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月曜日のテレビ朝日「テレビタックル」を見た。政局の「第三極」の話なのであるが、日曜フジテレビの「報道2001」では、なんと「国民の生活が第一」を呼ばずに番組を作るという挙に出た。さすがにこの番組では党幹事長の東氏を出演させていた。同氏が番組の中でどんなスタンスでどんな発言をするかに興味があったので、つい見てしまった。
話題の中心は当然のことながら石原新党の立ち上げである。しかし、石原氏は「官僚支配打破のために、消費増税、エネルギー政策、TPP問題など瑣末もの(小異)を捨てて大同につこう」と唱えている。しかし、この点からして一番の矛盾だ。消費増税問題は官僚主導の象徴ではなかったのか?この問題が小異である筈がないのである。
しかも、大手メディアは官僚機構と現政権を後押しするように、消費増税をすすめてきた共同正犯である。しかも、自分たち新聞業界だけは増税を逃れようとしている浅ましい姿を晒している。石原氏は平気で矛盾することを言い、メディアはそれを指摘していない。彼らには官僚支配を打破するつもりなどさらさらない、同じ穴のムジナなのである。
「国民の生活が第一」に対するメディアの報道がおかしいと取り上げたのは大竹氏で、同党の結党記念パーティで会場にあふれる大勢の参加者があったにもかかわらず、なぜメディアが報道しないと噛みついた。この番組で彼一人だけが、メディア批判の役回りが振られているように感じる。しかし、あきれたのは、「国民の生活が第一」の名前をだす時は、枕詞として「死んだと思われている(?)」をつける司会者に番組制作の悪辣さを感じた。
注目した東氏の発言は無難と言うか、感情をなるべく平静に保つことを心がけて発言していたと感じた。少し物足りない感もあるが、激して揚げ足をとられるよりいいのではないか。彼らは失態を虎視眈々と狙っている。東氏も「承知の助」である。ちょっと驚いたのが、その東氏に噛みつくように発言した自民党の河野太郎氏。ガソリン税のことでかなり感情的なもの言いであった。ガソリン税の件こそ小異で、あなたの大同は脱原発でないのかと思わず突っ込みたくなった。
同氏が今回の自民党総裁選になぜ脱原発を主張して立候補しなかったのか不思議でならない。心底、脱原発が必要だと思うなら、最低自民党総裁選に立候補、ことによっては離党と言うぐらいの気概を見せるべきではなかったのかと思う。やはり国政を担う政治家ではないとつくづく思った。この人も、父親の庇護のもとでしか活動できない、石原伸晃氏と同類の政治家のようだ。
本論に戻って、このなりふり構わぬ石原氏の動きは、「小沢事件」での検察の行動を彷彿とさせる。陸山会・西松献金事件で起訴できなかった検察は、禁じ手の「検察審査会」を使って強制起訴までなんとか持ち込んだ。もう「小沢裁判」のように小沢氏の動きを阻止する有効な‘カード’が見当たらないのではないか。橋下氏の維新の会も求心力低下が目立ち、みんなの党との連携も硬直状態である。
そこで、もうやることがなくなった石原氏に「できの悪い脚本」で最後のご奉公の‘接着剤’役を演じさせているのではないか。ダメもとで、「小沢・国民の生活が第一」がメディアへの露出を減らし、最低限の目的は達成することはできる。この脚本を書いた人がいれば、その人を探ると面白いことが分かるような気がする。
最後まで見てちょっと後悔したが、この番組の目的はやはり政治や政治家を貶めて、視聴者に如何に今の政治家はダメなのかを喧伝する意図で作られていることを感じる。出演した政治家や評論家は、政界裏話や政敵に対する皮肉が多く、建設的な政治意見を吐く人はいない。4〜50分の番組ではそんなことは元々無理なのではあるが。
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