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テレビ・バラエティと国政・外交の言語格差
「人気者の放言」で済まないレベルでリスクを冒すな
2012年10月25日(木) 伊東 乾
今回は、この連載で初めて、編集部から「ダメだし」がありました。橋下徹大阪市長に関連して佐野眞一氏と取材班が週刊朝日に掲載した記事について筋道を通した内容を準備したのですが、状況に配慮して・・・ということでした。
編集部にも余計な負担をかけたくありませんので、それならということで、そこで問題になるであろう一切と関係がない、しかし本稿で伝えたいと思った本質のみ、端的に記してみたいと思います。
大勢では問題にされていない本質的な問題
私はタレント的な振る舞いをする政治家の発言に危惧の感を抱くことが少なくありません。理由は、例えば政策あるいは公約でもよいのですが、耳障りのよさそうなそうした言葉にどれほどの実現可能性「フィージビリティ」があるか定かでない、あるいはおよそ正体不明で、実現性が極めて低いと思われるケースがあるからです。
先週の週刊朝日、佐野さんの記事で、大勢では殆ど問題にされていないと思いますが
「テレビや講演会などでの言いたい放題の妄言を挙げていったらきりがない。能や狂言が好きな人間は変質者、いまの日本の政治で一番必要なのは独裁・・・・・・。橋下の言動は、すべからくテレビ視聴者を相手にしたポピュリズムでできている。」
という記載があります。かつて一定期間、テレビ番組制作に関わってきた一人として、この一言に大きく感じるところがありました。
私の大まかな理解ですが、昨今取りざたされるような「維新」という表現の原点はマッキンゼー出身の経営コンサルタント、大前研一さんの著書『平成維新』ならびに政策提言集団『平成維新の会』に直接のルーツがあると認識しています。橋下氏は大前氏に私淑し、大前氏の許可を得て「維新」の語を使い始めたとも読みました。また現在の「維新」まわりでは、やはりマッキンゼー出身の上山信一さんがブレーンをしておられると思います。
経営コンサルタントという職分は、決して経営主体ではなく、経営上の問題を解決する支援を行うものです。責任を負う主体ではない。これは弁護士という職分とも少し重なるところがあるかもしれません。主体はあくまで依頼者で、その弁護業務を行うわけですから。
佐野眞一+週刊朝日編集部の記事の、ほかのあらゆる部分については、ここでは別論としましょう。上に引用した「テレビ視聴者を相手にしたポピュリズム」という部分、私はこれを「クライアント獲得のセールストーク」としての「ビッグマウス(大口)」と理解すると、物事が見えやすい気がするのです。
行政に問われるのは結果
都道府県、あるいは市町村、さらには国政・・・さまざまな政治的な場で、新機軸を打ち出す!というときに、威勢のよい提案が並ぶことで、ある種「クライアント」として地方自治体行政の権限を獲得することは出来るかもしれない。
たとえばタレント事務所に所属してテレビのバラエティ番組に出演し、歯切れのよい啖呵をきるのは、コンサルタントとしてでも、あるいは弁護士としてでも、クライアント獲得上、とても有効なことだと思います。調子のよい人気者の放言でも、アドバルーン代わりならまだなんとかなるでしょう。
しかし、行政に問われるのは結果です。そこを私は考えます。
いま施策の実施「主体」として、それをどこまで完遂できるか、を問われたとしましょう。状況が面倒になってきたとき、いちど着手した案件を途中で手放すコンサルタントや弁護士もいるでしょうし、そうでない人もいる。この観点でみたとき、いったい、かつてどこにどのような「フィージビリティ」があったか。政治家を見るなら、そこを問わねばならないと思います。
橋下徹さんについては、かつてとある講演の場で「尊敬する昆虫は?」との問いを受けて「ゴキブリ」その理由は「すぐ逃げて危機感がすごい」と述べたと報じられているのを目にして、印象を持ちました。
首長というのは最後まで責任を取る職分です。さらに国政、外交に至っては言うまでもないでしょう。
私たちは、例えば人気者であり、首長であり、また外交には直接携わらない石原慎太郎氏の米国での発言を端緒に、尖閣諸島問題等で緊張を生じ、日本製品排斥などの推移を目にしました。
テレビ・バラエティと国政や外交の言葉は全くことなっています。アドバルーンならお調子者の放言と笑って済まされることが、外交で責任ある者の発言となれば大きなトラブルに結びつきかねません。
佐野眞一さんと編集部の記事は、冒頭から2ページ半ほど、こうした論点にしっかり照準を合わせたものでありました。別の観点に注目が集まっていますが、そうでない、バラエティ的には地味かもしれませんが、本当に国政・外交で大切なポイントに、注目してゆく必要があると思った次第です。
伊東 乾(いとう・けん)
1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。
伊東 乾の「常識の源流探訪」
私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20121023/238473/?ST=print
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