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週刊ポスト2012/11/09号 頁:32 :大友涼介です。
「若いやつらはしっかりしろよ!」
石原慎太郎都知事は時に独特の笑みを浮かべつつも、約1時間にわたって「国の在り方」を悲壮感を滲ませて語り、国政への復帰を宣言した。老いてはますます壮ん(さかん)。そんな印象を与える熱弁の真意はどこにあったのか。そして、この電撃会見を機に、国民に閉塞感を与えるばかりの日本政治は大きく動き出す。
◆辞任で示した「決死の覚悟」
「憂国の情」を語る様は、自らが製作総指揮・脚本を手掛けた映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』(07年)に登場する、知覧基地から飛び立つ特攻隊員と自らの身を重ねていたのではないか。
10月25日、東京都庁で緊急会見を開いた石原慎太郎都知事は、「今日をもって都知事を辞職することにしました」と述べた後に、毛沢東の『矛盾論』を引き合いに出して、
「矛盾を解決するためには、目の前の背後にあるもっと大きな問題を解決しなくてはならないといっている。まさにその通りだ」
と語った。その「もっと大きな問題」として、尖閣問題や財政問題、教育問題などを挙げつつ「中央官僚の独善」を指摘した。
そして国政転出と新党結成を表明するにあたってのこの一言が印象的である。
「80歳の俺がなんでこんなことしなきゃいけないんだ。若いやつら、もっとしっかりしろよ」
齢80の老政治家の国政再挑戦は、閉塞したこの国の政界に大きな衝撃を与えたことは間違いない。99年の都知事選、前回の都知事選でも見せたように、最後に登場して有権者を惹きつけるのは石原氏の得意な”後出しジャンケン”であるが、今回も減税日本や日本維新の会など地方政党の掉尾(ちょうび)を飾る「大本命」として登場したといえる。
会見では民主党政権への批判を数多く口にしたが、むしろ慌てたのは自民党だった。石原氏は会見で、「今の自民党は評価しない。戻る気もない」と言い放ち、古巣・自民党とは一線を画す姿勢を鮮明にした。
東京選出の自民党ベテラン議員は、「話が違う」と怒り心頭の様子だ。
「慎太郎さんは2年前から新党結成を求められてきたが、息子の伸晃が自民党総裁になる目が残っていたためにこれまで引き延ばしてきた。伸晃が総裁選に勝っていれば新党もなかったはず。石原新党が東京で候補者を大量に擁立すれば自民党と競合する。息子が負けたから新党なんて、我々への意趣返しも甚だしい」
安倍総裁誕生で気勢を上げる新執行部も危機感を露わにする。
「現在の自民人気は、安倍さんが中国や韓国に対して強硬な姿勢を見せてきたことが大きい。それが野田政権の弱腰ぶりとの比較で保守層の支持を得た。
だが、尖閣の購入をぶち上げた慎太郎さんが相手では、明らかに分が悪い。安倍さんのセールスポイントを全部持って行かれる」
自民党幹部はそう吐露して、安倍人気の”薄さ”に不安を募らせた。
自民党から見ればそうだろう。だが石原氏にしてみれば、伸晃氏が総裁選に敗れて幹事長を退任したことで「自民党の軛(くびき)」を解かれ、思い残すところなく「最後の挑戦」に身を投げ出すことができたということになる。
石原氏が今回の行動で示した「決死の覚悟」は、都知事の地位をなげうったことだろう。
新党結成と同時に知事を就任することは、側近にも伏せられていた。
「新党結成を表明することは3週間ほど前から聞いていたが、まさか会見の場で都知事を辞任するとは思わなかった。橋下徹大阪市長のように、首長の座に留まったまま国政政党をつくることもできる。その道を選ばなかったことに決意の強さを感じた」
会見を見ていた側近都議の1人はそう驚いた。
かつて「東京から国を変える」と宣言して都知事になった石原氏が、その東京から国政に攻め上る。その手法は、石原氏を師と仰ぐ橋下氏への重要なメッセージともなっていた。
◆橋下維新とは決裂寸前だった
石原氏は自らの国政での役割について、橋下維新との関係で見逃せない言い方をした。
「橋下さんも国政に出るべき。彼は府知事から市長になるという普通なら考えられないことをやったが、彼なら(市長)1期やれば改革は実現できる」
と、橋下氏の改革姿勢と手腕を高く評価したうえで、
「私はワンポイントだ」
そう言い切ったのである。
石原氏は消費増税賛成、原発推進派であり、その点では橋下氏の政策とは正反対の立場を取る。だが、辞任会見の冒頭で述べたように「官僚の独善に牛耳られた国の統治機構を変える」という改革の基本姿勢で2人は一致している。その石原氏が、「ワンポイント」と語った意味は大きい。
実は、新党の旗揚げについて石原氏は橋下維新と事前に話し合っていた。
きっかけは憲法破棄論をめぐる2人の大論争だった。
石原氏が「占領軍に押し付けられた憲法は改正しないで破棄すべき」という持論を展開したのに対して、橋下氏は「権力者による憲法破棄は絶対やってはいけない一線だ」と反論した。さらに都議会の新会派「東京維新の会」が石原氏に同調して憲法破棄を主張する請願の採択に賛成すると、橋下氏は東京維新との連携を「保留」するなど関係がこじれ、ついに石原氏は10月12日の定例会見で、
「橋下君は間違っている!」
と、語気を強めて批判した。半月前には、石原氏と橋下氏の連携は決裂寸前だったのだ。
その翌日、石原=橋下会談がもたれた。石原新党に合流する平沼赳夫・たちあがれ日本代表が同席し、「西は橋下、東は石原という形でやったらいいのではないか」と間を取り持ったが、橋下氏は「政策が一致するグループでないと、有権者に絶対にそっぽを向かれる」と断ったことを明らかにした。
実は、その会談から関係修復は始まっていた。東京維新の会関係者が明かす。
「橋下代表は憲法破棄の請願の件で非常に怒っていて、日本維新の会から厳しく注意された。ところが、3者会談のしばらく後に大阪から『あの件では石原都知事と話がついた』と処分はなしになり、幹部たちは胸を撫で下ろしていた。石原さんと橋下さんの間で、憲法破棄論争について、何らかの手打ちがなされたのは間違いない。おそらく、意見の違いは棚上げするということで落ち着いたのではないか」
そして10月21日には橋下氏が再び上京し、今度は石原氏と2人で極秘会談したとの情報がある。
「その席で橋下氏は石原さんの決意を聞かされたのだと思う」
前出の「東京維新の会」関係者は、それが2人の関係修復とその後の戦略を確認し合った「起死回生の瞬間」だったと見る。
「石原さんの決意」とは何だったのか。
「彼なら、1期やれば改革を実現できる」という新党結成会見での発言から考えると、石原氏は会談で橋下氏自身の国政進出の意思を探り、橋下氏があくまで大阪での改革を成し遂げてから国政にという思いを持っていることを知って、それなら次の総選挙では橋下氏の代わりに国政改革の先頭に立とうと決断したのではないか。橋下氏がすぐには国政に出ないとなると、維新の国会議員団には到底国政を担える人材がいないのは明らかだ。
石原氏が国政に打って出て中央集権打破の先鞭をつけ、橋下氏が国政に出るのを待って後を任せる。80歳の大ベテラン政治家が若い政治家の出番をつくるためのワンポイントというからには、まさしく、「俺は、君のためにこそ死にいく」という熱い思いが伝わってくる。
◆「石原総理、橋下総務相」の現実味
石原新党の登場で次の総選挙の構図は大きく変わってくる。
これまでは橋下維新が第3極のシンボルとして全国で候補者擁立を進め、維新が民主・自民の2大政党との戦いを一手に引き受ける構図が作られつつあった。
それが、東京は石原新党、北関東や南関東が基盤のみんなの党、東北に強い地盤を持つ国民の生活が第一、北海道の新党大地・真民主、東海の減税日本、近畿をはじめ西日本は維新という具合に、ブロックごとに第3極が民自と戦う「地方VS中央」の構図がより強まる可能性がある。
石原氏自身も新党では「30〜40人」の擁立を考えていると語り、いきなり過半数確保は難しいことを認めている。むしろ、狙いは第3極の盟主として地方政党の連帯をはかることではないか。
石原氏と共闘について会談してきた減税日本代表の河村たかし名古屋市長は、本誌インタビュー(8月3日号)でこう証言している。
<石原さんと会った時(中略)『一緒にやるには政策が違うじゃないか』と問うたら、彼は間髪入れずに『中央集権打破、これで行こう!』と言いました。それで石原さんも違いを乗り越えて組むことを真剣に考えていることがわかった>
河村氏は石原出馬について、「日本は今、中央集権打破やアイムソーリー外交に始まる戦後政治の総決算が求められている。総選挙で地方政党連合が勝てば、日本の自立を訴え続けてきた石原さんが総理大臣にふさわしい」と語る。
そうした第3極連合が民自を圧倒すれば、河村氏がいう「石原総理、橋下総務相、河村財務相」という首長政権も現実味を帯びてくる。
加えて言えば、総選挙が「地方VS中央」の構図とすれば、石原氏の後任を選ぶ東京都知事選は一層重要な意味を持つ。
都知事選は知事辞任から50日以内に実施されることから、12月上旬になる可能性が高い。
石原氏は猪瀬直樹副知事を後継指名したが、選挙戦は大乱戦が予想される。
まず踏み絵を迫られているのが自民党だ。石原氏が自民党に弓を引く形で国政転出を表明した経緯からして、石原氏が”後継指名”した猪瀬氏を自民党がすんなり推薦するとは考え難い状況だが、来年の都議選を控えている自民党都議団には石原シンパが多い。自民党東京都連の議員は「猪瀬氏は自民、公明に太いパイプを持つ。総選挙後の石原新党取り込みをにらんで、自公が猪瀬氏を担ぎ、総選挙に負けたくない民主党が対立候補を立てずに猪瀬氏に相乗りする可能性もある」とみる。
そうなれば既成政党は石原氏に白旗を揚げたも同然だ。
一方、民主党内では「独自候補を立てないと総選挙で総崩れになる」と、野田首相に近い蓮ホウ・元行政刷新相や長妻昭・元厚労相の名前が挙がっているものの、いずれも出馬に消極的とされる。
もうひとつは第3極候補の動向だ。前回知事選で石原氏と戦った東国原英夫・前宮崎県知事が再出馬するかどうかが注目される。維新の会の目玉候補である東国原氏が出馬を見送れば、次期総選挙での「石原新党=維新選挙共闘」がしっかり結ばれていると考えられるからだ。第3極の一部には舛添要一・元厚労相の擁立論があり、出馬すれば一気に有力候補に浮上する反面、第3極連合の形成には不安定要素だ。
また、「12月上旬総選挙」を睨んで綱引きを繰り広げている与野党の解散時期をめぐる攻防も、都知事選挙がそのタイミングとなることから、すでに民自両党では戦略の練り直しが検討されている。まさに総選挙とその後の政界再編を睨んだ打算と思惑が、「石原辞任」を機に入り乱れているのだ。
石原氏が自ら石となって飛び込んだ永田町の水面は、激しく波打っている。
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