に住む人々と云うターゲットが見えてくる。たしかに、掴みどころのない対象者に訴える怖さはあるが、理論的にも、時代的にも正しい筋の通った考えだと思う。小沢一郎は敢えて、官僚支配を悪しざまに貶さない。国政に長く関与した人間だけが知り得る、官僚の怖さを熟知しているのだろう。ただ、方向的な誤謬は、王道沿って、軌道修正させるのが王道と心得ているようだ。喧嘩を吹っ掛ければ威勢はいいが、得るものがナッシングでは、世直しの意味合いはなくなる。
多少の時間は要するだろうが、徐徐に小沢の緊急課題の意義は、有権者に浸透する。出来れば、今後2,3ヶ月程度の時間の余裕は欲しいところだ。石原の線香花火はいずれ萎むだろうし、橋下の化けの皮も、まだ2,3枚はがれそうだ。乞うご期待と云うところだが、今夜は女性の存在、その活用の道について、社会・政治的意味合いを、小沢“生活”の基本理念と緊急課題から推察してみた。 ≪……『国民のすべてが、みずからの将来に夢と希望を取り戻し、誇り高く暮らせる日々を実現していくために、私たちは「いのち」と「暮らし」と「地域再生」をキーワードに、以下の政策課題を実現してまいります。』≫ 野田の“明日への責任”連呼の所信表明演説が如何に惨めな内容との対比が面白い。
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