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放言失言・・・ベルルスコーニ、石原、橋下三氏の共通点
アドリブ「天賦の才」で国を滅ぼすな
2012年10月31日(水) 伊東 乾
前回に引き続き、大阪市長発言などを例に民主主義のシステムがテレビ衆愚主義に堕ちてはいけない、という話を準備していたのですが、そこに石原慎太郎東京都知事の知事職投げ出しの報があり、まず一通り呆れ果てました。
そこで、都知事投げ出しを経由して「テレビ視聴者健忘症」的な社会の反応が世の中をおかしくする、それはいけない、という論旨を記そうとおもっていたところ、さらに飛び込んできたのがイタリアのベルルスコーニ前首相への禁固4年の一審実刑判決の報でした。
橋下氏、石原氏、そしてベルルスコーニ氏・・・たまたま近日ニュースをにぎわした名前を3つ並べてみると、ある共通点が浮かび上がってきます。それは何か? むろん、いまベルルスコーニ氏が問われているような犯罪云々ではありません。もちろん、たとえば東京都政でもオリンピック招致関係などでよくわからない巨額支出などあるようですが、これは別論としましょう。いまここでは、メディア上でも明らかな、ある共通点を指摘しておきます。調子のよいアドリブのトークと、それに伴う差別や偏見に満ちた失言、放言の数々です。
ベルルスコーニ発言の「当意即妙」
石原氏の知事辞職と新党立ち上げの報が届いた翌10月26日、イタリアのミラノ地裁はシルヴィオ・ベルルスコーニ前イタリア首相(76)の所有する企業「メディアセット」の巨額脱税事件をめぐり、禁錮4年、公職追放5年という厳しい一審実刑判決を下しました。
判決文は極めて厳しいもので、ベルルスコーニ氏には「犯罪について天賦の才がある」と断じています。これに対してベルルスコーニ氏はメディアの前で激高してみせ、政治的な判決だ、信じられない、断固戦う、などとしているようですが、イタリア報道の大方の観測は、あれこれのパフォーマンスと上訴で審理を長引かせ、その間時効の成立に持ち込もうとする戦略であろう、といたってクールです。
さて、このベルルスコーニ氏といえば、巨万の富を自由に操る億万長者であること、マフィアその他との関係も取りざたされるなど、ゴシップのタネが尽きない印象がありますが、第一に思い出すのが、芸人のように調子のよい彼のトークと、これに伴うアドリブ的な数々の失言・放言です。
かつてドイツで新聞を眺めていて、一定の頻度でベルルスコーニ氏の放言・失言が格好の話題を提供していたのを思い出します。彼が犯罪に天賦の才があるかは知りませんが、トーク・アドリブで効果的にイタリアのマイナスになる発言を連発する才能は間違いなく持っていました。
たとえば、差別関係はもうオンパレードで
「なんて名前だったっけ、あの日焼けしている男は・・・あ、バラク・オバマ」
「私はオバマ大統領より青白い。だって仕事で忙しく日光浴していないからだ」
といった人種差別から
「毛沢東時代、中国では赤ん坊を茹で、肥料にしていた」
といった東洋人蔑視まで、もう枚挙の暇がありません・・・そういえば日本でもシナとか第三国とかいろんな表現をする人がいましたが・・・。
女性差別もすさまじい。ジェンダーや性的な話題についても失言は山のようで、同僚であるはずの女性議員に対して
「あなたは知的というより美しい女性」
と発言して女性10万人の抗議署名の運動を引き起こしたそうですし
「イタリアは美人が多く、レイプをなくすのは不可能」
「美女に熱をあげるのは、ゲイになるより立派なことだ」
などなど、性犯罪関連や同性愛関連でも安易なトーク、大衆受けしそうな蔑視的ギャグをアドリブで連発し、人権擁護団体に日常的に抗議されてきました・・・まあ、日本でも類似の発言をした政治家の顔や名前が思い出されます・・・。
テレビ受けする「話芸?」の数々
2009年4月6日にイタリア・ラクイアで発生した地震に際しては、被災地現地を訪れ救護に当たっている国際赤十字の黒人職員に
「あなたもいい色に焼けてますね。私もあなたのようになりたいものです」
と発言して物議をかもし、仮設住宅入居者に声をかければ
「週末のキャンピング感覚で過ごして頂きたい」
と述べ大問題となりました。
こういうトークは記者会見その他公の場でしばしばなされ、当人はメディア受けするアドリブと思って発言してしまう。この辺に、一部日本のタレント政治家に通じるものを私は感じます。日本でも、震災に際して「天罰」とか発言して、直後に謝罪した人がありました。口先で謝罪しても、アドリブで出てくるものがその人の本音であろう、と普通多くの人はみるでしょう。
そういえば同じイタリアでは地震を予知できなかったとして科学者が有罪判決を受けたという報もありました。いろいろな意味で国が荒れている感を持ちます。そういう社会にしてしまったのは政治の責任そのものと思いますが・・・。
あるいは過去の歴史認識にもベルルスコーニ氏はきわめて問題があります。サダム・フセインと比較してイタリアのファシスト政権を引き合いに出し
「ムッソリーニは政敵を殺したり引退させたりしない。離島に追放しただけ」
と述べ、自分を批判したEUのドイツ人議員に対しては
「ナチスの収容所映画で看守役に向いている」
と、ドイツで一番デリケートな問題について平気で罵詈雑言を放ってしまう・・・こうなると、もう才能というか、一種の病気のようなものかもしれません。似たような趣旨の発言、残念ながら日本でも目にします。極端な例では憲法を破棄するとか大日本帝国憲法がまだ有効だとか、そんなものもありました。
社会のルールに照らしてありえないこと。それを国内で大衆受けを狙うアピール、ローカルな花火で打ち上げるだけなら、まあ笑い話でもすみます。しかし、国際的な正規の場で正気を疑われる発言があれば、明確に国益をそこねます。領土問題などで職掌と無関係なシュプレヒコールを挙げ、社会経済的に大きなマイナスを引き起こしたケースがあるとおりです。
今以上におかしな日本にしてはいけない
さて、アドリブで言いたい放題のベルルスコーニ氏に戻れば、ご当人は
「私は我慢強い犠牲者。一身を投げ出しみんなのために犠牲になる。イタリア政界のイエス・キリスト」
だそうで、一身を投げうって最後のご奉公とかなんとか言う言葉を最近見た気がしますが、あまりによく似ていて悪い冗談のような気がします。
欧州通貨危機の中でイタリアがどうユーロ圏全体の足を引っ張っているか、といった話は別論としましょう。ただ、こういう、メディアの表面でも目に見えるところでアドリブのミソをつけまくっていた人物が、ひとたび権力の座を離れると、叩けば叩くほどホコリが出て来、前職の首相ながら裁判所から「犯罪に天賦の才能」とまで言われてしまう現実。
他人事としてみるだけでなく、振り返って私たちの未来を考える、先行事例として見るべきと思います。
少なくとも、社会的に成功し財力も持ち、かつ失言放言なども含め一定の大衆人気があった、アドリブ好きの政治家が、せっかく貨幣統合した欧州連合のイタリアで経済をよく育てず、結果的に全欧州に迷惑をかける一端を担いつつ、自らの私企業では巨額の脱税を指摘されていること。
いまここで、どのタレント政治家のどの発言がどう、とはあえて言いません。一つ一つ、あるいは一人ひとりも問題ですが、その総体としての日本の未来が、まずもって重要です。
今以上におかしな日本にしてはいけない、と改めて思う次第です。
伊東 乾(いとう・けん)
1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。
伊東 乾の「常識の源流探訪」
私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20121028/238688/?ST=top
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