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2012年10月21日(日)ドクターZ 週刊現代 現代ビジネス
離党者が相次ぎ「過半数割れ」も近い民主党が、政権運営を放棄するかのような末期症状を露呈している。党首会談も臨時国会召集も先送り、特例公債など重要法案が成立する見通しも立たない。そんな中で野田佳彦首相が記者会見で「原発再稼働の判断について、総理が行うのか?それとも原子力規制委員会が行うのか?」と問われた際に、「再稼働をするかどうか、これは規制委員会が主導的な役割を果たす」「政治が介入して何かを言うと独立性を損なってしまう」と爆弾発言≠し、物議を醸している。
野田氏の意見は、安全技術的判断にとどまらず実際の再稼働に至るまで原子力規制委員会が決めるというものだが、さっそく田中俊一・原子力規制委員会委員長が噛み付いた。田中氏は「再稼働の最終判断は規制委員会が行うのではない」「それは政治や経済産業省、資源エネルギー庁の問題」と牽制し、原発再稼働を巡って早くも政府と原子力規制委員会が揉める事態に発展している。
原子力規制委員会はもともと、民主党政府が環境省の一部局として「原子力規制庁」を提案。自民・公明両党がより政治からの独立性の強い「原子力規制委員会」を対案として提示し、与野党協議を経て自民・公明両党の案が成立した経緯がある。野田首相の「政治が介入して・・・・・・」という発言は一見この経過を尊重したもののように見えるが、では野田氏の意見が「正論」かというと、それはまったくの誤解だ。
そもそも「独立性」とは、「専門技術的判断」の領域と「政治判断」の領域とを明確に区分し、専門技術的判断の領域に政治が介入しないことを意味する。従来より両者の区分が不明確だったことで、政治が専門技術的判断に介入することがしばしばあり、これが安全規制や緊急対処の混迷をもたらしてきた。
さらに現行の原子力規制委員会設置法を見る限り、原子力規制委員会の職務は安全基準を作り、それに照らして安全かどうかを判断するにとどまる。原子力規制委員会によって、安全であるとの評価を受けても、最終的な再稼働の判断を下すのは、あくまでもエネルギー担当の経済産業大臣、そして最終的には首相、政府である。そうした法制度であるにもかかわらず、原子力規制委員会に原発再稼働の責任を押し付けるのは、「決める政治」どころか「逃げる政治」以外の何物でもない。
再稼働の判断を原子力規制委員会に押し付けようとする野田氏の考えは、原発ゼロ方針との関係でも矛盾する。将来的に原発ゼロを目指すのであれば、専門技術的には安全な原発であっても、段階的に停止するなどのプランが必要になってくるだろう。原子力規制委員会が専門技術的な見地から安全性だけを判断し、「安全と判断すれば稼働へ」となれば、将来原発ゼロにならないかもしれない。
もっとも、原発ゼロはスローガンだけで、実際には「原発15%」という裏シナリオがあるという噂なので、ウソつき野田政権にとっては矛盾はないのかもしれないが、国民にとっては矛盾になる。
そもそも原発の稼働を誰が止めたのかを考えてみれば、それは政府の政治判断で、行政指導により行われたものだ。したがって、これを解除し原発を再稼働すべきか否かを判断し、再稼働するならその理由を説明する責任は政府にある。野田首相は「独立性」を尊重したフリをし、首相として責任放棄をしたに過ぎないのだ。
『週刊現代』2012年10月27日号より
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