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支持率低迷も納得、日本維新の会の「分からなさ」
この党はいったい何がやりたいのか?
2012年10月22日(Mon) 筆坂 秀世
橋下徹氏率いる日本維新の会の支持率が、大方の予想を覆して低迷している。10月に発表された政党支持率を見ると、時事通信社の調査では1.2%、NHK調査でも2.4%に過ぎない。フジテレビの新報道2001の調査(10月14日放送)だと、次の選挙の比例で投票したい政党として維新の会は3.4%となっている。フジテレビの調査は首都圏が対象なので大阪や関西圏とは大きく異なるだろうが、それにしても低い。
維新の会現状を見れば、当然の結果であろう。
維新に駆け込んだ国会議員のみっともなさ
大阪維新の会が国政に進出するためには、政党要件をクリアしなければならない。その要件とは、公職選挙法や政治資金規正法、政党助成法などで決まっているが、衆参両院議員が合わせて5人以上所属していること、または直近の国政選挙で2%以上の得票があることの2つだ。
国政選挙をやったことがない維新の会は、後者には該当しない。そこで現職の国会議員の引き抜きを図ったわけだ。
維新の会に駆け込んだ政治家の面々を見ると、ほとんど誰も知らない国会議員ばかりだ。石原慎太郎都知事が「あの顔ぶれでは周りは失望するだけだろう」と酷評したのも当然だ。
衆議院議員5人が維新の会に駆け込んだが、民主党から3人、自民党から2人だ。自民党は維新の会のお膝もとの大阪が選挙地盤の2人だ。橋下人気にあやかろうという思惑が見え見えである。
民主党の3人のうち2人は、前回の政権交代ブームに乗って小選挙区で当選しているが、1人はそれでも負けて、比例で復活した議員だ。民主党におれば、次回選挙は絶望的だろう。
昔、大野伴睦(おおの・ばんぼく)という政治家が、「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」と言ったが、「ただの人」にならないように恥も外聞もかなぐり捨てて維新に駆け込んだというのが真相だろう。みっともない姿だ。世論調査の結果は、それを見抜いた有権者の賢明な判断ということだ。
みんなの党の抵抗で参院への会派届できず
面白いのは参議院の方だ。みんなの党から3人が維新の会に駆け込んだ。だが、この原稿を執筆している10月18日時点では、参議院のホームページを開いても日本維新の会という会派は存在しない。衆議院には存在している。
3人の議員がみんなの党からの会派離脱届を参議院に提出していないからだ。みんなの党にとって3人の離脱は致命的な打撃になるので離脱を認めないのだ。参議院では議案を提案するには、10人の賛成が必要になる。発議者が1人だとすると最低でも11人が必要となる。みんなの党の参議院議員は、ちょうどその11人なのである。
一度はみんなの党と距離を置いたはずの維新の会が、最近みんなの党とよりを戻したのは、おそらくこのためだ。
そのみんなの党も一時の元気がなくなり、支持率も低下する一方のため、何とか維新と一緒にやりたいとラブコールを送り続けてきた。おそらくどこかで手打ちをするのであろうが、レベルの低い痴話喧嘩のようなものだ。
それにしてもこの3人もそうだし、自民党や民主党から維新に行った国会議員も、比例当選者は、いずれも選挙で「みんなの党」「自民党」「民主党」と書いてもらって当選できた議員だ。それがわずか2年余、あるいは3年余で違う政党に移るなどというのは、選挙結果をないがしろにするものと言うしかない。
「維新」などと高い理想を掲げるのであれば、いったん議員を辞職して、改めて維新の会から立候補するぐらいの矜持を持ってほしいものだ。ただ、バッジのない「ただの人」では、橋下氏が相手にしないであろうが。
よく分からないのが維新の特徴
維新の会は、綱領的な文書として「維新八策」(PDF)をまとめたとしている。
マスコミでは、首相公選制や参議院廃止などが大きく取り上げられたが、ブレーンの堺屋太一氏は「維新の思想と現実の政治運動はまったく別」であり、首相公選制も参議院廃止も「将来期待であって、今は視野に入ってない」と語っている。
同氏は、道州制についても「究極の形」だと述べているので、これも遠い先の話であり、具体化はまったく進んでいない。要するにアドバルーンのようなものだ。
事実、維新八策はほとんど箇条書きのような文章であり、どういう手順で現実に何をやるのか、やりたいのかは見えてこない。良く言えば思想がまとめられていると言えるが、政党として体裁を整えるためにいかにもあわてて作った代物という印象だ。
では実際には何をやろうとしているのか。堺屋氏は次のように言う。「消費者主権の倫理に基づいて、大阪都という体制改革をやり、事業を黒字成長型にする」。これも意味不明だ。単なる規制緩和論、市場原理主義とも受け取れる。大阪都になって、大阪市との二重行政がなくなる代わりに、東京のような特別区制度をつくり、議会も設けるという。そうすれば、なぜ大阪が良くなるのか、実は誰にも分からない。こんなことは、そもそもやってみないことには分からないことなのだ。
維新の会は、この分からなさが特徴であり、そこに強烈なリーダシップを発揮する橋下氏というキャラクターが乗っかり、支持を集めてきた。大阪ではそれで受けたが、東京ではたして受けるのだろうか。ましてや「大阪都」という言葉は、東京人には抵抗が強い。
維新の会の危機感は正しいか
「維新」というぐらいだから、現状の日本への危機感は強い。維新八策には次のように書かれている。
「中央集権と複雑な規制で身動きが取れなくなった旧来の日本型国家運営モデルは、もはや機能せず、弊害の方が目立つようになっています。今の日本を覆う閉塞感を克服し、国民の希望を取り戻すには、国からの上意下達ではなく、地域や個人の創意工夫によって社会全体を活性化し、グローバルな競争力を持つ経済を再構築する必要があります」
この認識には2つの疑問がある。確かに閉塞感があるが、それは国家運営モデルがすべての原因なのか。国家である以上、中央集権も必要だし、規制も必要だ。また日本が、特別に規制が強く、多いというわけではない。
いま一つは、本当に日本は危機的状態に陥っているのかということだ。
確かに昨年の大震災の打撃は大きい。しかし、グローバルな競争力を持つ日本企業は、決して少なくない。高い技術力もある。一番危機的な状態にあるのは、多くの青年が正規雇用につけず、低所得に喘いでいることだ。失業を減らす、低所得者を減らす、これは政治の最大の責務だ。ただそれは国家運営モデルの話ではない。相変わらず大阪の失業率は高いが、大阪都になれば解決するのであろうか。
強いリーダーは不要だ
国家モデルへの危機感を嘆き、「決められる政治」を掲げ、首相公選制を主張する維新の会は、強いリーダーを売り物にしている。その象徴が橋下氏だ。だからこそブレーンの堺屋氏は、橋下氏を平清盛や織田信長になぞらえ「日本のリーダーになれる」と持ち上げてみせる。だが平清盛も織田信長も今の世に出現することはない。時代が違う。
10月17日付朝日新聞に一橋大イノベーション研究センター教授米倉誠一郎氏の話が掲載されている。
同教授は「なぜリーダー待望論に反対なのですか」と問われ、「僕だって、白馬に乗ったリーダーが現れて、ええいっとすべての問題を解決してくれたら、こんなにありがたいことはないと思います。でも、現実にはそんな人はいません。強いリーダー、カリスマのようなリーダーを待望するのは敗北主義、学生たちにもそう言っています」。
まったくその通りだ。もっと言えば、これだけ多様な価値観が存在する社会で、そんなリーダーが現れたりすれば、迷惑なだけである。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36346
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