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October 22 ,2012 日々坦々
『検察崩壊 失われた正義』の郷原信郎氏と『特捜崩壊 (講談社文庫)』の石塚健司氏の対談は、非常に面白かった。
最初は「検察崩壊」について二人の見解で、この後は石塚氏の近著『四〇〇万企業が哭いている ドキュメント検察が会社を踏み潰した日』で、これは取り上げたので割愛した。
(以下、要約)
石塚健司 氏
郷原氏の「検察崩壊」について
「現在も新聞記者をやっておりますが、郷原さんが検事の頃からお付き合いさせていただいている。その後の情報発信力には感服していた。
先生の本は全て読んでいる。
「検察崩壊」という本について、実は2009年に「特捜崩壊」という本を出したことがあり、お互い「崩壊」だなあと。
私の場合は特捜部がおかしいんじゃないかということですが、とうとう検察全体に崩壊が波及したと・・・。
この「検察崩壊」を最初に手にとった時に、インタビュー集ということで、郷原先生も手抜きかなと思って。しばらく読まずに置いていた。
読み始めてこの本はインタビューというよりも、緻密に次々と事実を引き出していき、その事実を積み上げていくという緊迫感。ミステリー小説のようで一晩で読み上げた。
読み終えて感じたのは、これは単なる本ではないと感じた。
郷原さんが仕掛けたなあと、何を仕掛けたかというと、とても破壊力のある時限爆弾だと解釈した。
この本が検察庁に対して仕掛けた爆弾だろうと思います。
検察審査会によって、この本で取り上げている田代検事問題の不起訴処分について、一般の市民が判断が下されるが、その時に爆弾が炸裂するだろうと・・・。
田代検事問題について検察庁は、この処分を決めるにあたって、どうしても避けて通れない当事者中の当事者である石川知裕さんから一切事情を聞かずに、あえて避けて通ったきらいがあると。
それでは処分を下せるはずはないのに処分をした。起訴をしないという決定をした。
その欠けている部分を郷原さんが、この本でいわば代行したという仕掛けだろうと思います。
この事実を積み上げた緻密な爆弾をもって、あの検察審査会が不起訴処分をすることができるんだろうかと感じました。
本を読み終えて、なるほど、こういう闘い方もあるんだなと。
この本の中で、大坪元大阪地検特捜部長が登場します。
大坪氏の悲憤慷慨ぶりは心情的には理解でき、察するに余りあると思っている。この本で大坪氏が言った言葉に背筋が寒くなった。
たとえば大坪氏はこんなことを言っている。
二つの文書、一つは捜査報告書、もう一つは取り調べ内容を録音したものの反訳書、「この二つがあればほぼ有罪にできる」と言っているわけです。
「これだけでも十分に有罪だ」という言い方をしている。
それで「田代検事がどんなことを反論しようが有罪は揺るがない」とまで言っている。
この感覚がまさに今の検察の危うい姿だと私は思っています。
この大坪氏のケースと田代氏のケースが、この本によってみごとに対比されている。これがまた郷原さんが仕掛けられた仕掛爆弾じゃないかというふうに思ってます。というのは、検察の自己矛盾をここで示してしまったということ。
この二つの事件を見て私が考えているのは、検察の組織というのは存亡の危機に直面するような事態になった時に、
捜査というのは証拠を積み上げて処分すべきかどうかを検討するというのが建前ですが、先にトップダウンで結論を決めているとしか思えないと。その上で、捜査によってそれに沿う材料を組み立てていく、というのが捜査になっていると私は感じます。
大坪さんの事件のときも、前田検事をまず逮捕した後、聞くところによると、当時の大林検事総長が「特捜部長も捕まえなければ検察はもたない」と、トップダウンの支持を下したと聞いた。
・・・
一方、田代検事の場合は、これも一説によればですが、今回は検察庁というよりも法務省の有力な人の意向が強く働いて、「是が非でも、これは刑事事件化してはいかない」という前提の下に刑事処分の決定がなされた。
それでそれを正当化するためにさらなる正当化、辻褄あわせをしてきている。
これはまったく正反対だが、ようするに本来、検察のあるべき姿じゃない。
どうも行政機関化してしまった検察庁と、私はそう受け止めている。
今後、検察審査会も含め、見逃せない展開になっていくと思う。
郷原氏
司法クラブの経験が長い石塚さんは、非常に鋭い見方をされていると関心しました。
私にとってもこの「検察崩壊 失われた正義」という本は、かなり思い入れのあるものです。
何の因果か三年半前、西松建設事件で小沢氏の秘書が逮捕されてから、私の精力の半分くらいは検察批判に向けられていったので、それ以来、検察のことを書いた本はこあれで5冊目です。
「検察の正義」から始まって、「検察が危ない」「特捜神話の終焉」「組織の思考が止まるとき」
それまでは「法令順守」というほのぼのとしたものを書いていたんですが、とたんに殺伐としたものを書くようになった。
それは検察という組織の思い入れと、組織ということを考えたときに、検察の問題を見過ごすことはできないと思っています。
検察という組織がこの国の刑事司法という中心を担っていかないと、適切な判断をしていかないと、適切な捜査をしていかないと、いろんなところでおかしくなってしまう。
組織のあり方として検察問題というものをずっと私のテーマにしてきました。
そういう私にとってこの本は、ようやく最終段階にきた。まさに検察問題についてのある意味、私の締めくくりにできればしたいと思っています。
そこで、確かに一見4人の方々との対談をフワフワっと集めただけのように見えて、そこにかなり仕掛けを組み込んだことは間違いありません。
いろんな意図があってこのメンバーを設定しましたし、その中味についても相当考えたつもりです。
第一に、最初に指揮権発動で話題になった前法務大臣が来て、明確に田代不起訴を言ってくれる方を最初に持ってきた。
もう一つ大きな意味があったのは、当時、陸山会問題というのは小沢一郎という政治家の一つの特殊なケースだというように見られがちな感じがするんですね。
私も三年半前に検察批判を言い出したとたんに、小沢の味方だと見られるようになりました。
全く関係はないんですけど、そういうふうな色眼鏡で見られる傾向がある。
そういう意味で考えると、小川前法務大臣、小川参議院議員は全く政治的には小沢氏と関係のない人。
そういう立場の人が今回、陸山会事件の検察捜査を前法務大臣として退任会見の時に、これだけ厳しく批判をしたというところに非常に意味があるというところで、最初の対談者に選んだということです。
そして二番目の石川氏のことですね。
まさに石塚さんが言われたとおり、本来、この事件というのは田代検事が石川氏の取り調べを行って、その状況を捜査報告書にしたと。
その捜査報告書の内容が実際の取り調べ状況と全然違っているという問題です。
なんといっても当事者が石川氏であって、石川氏の話を聞かないで不起訴処分にするということはありえない話です。
大阪地検のあの不祥事で、証拠改ざんがありえない、検察官にとってありえない、という以上に、この不起訴処分も本来ありえないはずです。
それも時効がもう切迫していて、もうあと何週間かの間で処分しなければいけないというならともかく、そんな事情は全く無いわけです。
まったく、ありえない不起訴です。ということで、本来この捜査であれば当然行われるべき石川氏の取り調べが行われないままになっていたというところに私は目をつけて、しからば私が代わって取り調べをして差し上げようと考え、石川氏を二番目の対談者に選んだわけです。
石川氏は非常に真剣に答えてくれました。
その石川氏から私が聞きだした一番のポイントというのは、石川氏が説明する取り調べの全体を見ると、田代報告書に書いてある取り調べ状況とは全く似ても似つかないものだということがわかる。そのために石川氏から取り調べ状況を詳しく聞いたわけです。
・・・
(以上、要約)
■映像
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