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【第66回】 2012年10月30日 出口治明 [ライフネット生命保険(株)代表取締役社長]
石原氏国政復帰で注目の“第3極”と2大政党制
わが国の政党政治はどこへ向かおうとしているのか
10月25日、石原東京都知事は、「たちあがれ日本」(平沼代表)を足場に、石原新党を立ち上げて次回衆院選に臨む姿勢を明らかにし、知事を辞任する考えを示した。石原知事は、「大眼目は官僚の硬直した日本支配を壊していくことだ。原発とか、消費税とか、大事な問題かもしれないが、ある意味ではささいな問題」と述べ、「日本維新の会」(橋下代表)や、「みんなの党」(渡辺代表)との大連合、第3極の集結を呼び掛けた。足元の「たちあがれ日本」をはじめとして、「日本維新の会」や「みんなの党」には、一部、戸惑いが拡がっているという。わが国の政党政治は、一体、どこへ向かおうとしているのだろうか。
第3極がなぜ注目されるのか
ところで、第3極とは何か。普通に考えれば、2大政党である民主党(野田首相)と自由民主党(安倍総裁)に対峙する政党、即ち、公明党(山口代表)や、国民の生活が第一(小沢代表)、日本共産党(志位委員長)、社民党(福島代表)なども、第3極に含めて考えるべきだが、わが国のメディアは第3極という言葉を、どうやら自民党と長く共闘関係を続けて来た公明党と、日本共産党と社会民主党の左翼2政党を除いて使っているようだ。
好意的に解釈すれば、それには、既成政党に飽き足らず、わが国を覆う閉塞感を何とか打破したいという願望が、恐らく込められているのだろう。政権を担う力量が不足していると報じられることの多い民主党にも、3年前の総選挙で政権を失った反省が(例えば、候補者の世襲問題等)、ほとんど活かされていないように見受けられる自民党にも、ほとほと愛想を尽かした市民が、両党にお灸を据えたいという気持ちも痛いほどよくわかる。
しかし、仮に、第3極が大連合して、多数を制したとなれば、この国はどうなるのか。第3極は、参議院でわずか15議席(みんな8、維新4、たちあがれ3)しか持っていないのだ。第3極が、例えどのような政策を打ち出すにせよ、参院で第1党の民主党(88議席)か、第2党の自民党(83席)と組まない限り、何一つ実行できないという冷厳な現実を、私たちは忘れるべきではないだろう。
もちろん、第3極が大連合するためには、政策の一致が欠かせないことは、当然である。筆者は以前このコラムで、これからの政党の対立軸は「成長か否か、社会保障の現状維持か否か」に求めるべきと主張したので、ここでは繰り返さないが、世の中では「保守かリベラルか、大きな政府か小さな政府か」という古典的な対立軸が、相変わらず持て囃されているようだ。
ところで、政策の対立軸で気をつけなければいけないのは、官僚支配の打破とか、憲法改正といった大向こう受けのする総論や制度論にばかり気を取られないようにすることだ。現実の政治は、むしろ地道なことが大切なのであって、例えば、どう工夫すれば待機児童がいなくなるのか、どのような政策を打ち出せば、わが国産業の競争力が真に復活するのか、といった個別具体論こそが、丁寧に争われなければならない。市民が霞を食っては生きていけないのだ。そういった点を、メディアは冷静に報じてほしい。
ともあれ、来るべき総選挙が、単なる第3極の野合によるムードに流されてはならないことは、言うまでもあるまい。少子高齢化、財政再建、競争力の強化(復活)等、わが国が直面しているどの政策課題を取っても、わが国は崖っぷちに立たされており、残り少ない時間(後せいぜい数年?)との競争にさらされていることは、明らかである。
総選挙がいつになるか、政党の数合わせがどうなるか、そういったことは、それこそ些細な問題だ。わが国の21世紀の浮沈をかけて、しっかりした骨太の政策論争が行えるような土俵(対立軸)を、メディアには心して整えてほしいと願わずにはいられない。
最近のアンケートによれば、わが国市民の国会に対する「信頼度」は、わずか9.5%に過ぎないが(政府は11.7%)、市民はまだメディアに対しては、いくばくかの幻想を抱いているようだ(テレビ局27.3%、新聞社45.4%)。メディアは、この数字を厳粛に受け止め、少なくともその数字に見合った社会的責任を果たしてほしい。
2大政党制は決して時代遅れではない
第3極が注目を浴びるということは、わが国のメディアが政局好きなことも大きいが、裏を返せば、それだけ市民の2大政党制に対する不満が強いということだろう。2大政党の領袖は、こうした事態を招いた責任について、深く反省してほしい。解党して出直すぐらいの気概が必要だ。小選挙区を基軸としたわが国の現在の選挙制度は、1994年に2大政党制を意識して改正されたものだが、早くも機能不全に陥ってしまったのだろうか。
ここで、目を世界に転じて、諸外国の実例を眺めてみよう。議会の母国、英国では、戦後13名の首相が誕生したが、その内訳は、保守党が8名、労働党が5名と、2大政党制が上手く機能している。ドイツ(西ドイツ)はどうか。戦後の首相は8名を数えるが、キリスト教民主同盟5名、社会民主党3名という布陣である。フランスの第5共和政(1958年〜)を見ると、7名の大統領が生まれたが、保守政党4名、社会党2名、中道1名という構成となっている。また、戦後のアメリカ合衆国の大統領は民主党と共和党が仲良く6名ずつ分け合っている。このように、何れの先進国においても、2大政党制が圧倒的な主流を占めているのだ。
人間の歴史を率直に振り返れば、2大政党制こそが、先進国ではごく普通の政治の姿なのだと実感させられる。より正確に述べれば、英国の自由民主党(保守党と連立)やドイツの緑の党(社会民主党と一時連立)のように、各国とも決して2大政党ばかりではなく、個性を持った多党制を実現している。しかし、多党制であっても、総選挙は最終的には2大勢力間の競争という形を取ることが多くなるのだ。
翻って、わが国はどうか。戦後の混乱期に、社会党と民主党の連立政権が1948年まで2代続いた。その後は、自由民主党が(一時、新自由クラブの助力を受けて)1993年まで、実に約半世紀に及び長期政権を築いた。この間に、16名の首相が生まれた。93年の細川政権から村山政権まで、少数党が3名の首相を輩出した。96年から2009年まで、自由民主党が(公明党等との助力を得て)7名の首相を産んだ。そして、2009年の鳩山政権の誕生により、わが国で初めて第1党による本格的な政権交代が実現したのである。
その民主党に政権を担う力量がなかったことは残念という他はないが、公職選挙法が94年に改正されて15年、わが国でもようやく本格的な政権交代が実現したということは、巨視的に見れば、21世紀のわが国社会の大きな成果の1つと言えるのではないか。20世紀後半の自民党の長期政権の時代に、「日本は本当に民主主義国家なのか」と世界中から指摘されたことを、日本人は忘れてしまった訳であるまい。たった一度の政権交代の結果で、2大政党制を諦めるというのでは、あまりに「もったいない」話だと考える。
民主主義というのは、もともとコストがかかる代物なのだ。むしろ、私たちが考えるべきは、2大政党制をより上手く機能させる仕組み作りではないのか。2大政党制を前提にした選挙制度の在り方についても、以前のコラムで私見を述べたのでここでは繰り返さないが、近々行われるであろう総選挙に際しては、ぜひとも、市民一人ひとりが、大きな政策の対立軸と、政党制の在り方(2大政党制の得失等)を、真剣に考える機会にしたいものである。もちろん、先進国並みに(80%程度)、投票率をみんなで押し上げるということも忘れずに。
(文中、意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である)
http://diamond.jp/articles/print/27031
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http://diamond.jp/articles/-/23776
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http://diamond.jp/articles/-/24554
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http://diamond.jp/articles/-/12707
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