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人生80年と言われる時代である。80歳の石原慎太郎氏が都知事を辞め、衆院選に出馬すると言っても別に驚くことではない。映画「天地明察」の原作者である冲方丁(うぶかたとう)の時代小説第2作「光圀伝」を読んで知ったのだが、黄門さんでお馴染みの水戸光圀公は、人生50年の時代に63歳で隠居し、73歳で逝去した。今では100歳くらいになる。人間、年齢ではなく、どう生きるかが問われる。
黄門さんの諸国漫遊の話は、講談・フィクションの世界である。では、なぜこのような講談が生まれたのだろうか。家康・秀忠の武断政治で始まった江戸幕府は、四代将軍家綱からは文治政治に変わった。これを支えたのが水戸光國。犬公方と蔑称された五代将軍綱吉の“生類憐れみの令”で、庶民生活が圧迫された時、光國将軍待望論が湧き上がった。それだけ人望があった。詳しいことは「光圀伝」を読んで頂きたい。
光國は、殺伐と続いた武断政治を絶ち文治の世とし、庶民の生活に目を向けた武士の超エリートであった。それに加え、「光圀伝」のテーマである「義」が挙げられる。光國は、水戸徳川家の三男坊として生まれたのだが、長兄頼重をさしおいて家督を継がされた。光國はこれを「不義」として、後に頼重の子を養子に貰い受け、家督を継がせ、自らの「義」を果たした。これが当時の人に大きな感銘を与えたのである。
民主主義の時代に、江戸時代の「義」ではないかもしれない。だが、26日のサンケイウェブ版に、ある(東京都の)女性職員は「五輪招致で勝ち目がないから逃げ出したんでしょ」と辛辣なひと言。「中国のことをシナと呼ぶような時代錯誤な人が国会で通用するのかしら」と続けた、と書いてある。あのサンケイですらこう報道する。石原氏の言動から、感銘を受ける者はいないし、人望のないことも示している。
石原氏は、民主、自民両党に対抗する第三極の立場を強調したが、「消費税増税」に賛成し、「脱原発」に反対し、「TPP参加」に賛成する氏の政策の何処に、第三極としての対立軸があると言えるのか。26日の記者会見では、薩長連合を引き合いに出して、第三極の団結を語ったが、第三極として最大の政党「国民の生活が第一」との連携は何も言わない。またそれを指摘するマスコミも無い。おかしいだろう。
10年以上も都知事を務めたのだから、それなりの実績は挙げているだろう。だが、巨額の赤字を残した「新銀行東京」とオリンピック招致での無駄遣いなど、怪しい話は沢山ある。記者会見でオリンピック招致のことを訊かれ、「オリンピックは(皆さん)勘違いしている。主体はJOC(日本オリンピック委員会)。首長の出る幕じゃない」と答えたが、これもおかしい。オリンピックは都市が招致するものだ。
都庁職員が言うようにオリンピック招致の失敗と言うか、都民の賛成者が少ないことが辞任の一つの理由だろう。それに加え二人の息子のことがある。自民党総裁選で、長男伸晃氏は惨めな敗北を喫した。だから自民党に遠慮することもない。落選中の三男宏高氏が、不人気な自民党から次の総選挙に臨めば当選は難しい。そこで自称第三極の政党を三男坊のために用意する。それが石原新党だとネットでは言われている。
後出しジャンケンで都知事選を勝った要領と同じで、3年前に民主党に期待し、自民党を見限った人たちを取り込もうとしている。日本維新の会と同様、自民党の別働隊以外の何ものでもない。それをマスコミが「第三極」と持ち上げているだけである。光圀公の「義」と比べるのは、光圀公に大変失礼に当たるが、石原氏の発言からは、「国民の生活が第一」のような、国民に対する「義」が全く感じられないのである。
その昔石原氏は、自民党議員として総理総裁を目指したのだが、小沢一郎氏を始め、誰も担いでくれる者が居なかった。今、その恨みを晴らそうとしているとしか思えない。処でこれまで、70歳の小沢氏に対し、「先がない」とか「終わった」と宣まわったテレビキャスターや政治評論家達は、80歳の石原氏に向かって何と言うのだろう(笑)。年齢が問題なのではない。人はどう生きたか、どう生きるかなのである。
http://www.olivenews.net/news_40/newsdisp.php?m=0&i=12
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