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株式日記と経済展望
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民主党は、政治家と官僚の役割分担というものを、ちゃんと考えていなかった
と思います。考えてはいたけれど的外れだった。(30歳元キャリア官僚)
2012年10月26日 金曜日
◆「キャリア官僚だって人間」―30歳元キャリア官僚の語る霞ヶ関の実態 10月26日 BLOGOS編集部
http://blogos.com/article/49085/?axis=&p=1
?官僚というと、メディア的には悪役になることが多いと思います。経済産業省というと、今原発問題の黒幕のような書かれ方をしますし、財務省の勝栄二郎前次官といえば消費税増税を推し進める大悪党といった取り上げ方がされていました。こうしたメディアにおける官僚悪玉論について、霞ヶ関内部の人間は、どのように感じているのでしょうか?
宇佐美:あくまで私個人の見方ですが、大手メディアの官僚批判については“ビジネスなんだからしょうがない”と割り切っています。わかりやすい敵・悪い奴がいたほうが、出版物も売りやすいということなんでしょう。それに何となくマスコミが官僚を褒め称えるよりも、批判した方が世の中として健全だと思いますしね。
その意味では、私はマスコミの方々がしばしば「自分たちは社会の公器である」という風に主張することには強い違和感を感じています。大切なのは報道の自由であって、大手新聞社やテレビ局自体が大事なわけではまったくない。新聞もテレビも株式会社であり儲かるために記事や番組を作っているに過ぎないんじゃないでしょうか。だったら法律を犯していない以上、儲ける為に彼らが何をしようが彼らの勝手だと思っています。
ただマスコミに限らず官僚に関する報道一般に対して疑問を感じる点は確かにあります。本音を言えば、組織としての取材はともかく、人に対する取材においては官僚についても一般企業と同じ基準でして欲しいんですよ。新聞が一般企業を取り上げる場合、普通成功した人に焦点を当てますよね。例えば、躍進している企業の経営者や画期的な製品開発をした人などです。逆に変な報道をしたら名誉毀損で訴えられます。
それが官庁の場合、極論やトンチンカンな主張をして組織を飛び出した人がヒーローに仕立て上げられてしまう。典型的なのは古賀茂明さんで、あの人は官僚社会で決して大きな成果を上げたわけではないんですよ。「自分の理想に溺れて公務員制度改革に失敗したドン・キホーテ」。それが官僚社会における古賀さんの現実です。彼がその後やったことは非常に政治的で民主主義社会における官僚の役割をはるかに超えたものです。失敗者に焦点を当てると、悪い例をいい例と世の中の人は見なしてしまいますから、それだけはやめてほしいと思います。
?古賀茂明氏、高橋洋一氏といった元官僚の方は霞ヶ関を批判することが多いですよね。
宇佐美:彼らはそれが生活の糧ですからね。霞ヶ関がまともなことをしたら困っちゃうわけですよ。彼らが日々の収入を得る為には霞ヶ関は悪の権化でなければならないわけです。本来取り上げられるべきなのはそういったトリックスターたちではなくて、こつこつと官僚機構内で立派に成果を上げている人なのではないでしょうか。
例えば経済産業省でレアメタルの対策をしていた人たちです。彼らは平成17年の時点で、いつか必ずレアメタル危機がくると予測していました。そこで民間企業や関係省庁を集めて、レアメタルの使用状況を細かく分析してリスク評価をしています。そして、リデュース・リユース・リサイクルという枠組みで戦略を策定して、5年間に渡って準備を進めていました。そういう対策をしてきたからこそ、レアメタル危機であれだけ中国が強気にきても、それほど大きな問題にならなかった
こうしたレアメタル対策を仕切ってきた担当者は古賀さんとほぼ同じ年次ですが、その人はまったくメディアに取り上げられない。ちょっとおかしいんじゃないかと思わざるを得ないですよね。本当は、普通の人には見えない努力の成果を発掘して伝えることも報道機関の役割だと思うんですが、残念ながら今の報道機関の多くはそういった隠れた成果を発掘する努力をしませんよね。
?官僚も当然人間ですから、批判ばかりだとモチベーションも低下してしまうと。
宇佐美:おっしゃる通りです。全体としての官僚機構を批判することで権力の監視をしつつ、成果を上げた個々人は正当に評価する、というのが本来の報道のあり方だと思うんですよ。今は、全体を批判して、失敗した個人を褒めるという状況になっている。その上「○○省が?という悪企みをしている」なんていう陰謀論がまことしやかに世間にながされるので、真面目に仕事すれば、メディア的には悪い奴の一員です。
給与も下がる、批判も受ける、組織から去った人がヒーロー扱いされている、官僚も人間ですからそういう状況ではモチベーションが保てませんよね。メディアに取り上げられて陰謀論を流している人は、基本的に官僚としての能力・実力がなかった人たちなんですよね。繰り返しになりますが、そういう人たちを有識者としてフィーチャーして、本質的な論点を伝える努力を怠るのは報道の本来の姿なのかということは、常々疑問に思っていました。
?「官僚としての」能力ですね。
宇佐美:そうですね。少し回りくどいですが、官僚が立案すべき政策というもののあり方について説明します。
物事に対して政治家が戦略レベルで一定の方針を決めたとします。これを政見と呼びますが、その政見を具体的なアクションに落とし込む戦術レベルの政策を立案するのが官僚の役割です。ただどんな政策を展開するにあたっても、必ず障害が生じます。
例えば、よく古賀さんが、「農業を再編するためには農家を保護せずに、もっと潰れるべき農家は潰すべし」と主張しています。しかし当然農家を潰したら失業者がたくさん生まれる。そうした失業者たち、例えば30?40年間農業一筋でやってきた50代、60代の人達に対して、「あなたは明日から成長産業に移ってください」と言ってもそれは無理でしょう。残念ながら成長産業側が、「なぜ数十年間農業をやってきた人を我々が雇わなきゃならないのか」とお断りしてしまいます。
仮に古賀さんが「農家はもっと潰すべき」という主張をするなら、その結果路頭に迷う人の救済が円滑に進むような仕組みを併せて提案することを政策というんです。そうした仕組みを自分で考えつかないから、「それができないのは農水省が利権を手放さないからだ」といって陰謀論を唱える。そういう陰謀論者をメディアで取り上げるのは、本当はいいことではないと思うんですよ。
私は、古賀さんや高橋さんは、自分たちが体験した政策決定過程を世間にしらしめた点においては、大変価値があると思います。何故なら政策の決定過程というものを国民は知る権利があるし、それは民主主義が健全に機能する為にはとても重要なことだと思うんです。ただそれ以上のことを言うのは、おかしいと思うんですよ。政策提案能力が低いから官僚を辞めたんですから。「あなたたちはドロップアウトしたんでしょ?そんな人がテレビに出て何を偉そうなこと言ってるの??」と思います。彼らは有識者ではなく芸人の枠で捉えてほしい。芸人としてはアドリブも効くし視聴者を楽しませるし一流だと思います。
?それはある程度、霞が関の共通認識なんでしょうか。「彼らは所詮ドロップアウトした芸人枠だから」のように、どこか冷ややかに見ているんですか。
宇佐美:非常に冷ややかですね。なんでも強引に陰謀論や天下り批判に持ち込んで、そんな悪いことをしている官庁から脱した俺たちは正義の味方、という論法を毎回繰り返すので私も官僚時代はテレビの前で「また天下りか!」とツッコんでいました(笑)。
?政局報道では、「霞が関関係者」といった形で官僚のコメントが出てくることがありますよね。例えば、「あの政治家は馬鹿だから我々は…」みたいな。
宇佐美:「霞が関ではこんなことが言われている」という類の記事は、誇張はありますが7割くらいは本当だと思います。残念ながら実際に大臣としての資質が伴わない人もいますから、そういう記事が上がってきた時はむしろありがたいですよね。変な人が大臣で居続けるのは国民にとって不幸ですから。
?やはり法令作成など基本的なスキルに関してはどう考えても官僚のほうに一日の長がある。であれば、政治家に求められるのは、大きな方向性を示すことだという理解でいるのですが、官僚と政治家の関係というのは、そういう理解で問題ないでしょうか?
宇佐美:そうです。方針を示してくれると動きやすいですね。
?であれば、政治家が方針を示さないから、業務が進まないといった事態を経験したことがありますか?
宇佐美:私は直接仕事で深く携わったことはないので詳しいことはわかりませんが、民主党政権下において、ある経済産業大臣は「聞いていないぞ大臣」と呼ばれていたようです。自ら方針を示さないにもかかわらず、政策の実現に向けて動きを進めると「オレは聞いていないぞ」とすぐに怒っていたようです。当時官房にいた同期は悩んでいました。でも経済産業省はしっかりした人が大臣になる傾向が強いと思います。
また、他省庁ですが長妻(長妻昭・元厚生労働大臣)さんは圧倒的に評判が悪かったですね。聞くところによると朝のワイドショーの司会者やコメンテーターのコメント次第で指示をコロコロ変えるといったことがあったようです。当時は厚労省の友人に会うと、長妻さんに対する愚痴ばかり出てくるという状態でした。それはそれで、ある意味頑張ったというか凄いことですよね。
-そうした視点で言うと、よく「自民党から民主党になって官僚の使い方が下手になったからダメなんだ」といった意見がありますが、そうした実感はありましたか。
宇佐美:民主党は、政治家と官僚の役割分担というものを、ちゃんと考えていなかったと思います。考えてはいたけれど的外れだった、というのが正確な表現かも知れません。だから政官の関係について民主党政権に代わって良くなった点をあげるのはとても難しいですね。ただ一つ確実に言えるとしたら、事業仕分け等を通じて天下りOBとの不透明な関係がある程度精算されたということは、とてもよいことだったと思います。(後略)
(私のコメント)
石原東京都知事が辞職を表明しましたが、80歳になって国政に復帰すると言う事です。確かにタイミング的には今が潮時と思ったのでしょうが、自民党もダメなら民主党ももっとダメな政党だった。いずれも官僚任せの政治であり、大臣として方針も示せないような政治家が多かったようだ。大臣として方針を示してくれれば宇佐美氏も仕事がやりやすいと言っていますが、仕事が分からないから大臣は何も言えない。
宇佐美氏は元経済産業省の若手官僚だった人ですが、最近は優秀な若手官僚ほど辞めていく人が多いといいます。確かに霞ヶ関は上に上がっていくにしたがって官僚は腐敗堕落していくようだ。官僚も天下り先の事を考えれば無茶な事は出来なくなるからだ。「株式日記」でも霞ヶ関批判を続けてきましたが、役に立たない官僚が増えてきたからだ。
経済産業省の原子力安全保安院がしっかり仕事していれば福島原発災害は防げたはずだ。しかし寺坂保安院長は割り増しの退職金を貰って、事故責任を問われる事も無く退職していった。もっと悪いのは歴代の経済産業大臣ですが、担当した仕事の事が分からないのだから責任の追及のしようが無い。宇佐美氏は長妻厚生大臣のことを批判していますが、言う事がコロコロと変わっては官僚も当惑するばかりだろう。
民主党政権になってから特に行政が停滞するようになり、東日本大震災の復興事業がなかなか進まない。19兆円の復興予算の多くが被災地とは関係の無いところに使われているのは問題ですが、政治も行政もそれだけ腐敗が進んでしまっている。だから自民や民主ではない第三の政党が出てくることが期待されますが、寄せ集めでは同じ事の繰り返しになる。
なぜ国会議員を10年20年とやっていても大臣がコロコロと代わるのは資質が無いからであり、適切な判断が下せない。特に国際会議などでは馬脚を現して首脳会談では露骨にバカにされる事がある。このようになってしまうのは選挙制度に原因があるのでしょうが、定数是正すら満足に決められない。小選挙区制では戸別訪問も立会演説会も禁止されてネットの選挙利用も未だに解禁されていない。
政治がこのように機能していないから官僚任せの政治になるのでしょうが、公務員制度改革が官僚の抵抗でなかなか進まない。宇佐美氏はテレビに出ている元官僚達を「芸能人」と割り切っているようですが、宇佐美氏も特に古賀氏を批判している。官僚たちは批判されれば批判されるほど官僚組織の防衛に回ってしまって政治の足を引っ張ろうとする事は越権行為なのですが、そのような自己批判が聞かれないのは、まだ官僚の意識が抜けていないからだろう。
官僚の質的な低下を宇佐美氏は指摘していますが、有能な官僚ほど外資系の会社からスカウトされて辞めて行くそうですが、それだから無能な官僚が残って天下り先を作りまくって天下って行く。官僚組織も年功序列であり、有能な官僚は抜擢される事が無いから失望して辞めていくのだろう。また民間との交流も否定的ですが実社会を知らなくては時代遅れになってしまう。
宇佐美氏の批判はマスコミにも及んでいますが、記者クラブ制度で官僚が記者クラブ制度でコントロールしているにも拘らず、マスコミ報道を批判するのは官僚の責任回避なのだろうか? 現役官僚がもっとテレビに出て実情を知らせるべきなのでしょうが、宇佐美氏のようにブログを書くだけでも官僚組織からの嫌がらせがあるそうです。要するに政治と霞ヶ関とマスコミは責任のなすりあいで国の機能が停止してしまっている。
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