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2012年10月29日 毎日新聞
【週刊エコノミスト 11月6日号】
◇山田孝男(毎日新聞政治部専門編集委員)
ニュースとは、思わず「へー」と引きつけられてしまうような事柄を言う。私が思わず「へー」と引き込まれたのは、10月1日の『産経新聞』に載った森喜朗元首相(75)のインタビュー記事だった。
◇伸晃擁立の舞台裏
森は9月の自民党総裁選で、自ら率いてきた清和会(現町村派)の候補ではなく、石原慎太郎都知事(80)の長男、石原伸晃幹事長(55)=(当時)、山崎派=を推した。なぜか。都知事との密約だったからという告白がインタビューのミソだ。
都知事は昨春の4選出馬に、当初は消極的だった。大島理森自民党副総裁(66)=当時=が説得に努めたものの、聞き入れない。そこで森が伸晃を伴って知事と会った。以下、森の回想である。
「『ここで都知事を降りたら党幹事長でもある伸晃君のためにならない。彼の首相の芽はなくなるよ』と僕は言ったんだ。夜中までかかったが、結果として引き続きやるということになった。そのときに都知事は『必ず息子を頼むよ』と。これは党としての約束なんだ。だから総裁選で私には石原さん以外の選択肢はなかった。本当は谷垣、大島両氏も石原君を応援する先頭に立つべきだったんだよ」(産経)
私は都知事の親バカに驚いたわけではない。風評はあった。ただ、知事選出馬なり、自民党総裁選の支援なりという重要な決定が、現実にそのレベルの判断に基づいてなされたこと、しかも経緯が赤裸々に暴露された点が意外だった。
産経報道以後、本稿執筆時点(10月23日)までに都知事の記者会見が3回あったが、森の証言は取り上げられていない。総裁選で自派候補を推さなかった森の作り話と侮られたのかもしれないが、おそらく真実だろう。私は、都知事が別の自民党派閥領袖に伸晃の将来を託した経緯を、同席の関係者から聞いたことがある。その目撃談は森証言を彷彿とさせるものだった。
2007年12月、それまで無派閥だった伸晃が突如、山崎派(山崎拓会長)に入会した。新聞は「山崎が他の派閥後継候補と競わせるために誘った」と解説したが、じつは都知事が山崎に頼んだ。そのころ日本テレビ取締役会議長だった氏家斉一郎(故人)が仲介した。伸晃は日テレの元記者。氏家は伸晃の後援会長。山崎は中曽根内閣の官房副長官時代から氏家と親交があった。
入会に先立って山崎、氏家、石原父子が某所で会食。席上、都知事はこう言った。「オレは天下を取れずに東京都知事で終わったが、息子を頼む。あんたに預ける」。
都知事と山崎も因縁がある。ともに衆院初当選が1972年。自民党公認が取れず苦戦した山崎は、同じく非公認ながら人気抜群の石原の応援を得て滑り込んだ。都知事は会食の席で35年前の福岡県での応援演説の地点、演説の中身、聴衆の反応まで回想してみせたという。
著名な政治家といえども人間である。子を思う父の情をあざけり、ミもフタもない暴露にふける意図はない。ただ、かねがね憂国の至情を傾けて壮語してきた人だけに、公私のけじめに人一倍厳しくあってほしかったという思いはある。
亀井静香前国民新党代表(76)が、都知事を盟主に見立てた新党構想を発表したのは昨年11月25日だった。「大阪維新の会」「たちあがれ日本」との連携が取り沙汰された。都知事がワシントンへ出向いて尖閣諸島購入の意向を表明したのが今年4月17日(日本時間)。野田佳彦首相と都知事の協議を経て9月11日、尖閣国有化の閣議決定がなされた。
中国政府は「野田首相と都知事の出来レース」と批判している。都知事の一連の言動は、現行憲法を廃棄し、核武装するという計画の一環なのか。「石原新党」と尖閣購入宣言と令息の総裁選出馬はつながっているのか。すべて噛み合っているのか。都知事をよく知る自民党の派閥領袖に聞くと、こう答えた。
「いや、噛み合わんです。親子の情愛ですよ、あの人は。伸晃が(自民党)総裁になり、総理になるというのが彼の夢ですよ」
◇石原新党の幻影
領土にまつわる都知事の言動が私的な動機に根差しているとは思わない。都知事は、中国が尖閣諸島に関心を寄せ始めた70年代の初めから尖閣の防衛を問うてきた。
96年には、「尖閣防衛は日米安保条約の対象外」と放言したモンデール駐日米大使=当時=を批判、離島をめぐる日米同盟のたるみに警鐘を鳴らした。尖閣紛争の最大の背景は強欲資本主義と軍拡路線が結びついた中国の急膨張である。「都知事さえ黙っていれば何事もなかった」という意見には同意できない。
さりとて、挑発と宣伝を真骨頂とする都知事が国家経営の担い手にふさわしいとも思わない。
石原慎太郎は徹頭徹尾『太陽の季節』(55年発表のデビュー作。芥川賞)である。この小説の主人公は大学の拳闘部員だ。彼は「抵抗される人間だけが感じる、一種驚愕の入り交じった快感」に惹かれる。「次のゴングを待ちながら、肩を叩いて注意を与えるセコンドの言葉も忘れて、対角に坐っている手強い相手を喘ぎながら睨めつける時、新しいギラギラするような喜びを感じる」人間だ。
その感覚で恋愛遊戯の末、身ごもった相手が死ぬ。葬式に現れた主人公は香炉を遺影に投げつけて祭壇を壊し、一座を混乱に陥れて退散。大学に戻り「何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」という死んだ娘の非難を思い出しながら夢中でサンドバッグを殴り続けるという場面で物語は終わる。
「石原新党」のイメージは変遷している。側聞によれば、誰よりも「石原新党」を求めた亀井静香はすでに都知事と訣別した。「石原新党」構想は死んではいないが、力強く脈打ってもいない。尖閣諸島国有化と自民党総裁選という2本立ての活劇が終わったいま、新党は銀幕の残像、錯覚に過ぎないのではないか。
文藝評論家の中村光夫は芥川賞の選評で、『太陽の季節』は「虚飾と誇張にみちてゐますが、肩肘張つた大袈裟な身振りに意識しない真摯(しんし)さがあふれてゐる」と書いた。
中国の横暴と日本の油断を問う都知事の言動は真摯な純情に根差しているが、憂国の至情が親子の私情で曇った。新党はもはや幻影と見るゆえんである。(敬称略)
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