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もはや取り調べの全可視化、いや検察・司法の解体しかないのか
http://www.asyura2.com/12/senkyo137/msg/415.html
投稿者 矢津陌生 日時 2012 年 10 月 19 日 09:02:07: fqfGCq6zf5Uas
 

パソコンのリモートコントロール(遠隔操作)と言う機能は、市販のパソコンの多くに標準でついている。自分のパソコンを離れた場所から操作したり、故障や操作で困った時に別の場所にいる人に自分のパソコンを操作してもらったりする便利な機能だ。ところが、無料ソフトをホームページから安易にダウンロードすると紛れ込ましたウィルスにより、パソコンの情報が盗まれ、パソコンを「乗っ取られ」てしまう。全く知らない他人がパソコンの持ち主になりすまし、持ち主に罪を着させたのが今回の事件だ。

身に覚えのないことで逮捕され、起訴までされた人がいるそうである。犯行の罪を着せられた犠牲者が5人、全員が犯行を否認したが、その中の2人が取り調べ中に、犯行を認める供述をしてしまった。ところが、真犯人と見られる人物が、テレビ出演した弁護士とそのテレビ局にメールを送ったことで、逮捕や起訴された人たちの犯行でない可能性が高くなった。取り調べで「犯行」を自白した人がいることで、「相変わらず」の不当な警察や検察の取り調べの方法がまたもや露呈した。

真犯人は捜査機関を誤認逮捕に誘導する事にあったとの言い分である。捜査機関はまんまと罠にはまったようである。逮捕された人たちが安易にウィルス付ソフトをダウンロードしたことは不注意であったとは言え、よく調べもせずに犯罪の濡れ衣を着せたことは許されないことである。改めて、日本の捜査機関のサイバー関連犯罪への貧弱な対応能力と、理不尽な自白を迫る取り調べ方法の悪弊を露呈してしまった。大手メディアの無批判な捜査情報の垂れ流しも相変わらずだ。

このやり口は昔からやっていたことのようだが、世間に名の知れた人たちが犠牲になり、一般の人にも知られるようになった。2008年に「日本の司法を考える会」での議論を元に「国策捜査」(青木理/著)と言う本がすでに出版され、「検察ともたれ合うメディアの惨状」が報告されている。この議論には、村上邦夫氏、鈴木宗男氏、村岡健造氏、佐藤優氏、古くは西山太吉氏など、検察にターゲットとされた方々が参加し、今でも検察の不当な取り調べとメディアの捜査情報の一方的な垂れ流しに強い憤りを持ちつづけておられる。

検事が先にストーリーを作り上げ、それに沿うように被疑者の供述をとる。そのストーリーにそぐわない内容は全否定し、検察が作文した調書に同意させ、署名を迫る。そのためには、罵詈雑言、誹謗中傷、長期拘留、家族の人質、何でもありのやり方で、自白を強要する。これを犯罪行為と言わずしてなんというのであろう。検察は自ら改革などできる筈もない。司法の最高裁判所までもがその仲間であることが明らかにされつつあり、泥沼に落ち込み這い上がることもできそうにない。

直近の大きな事件としては、政権交代がかかった2009年の総選挙前に東京地検特捜部が当時の民主党の小沢一郎代表をターゲットにした強制捜査だ。日本国の行方に多大な影響をおよぼした、とても民主主義国家とは言えない国策捜査(「陸山会事件」に始まり、検察審査会の強制起訴となった卑劣な手法)が、「検察の罠 森ゆうこ/著」「検察崩壊 失われた正義郷原 信郎/著」(共に2012年刊)で暴露されている。(多くの人が読むべきである)

特捜検察問題がメディアではアンタッチャブルなのは、お互いの利害関係が一致するところで協力し合っているからである。ここにも長い歴史があり、検察・警察・裁判所・法務省・記者クラブ所属の大手メディアが一致協力してこのシステムを作り上げてきた。可視化だけではこのシステムは壊れそうもない。なんとか解体する方法を見つけなければならない。多くの民がまっとうな政党・政治家を後押しすることしか方法がないようだ。民主主義を理解して実行できる政治家をよく見極めなければならない。  

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コメント
 
01. 日高見連邦共和国 2012年10月19日 09:17:25 : ZtjAE5Qu8buIw : Ihir5pcR5A
>司法の解体しかないのか

解体した後に、“大差の無い建物”が出来ちゃっても意味が無い。

三権分立・・・『立法』『司法』『行政』の独立と相互不干渉・・・
これを“担保”するシステムが必要でしょう。
そのための“憲法改正議論”なら大歓迎!

どーせ、どんなに素晴らしかろうと“押し付けられた憲法”
見直し、改善するのに、どうして躊躇する必要がある?

『人間の善意と公平性』を“善意”を過信したシステム、っていう“欠陥を有する”って意味では、
現・日本国憲法も、近代民主主義も、資本主義経済も、破綻しきった『共産=社会主義システム』と“本質的な相違”は無し。

これはとても難しい問題ダヨ!?


02. 2012年10月19日 09:18:36 : RufpgDo1AM
昔の特高のやり口は、主に肉体的拷問だった。
現在の特捜なり検察のやり口は精神的拷問である。

極めて有効なのは、
自分の愛する家族や
大切な友人関係にある人物を
取り調べるとか逮捕するとか脅して
自白を無理強いするやりかたである。

あるいは企業関係だったら
会計上、帳簿上の細かなミスをつつき
家宅捜査するとか会計検査するとか言って
営業の邪魔をする。

こういうことをされたら
中小企業はいっぺんにあぶなくなってしまう。
こういうやり口も、まさに拷問だ。

心優しい人であればあるほど
ありもしないことを「自白」してしまうのだ。

検察・警察は解体するしかない。

権力を国民の側に取り戻すために
いくらでもやりようはある。


03. 日高見連邦共和国 2012年10月19日 09:19:24 : ZtjAE5Qu8buIw : Ihir5pcR5A
01です。誤記訂正

×(誤): 『人間の善意と公平性』を“善意”を過信したシステム、
 ↓
○(正): 『人間の善意と公平性』という“性善説”を過信したシステム、


04. 2012年10月19日 10:49:10 : esmsVHFkrM

>>01日高見連邦共和国さま、

日ごろの言動を拝見して尊敬しています。しかし、お言葉ですが憲法についてのご意見には賛同できません。

基本的人権について現行憲法はこれ以上ありえないほど十分かつ完全に規定しています。これは戦前の日本がその明治憲法に人権規定がなく警察、検察、裁判所の暴力を許してきたことへの反省から、その具体的な人権侵害の手口をふまえそれらを個々に禁止して基本的人権の保障を図っているためです。

現行憲法の規定を実際に読むのが手っ取り早いでしょう。以下に現行憲法の基本的人権関連規定を引用します。

第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2  華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3  栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2  すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
○3  公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
○4  すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

第十六条  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

第十七条  何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第二十三条  学問の自由は、これを保障する。

第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
○2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
○2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2  賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3  児童は、これを酷使してはならない。

第二十八条  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

第三十条  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第三十三条  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第三十四条  何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

第三十五条  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
○2  捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

第三十七条  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
○2  刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
○3  刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
○2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
○3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第三十九条  何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第四十条  何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

以上です。

今回のケースに関連して言えば特に第三十八条にご注目ください。以下のとおりです。

第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
○2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
○3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

そうです。現行憲法がその字義通り実現されているならば、日本人は「自己に不利益な供述を強要されない」し、「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白」があってもそれは裁判所に証拠採用されないし、「自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には」裁判所に有罪とされないのです。

これを担保するために現行憲法はさらに第三十六条で以下のように明示的に公務員による拷問の禁止を定めています。

第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

さらに現行憲法は、憲法の基本的人権規定が公務員によって十全に遵守されるよう以下のように定めています。

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

いかがでしょうか。基本的人権規定としてこれ以上の憲法がありえるでしょうか。基本的人権保障を担保するこれ以上の条文がありえるのでしょうか。

これでも日本において基本的人権が公務員によって侵害されるのであれば(実際そうなってしまっているわけですが)もはやどんな憲法典を定めようが無駄なことです。 日本における公務員(特に司法官僚)による人権侵害は、現行憲法の規定が不十分だったり不完全だったりするから起こっているのではなく、このような優れた権利規定にもかかわらず一切それを無視して人権侵害と憲法違反を行って恥じないそのような公務員の国家主義思想の故であり、そのような思想の人間が司法や行政や政治の地位と権力に就くことを許してしまっている日本の民主主義政治のあり方のせいです。

いまだに核燃料がどこにあるかもわからないメルトダウンした原子炉を3機も抱えもう1機は燃料プールが崩壊寸前であるにもかかわらず、「原発事故は収束した」と平気で公式宣言するような日本の官僚利権政府は、現行憲法だって平気で無視し踏みにじってそれでも「憲法を守っています」とのうのうと言ってのけるのです。

だから、大事なのは憲法を改正することではなく公務員にちゃんと憲法を守らせることです。今いる公務員に守らせることができないのであれが全部入れ替えればいいのです。憲法を公務員にちゃんと守らすことさえできれば、このような長期拘留と拷問による強制された自白もありえないし裁判所によるそのような強制された自白の証拠採用もありえず冤罪もありえないのです。現行憲法はそういう憲法なのです。

だからこそ憲法を平気で無視しその規定に違反して恥じない連中こそが憲法改正を強く主張している事実にご注目ください。連中は現行憲法下で憲法違反を強行するよりは憲法違反を強行する必要のない明治憲法のような憲法がほしいのです。それが彼らの言うところの「自主憲法」です。

なるほど戦前明治憲法下で好き勝手を行い国民の基本的人権など歯牙にもかけなかった天皇制官僚どもとそれを支持した保守右翼国家主義者にとっては現行憲法が「押し付け憲法」であることは確かです。しかし、それは普通の日本人にとっては違います。普通の日本人にとって現行憲法は戦争と大量の死者という代償を払ってやっと獲得した民主主義そのものです。戦前散々踏みにじられた普通の日本人の基本的人権を保障するそんな民衆の権利法典です。これを失うわけには行きません。

現行憲法は、日本を再び国家主義ファシズムに戻そうとし日本人の基本的人権を無視侵害して恥じない官僚利権政府とその走狗である右翼保守主義者に対する政治的武器なのです。これが武器として機能していないのであればそれは憲法規定の問題ではなくせっかくの規定を武器として使えない私たちの政治的非力の問題です。

今だって官僚利権政府とその走狗である右翼保守主義者に対する政治的な戦いは困難です。それなのに、その敵が望んでいる憲法改正を許して現行憲法を失ったらどうやって彼らに政治的に勝って行こうというのでしょうか。現行憲法こそがわれわれの最後の砦なのです。

現行憲法は優れた憲法です。それゆえにちっとも難しくありません。読んだとおりそのままです。それを理解するのに法学者を必要としません。難しい解釈を言い立てる法学者がいたらそれはそのような平易な憲法規定をそのまま適用させないように工作している官僚政府の法匪です。

もう一度私が引用した現行憲法規定をお読みください。そうすれば簡単にわかるはずです。それが民主主義憲法典の力です。

というわけです。

以上の愚見を日高見連邦共和国さんのご高覧に供します。



05. 2012年10月19日 12:07:28 : XbTwXSbBLI
今回の犯人は警察・公安に一泡吹かせることが目的でこのウイルスを手作りしたと告白している。
犯人が自分でやったと告白しなければ、冤罪はそのまま是正されない状態で誤認逮捕された”被害者”は永久に人生に汚点をのこして生きていかなければならなかった。

違法逮捕(ころび公務執行妨害というそうだ)で逮捕された、反原発デモ参加者が
憲法違反(不当逮捕)と警察署内で叫んでみても、なにお馬鹿なことを言っていると相手にされなかったそうだ。

逮捕と同時に弁護士をつけて警察の拷問から身を守る制度を、作らない限り日本は法治国家といえない。
それとこの種の犯罪の場合は、パソコンの押収と事情聴取だけで、身柄の拘束は不要とするべく法整備を行う必要があろう。


06. 日高見連邦共和国 2012年10月19日 13:10:26 : ZtjAE5Qu8buIw : mFuG9qQlTk
>>04 ID=esmsVHFkrM さま

『基本的人権の尊重』の部分の解釈はその通りだと思います。良く出来た素晴らしい憲法だと思います。

私はこの日本国憲法の草案を作った、アメリカの開明的改革派の一団が、
アメリカでは実現出来ない“理想や理念”をどんな思いで“乗せたか”を思うと、胸が熱くなります。

また、今般の小沢一郎のみをターゲットとした裁判ざたは、国会議員を選挙で選んだ我々岩手4区の選挙民の“基本的人権”の侵害だと思いますし、
正しい情報による報道をしないマスメディア、内容を検証しようもない“検察審査会”のようなもので、
選挙にて負託を与えた政治家が本来の政治活動を著しく長期間に渡って阻害される事態、
その“根拠”が明示されない事態は“国民の知る権利”の冒涜だと思います。

そして、『日本国憲法』だからこそ、そのような論法も可能である事をよく認識しています。

けれど、“領土問題”と同様に、“戦後”に混乱の種を撒く操作は滞りなく行われています。
“憲法”で規定する主幹となる部分に“解釈”が成り立つこと自体があってはならない。
いかに最高裁判所でも“憲法を解釈”する権利有さない、これが私の主張です。

書き始めると切りがないので、論点を3つに絞って簡単に私の思いを書きます。

【憲法第9条について】
 最高裁がどう判決を出そうが、そこに“解釈と見解の相違”があるのは間違いの無い事実。
 私は、この憲法は“理由の如何によらず、あらゆる兵器の保有と戦争行為の放棄”を目指したものであると捉えます。
 その“理念”を、現在の日本人が“良し”とするなら、憲法の条文を小変更して、
 『自衛を含むあらゆる紛争の解決の手段としての戦争を永久に放棄する』とすれば良い。
 逆に、専守防衛の軍備の保有を“必要悪”と認めるなら、そのように条文を変更し、
 “自衛隊”と訳の分からない用語を廃止し、“軍隊”としっかり認めるべきだ。
 それは、自らの命を“国防”に捧げる自衛隊兵士全ての方たちへの、感謝と尊敬の念を含んだ、人としての当然の有り様だと思う。
 就職先の自衛隊から、“徴兵の対象”としての日本軍を、日本人が“是”とするならね。
 こんな大事な問題を、“憲法の解釈”で逃げていて、正しい対中外交や、尊敬し合える対米同盟構築など、かなう筈もありません。

【三権分立について】
 政治家は、選挙民が“直接審判”して、その権利を剥奪できる。 
 最高裁判事は、選挙民が“直接不信任”を下して、その職責を剥奪できる。
 では、行政府は・・・?
 
 ★第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

 とは言え、恒常的なシステムとしてその機会は無く、住民投票やリコールが可能としても、
 それは“実質的に出来ない”と言っていくらい敷居が高い。
 『何をやっても(脱法さえしなければ)解雇されない公務員・官僚』とい地位を守っておいて
 正しく健全な三権分立が運用されると思いますか?

 ★第十五条 第2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

 尊いこの“精神”が、今の官僚のやり様を見るとき、遵守されていると言えますか?
 言えないなら、それを裁き・正すシステムがあるでしょうか?
 無いなら、やはり憲法から見直す必要があると考えます。

【憲法解釈と最高裁】
 憲法の上位にはいかなる権威も存在しない。これが私の信念です。
 憲法の解釈を“最高裁”が下す権利は存在しない。仮にあるとしても、それは“参考意見”に留まるべき。

 日本国憲法は“憲法改正方法”を規定しているが“憲法解釈の方法”など規定していない。
 そもそも、“憲法に解釈が入り込んでいのか”という問題です。
 少なくとも、その“柱”となる部分に“時の解釈”が有り得るなら、憲法は唯一絶対のものでは有り得ない。
 とはいえ、言葉の定義の問題や、状況変化による不測の事態はありうるから、それが生じれば、
 国会にて議論し、憲法に定める方法で“憲法改正”すれば良い。そこまで言わなくとも、
 やはり“解釈が問われる事態”起こりえます。それを裁くのは・・・?
 もし、最高裁で裁くなら、国民はその“判事”を直接選挙で選ぶ権利があると私は主張します。
 もしくは『憲法解釈国民評議会』を設置し、選挙にて委員を選定し、完全公開の場で議論を行い、票決する。

 ・・・というように“憲法改正”する提案です。

簡単に記す、と言って冗長になって申し訳ございません。
“憲法改正”というと、それだけで“拒絶反応”を示す敏感な方もおられますので、
私が感心を持ち、こう有るべき、という腹案がある内容に関して記させて頂きました。

最後に、結論としての私の基本的な考え、重いを。

@人が作ったものである以上、日本国憲法は“絶対”ではない。言葉の定義の部分の見直しはするべきである。

A日本国憲法は素晴らしい憲法である。25世紀の先まで通用する理念を内包している。抜本的に見直す必要はどこにも無い。

B憲法第9条は、日本国憲法の“象徴”である。自衛を含むあらゆる兵器・戦力の放棄を謳っている。


07. 2012年10月19日 16:08:43 : esmsVHFkrM

06. 日高見連邦共和国さま、

esmsVHFkrMです。早速レスいただきまして恐縮いたします。また、その内容を拝見して改めて志を同じくする普通のまともな日本人がここにいると勇気づけられました。

わたしは、人類社会史においてその進歩の成果である自由民主主義を信奉するものであり、あなたとは目指すものとそれを願って止まない信条を共有します。したがって私があなたと見解を異にするとすればそれはあくまでそれは自由民主主義を日本において実現することにおける戦術的見地の相違に過ぎません。それをまず確認させていただきます。

またこのスレの論点が基本的人権であることから第9条の平和主義および戦争放棄についてはあえてここでは論じません。参考までに申し上げておけば私は50年以上にわたる非武装中立論者で第9条の熱烈な支持者です(芦田修正による歪曲があっても)。それは、絶対平和主義が日本人が先のアジア太平洋戦争で2000万人のアジア人を殺し300万人の同胞を犠牲にしてようやく得た国民的教訓であったと信じるからです。

さて、以上を確認したうえであえて私があなたに訴えたいことは以下のとおりです。

憲法が公務員によって遵守されるかどうかは憲法の書きぶりによるのではありません。いくら憲法を立派に書き込んでもそもそもこれを遵守するつもりもなければむしろそれに反対しそれをないがしろにしてやろうとする公務員は憲法違反を平気で犯します。現に現行憲法がすでに見たように諸外国の権利章典に比べてもより詳細にまたより広範に権利保障と国家権力によるその侵害を禁止していながら、日本の公務員が平然とそれに違反していることから明らかではありませんか。

憲法違反を止められるのは「それは憲法違反である」との当然の指摘(そう主張ではなく指摘です)が実際の政治状況においてパワーを持つかどうかです。日本はここが駄目なのです。私が子供のころはそれでも護憲勢力がある程度の政治的パワーを持っていましたから自民党・官僚利権政府はそれに牽制されて好き勝手を行うことができませんでした。だから、彼らが「押し付け憲法」と嫌悪する現行憲法が今に至るまで保ったのです。ところが昨今の右傾化により今やその護憲勢力はパワーを失い官僚利権政府の好き勝手を止められません。このような状況では憲法に何が書いてあろうと官僚利権政府は平然と憲法違反を行います。

いい例がこれです。あなたは、現在の日本の非民主主義的な全体主義政治は官僚制に原因があって、政治家と違って官僚は選挙することも罷免することもできないからだと考えておられるようです。まったく同感です。これこそが日本の官僚利権政治の根本的な問題です。では、この事態は憲法の規定振りの不備が原因なのでしょうか。

憲法には堂々とこう書いてあります。

第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

したがって、現行憲法に従うならば日本人は憲法違反を犯す公務員を罷免することができるのです。もちろん代議制ですから国会の公務員訴追委員会でも作って憲法違反を犯す公務員はどんどん罷免すればいいのです。でも実際にはそうなっていません。それがなぜかと言えば公務員が走狗の政治家(過去の話ですから自民党政治家です)を使って自分たちが罷免されないような法律を勝手に作ったからです。それが人事院規則でその第2条はこうあります。

第二条  いかなる場合においても、法第二十七条に定める平等取扱の原則、法第七十四条に定める分限の根本基準及び法第百八条の七の規定に違反して、職員を免職し、又は降任し、その他職員に対して不利益な処分をしてはならない。

これは憲法違反の法律です。少なくともこれをもって国会のひいては国民の意思とかかわりなく公務員がその失政や非行や憲法違反行為に対して免責されるような運用が行われている限り憲法違反です。公務員は憲法は遵守しないくせに自分たちで勝手に作った憲法違反の法律は他人にきっちり遵守させます。こうやって公務員は憲法違反を平然と行うのです。これは憲法の条文が不備なせいではなく、そんな暴挙を止められない、そんな憲法違反を許してしまうわれわれの政治的パワーの弱さのせいです。

憲法の解釈については、まずどんな条文であってもそれが言語である限り解釈の余地を与えてしまうものだという文章論的事実を指摘したいと思います。現行憲法は平易で直裁で一文が短いものであって文章として解釈の余地をあまり許さないものです。しかしそれでも官僚利権政府の法匪は解釈でその意味を曲解しようとしています。それは第9条の解釈論争を見れば明らかです。そのような解釈による憲法違反の試みに対して改憲して条文をどう変更してみても対抗できません。憲法規定が気に入らない連中はどんな理屈どんな解釈でも平気で強行してくるのです。これに対抗できるのはそのような解釈意見を許さないという政治的パワーだけです。

したがって、結局は政治闘争に勝つしかないのです。政治闘争に勝つために憲法は助けになっても(そうです、われわれは現行憲法によって大いに助けられています)憲法の規定いかんで官僚利権政府とそれを支持する右翼保守勢力が「はは〜、参りました」となることは決してないのです。むしろ憲法を実現するためには政治闘争に勝つしかないのです。

最後に憲法解釈と最高裁の問題は興味深いので触れておきたいと思います。最高裁が憲法上有権解釈の最高機関であることは現行憲法の規定です(最高裁が憲法判断を忌避するために実質的に内閣法制局が有権解釈期間となっている実態がありますが)。しかしそれは最高裁が憲法の上に立っているということではありません。いくら最高裁が憲法判断を行ってある憲法解釈を主張してもそれが不当であるならば日本人は誰一人としてそれに従う義務はありません。

憲法は最高裁をはじめとする裁判所の独立と不偏不党を当然のこととしてそれを前提に手続きを定めただけで、その前提が失われ最高裁判所自体が憲法に違反するならば、その一切の決定、判決は憲法違反で無効です。憲法にはこうあります。

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

最高裁が形式的に憲法に則って有権解釈を行ったものだと強弁しても実際それが憲法違反であるならば日本人は誰一人それに従う義務はありません。なぜならばわれわれ日本人は自然権としての基本的人権を生まれながらに持っており、憲法はそれを成文にしたものであり、それゆえに憲法が保障する基本的人権は最高裁判所はおろか誰にも犯すことができないからです。これが自由民主主義の根本原理です。

最高裁が憲法違反を推し進める存在になってしまっているから憲法上最高裁を憲法の有権解釈の最高機関からはずすというのではなく、最高裁が独立を失いその本来の使命を忘れ憲法の万人であることから逸脱しているのなら、最高裁をその本来の姿に戻すべきなのです。憲法が前提とした正しい国家機関とその権能のあり方に引き戻さなければならないのです。これは再び政治パワーの問題です。われわれはこの点においても政治闘争に勝たなければならないのです。

そうは言っても実際に日本国の暴力装置を独占しているのは官僚利権政府です。憲法上保障されていても自然権があっても暴力装置を独占する官僚利権政府の強権発動に対して日本人は無力です。しかしだからといってわれわれ日本人に自然権としての基本的人権があること、それは何者にも犯されないこと、日本国は自分たちの自由意志によって自分たちの基本的人権をよりよく実現するために作ったものである(社会契約としての国家)から、それがその目的に反するものとなったときに日本人にはそれを作り直す権利があること(革命権)を忘れてはならないと思います。現行憲法はこの点においてもわれわれの味方です。前文はこの自由民主主義思想をこう宣言します。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

そうです。いざとなったら政府を倒すだけです。憲法を犯し国民に牙をむくような政府は倒せばいいのです。18世紀にはフランス人と植民地アメリカ人がやりました。最近ではチュニジアとエジプトで人々が立ち上がりました。革命権を行使するとの決断を行う日本人が多数となれば官僚利権政府を倒すことは可能なのです。

日高見連邦共和国さん、あなたのお名前をそのような覚悟を表しているのでしょう。いざとなったら革命権を行使し自分と郷土の仲間の基本的人権を本当によりよく実現するために日本から独立した共和国を設立する覚悟なのでしょう。私もその覚悟です。

というわけです。

現行憲法はそんな憲法です。本来はそういう戦う憲法なのです。だからわれわれには強い味方だし彼らには非常に危険なのです。私は憲法典を不磨の大典とするものではありませんが現行憲法を修正する必要を一切認めません。特に敵である官僚利権政府とその走狗である右翼保守勢力が憲法改悪を狙っている現状において憲法改正論議を安易に進めることは戦略的な誤りであると信じます。

私は現行憲法とそれが宣言する自由民主主義を心から愛します。



08. 日高見連邦共和国 2012年10月19日 19:51:04 : ZtjAE5Qu8buIw : wN3GZJJ33Q
>07さま

だいぶ言葉足らずの私の 06 のコメントを“善意に解釈”して頂いて有難うございます。

私は、不完全であれ、押しつけられたものであれ、現状の日本国憲法に勝るものを、
現在の人類が“制定しうる”とは想像できません。ましてや日本人には・・・

『25世紀まで通用しうる、日本国憲法』という表現は、あくまで“比喩表現”の範疇なのですが、
あながち“間違っても居ないなあ”と、さっき車を運転しながら思っていました。

高村光太郎の詩篇『報告―知恵子に』の中に、このような一節があります。

―日本はすっかり変わりました
 あなたの、身震いするほど嫌がっていた
 あのがさつな階級が
 とにかく存在しないことになりました
 あなたこそまことの自由を求めました
 求められない鉄の囲いのなかに居て
 あなたがあんなに求めたものは
 結局あなたのあたまをこわしました
 あなたの苦しみを今こそ想う
 日本の形は変わりましたが
 あの苦しみを持たない我々の変革を
 あなたに報告するのは辛いことです―

私が“押しつけられた(与えられた)憲法”という表現を使うとき、
私の頭の中には、光太郎のこの“魂が引き千切れるような叫び”がリフレインしています。
≪全人類恒久平和の実現≫これは、」理想やお題目などでは有り得ません。
全身全霊・全力で果たさねばならない“使命”だと、私は思っています。

知恵子は福島の女性です。安達太良山の上に“ほんとうの空”を見た彼女は、
現世の“災厄”をどのような気持ちで見降ろしているのでしょうか。

光太郎は戦前、戦意鼓舞の詩篇を大量に発表し、結果的に多くの若者たちの命を戦地に赴かせた事の責任を、
一生悔い、自分を責め続けていたと言われます。

光太郎が宮沢賢治を頼って岩手・花巻に身を寄せ、ひとり花巻は山口村に“隠れるように身を置き”
決っして恵まれたとは言えない晩年を過ごします。

東京(光太郎の生地)=福島=岩手を繋ぐ、偶然とは言えない歴史の糸の紡ぎです。
・・・余談ながら・・・


09. 2012年10月19日 23:25:28 : AcztUHif6k
こんな問題、解決するの簡単ジャン。

たとえ罪を犯した人であっても、そうでない人も、

検察側は、『国民のためのサービスを提供している』

ということをきちんと認識して。

1. 取調べは、原則、すべてネットで WebCamで リアルタイム公開。

被害者側、被疑者側関係者や弁護士だけに付与されるパスワードでネットで閲覧できるようにする。
尋問されている側には、ツイッターで無料で、弁護士からアドバイスを受けることが可能にする。

2. 取調べした内容のライブ映像は、国民 ID を通じて、

関係者がすぐにネットでアクセスできるようにする。

3. なんらかの、問題発言や、威圧等の行為があった場合、弁護士同席して、
再度『訂正発言』をできるようにする。
これもネットで関係者に公開。

4. 裁判では、そのライブ映像をみながらの検証。


こんな簡単なシステム、lNTT データだと9000億ぐらいするだろうけど、
インドの会社に発注すれば、30 億もかけないでつくれるでしょ。


10. 2012年10月20日 00:05:10 : uJgrOuW4bg
憲法の内容などそこらじゅうで踏みにじられている。

国民は検察官であれ裁判官であれ解任できる、はず。

最高裁判事の国民審査など今の制度では何百年経っても1人の裁判官も解任されることはない。ある意味憲法違反の法律。
何も書かなくても信任とするなど官僚の恣意的運用の見本。国会議員を中心に構成される検察権適格審査会など、機能してこなかった。

憲法の記述、内容が実質の権力を握る官僚に捻じ曲げられていることが問題。法律を作る国会の答弁になぜ役人の機関、内閣法制局(検察官OBその他で構成されている)がでてくるのか。小沢はこれを排除したが、検察に攻撃された後、菅内閣、野田内閣で内閣法制局はまた復活している。

国民の知る権利もないがしろにされている。説明せずともおわかりだろう。

今や生活保護者が攻撃され、生存権さえ危うくなっている。


11. 2012年10月20日 00:55:36 : esmsVHFkrM

日高見連邦共和国さま、

esmsVHFkrMです。

引用された高村光太郎の詩は重いですね。

高村光太郎についてというよりは日本近代詩についてまったく無知なものですから最初それを十全に理解することができませんでしたが、ネットでその背景を知って(便利なものですね)その意味合い特に敗戦直後に作られたこの詩を今この日本で(特に福島の原発災害後)読むことで喚起される感慨に圧倒される思いです。おそらくあなたが「光太郎のこの“魂が引き千切れるような叫び”」とおっしゃったのはこの感慨なのだろうと想像します。

「あなたの、身震いするほど嫌がっていた
 あのがさつな階級が
 とにかく存在しないことになりました」

という一節にもかかわらず「あのがさつな階級」は息の根を止められることはなく戦後を生き延びました。東京裁判であの天皇制官僚政府が軍部だけを生贄の羊にしてアメリカの手先として生き残ったことはまことに残念なことでした(これが東京裁判における天皇免責の本当の意味です)。これはまさに戦争とその敗戦による終結という歴史の転換点においてすら当然の行動を取ることができなかった(三木清はポツダム宣言受諾後の9月26日に獄死しているのですから)日本人の政治的主体性の欠如によるものですが、高村光太郎の次の一節はまるでこのような主体性なき変革の暗い将来を予感していたかのようです。

「あの苦しみを持たない我々の変革を
 あなたに報告するのは辛いことです」

そうです。われわれの敵である「あのがさつな階級」の官僚利権政府とその走狗である右翼保守勢力は戦後を生き延びたばかりか今や完全に復活して再び日本と日本人を災厄の淵へ追いやろうとしています。福島後の日本においてこの高村光太郎の詩を読むことで喚起される感慨をなんと呼べばいいのでしょうか。それは憤怒とも悔恨とも絶望とも呼べるような複雑で何か分けのわからない感情の爆発です。しかもそれには悲しみという影がくっきりと寄り添っているのです。

日高見連邦共和国さん、日本はもう一度、そうあのドイツのように2度の災厄を経験しなければ官僚利権政府とそのイデオロギーである右翼保守思想を清算してまともな民主主義国となることはないのでしょうか。最初の災厄において日本は2000万人のアジア人を殺し300万人の日本人を犠牲にしました。2度目の災厄においてどれほど多くの人の命が奪われなければならないのでしょうか。民主主義とはそのような人民の血であがなわなければ得られないものなのでしょうか。

私は今日本の2度目の大災厄の予感に震えています。

明治以来140年余を経て官僚利権政府は完全に行き詰っています。福島原発事故はそれを象徴的に示しましたし、産業の不振と経済の衰退、日本人の貧窮化、国家財政の破綻、福祉制度の崩壊はそのような官僚利権政治の矛盾の帰結です。官僚利権政府はそれが最強となりその権力行使の自由が頂点に達したまさにその瞬間に崩壊への道を転がり始めたのです。すでに官僚利権政府はその民主主義的な偽装を継続することができなくなっています。その強権的なファシズム体質を隠蔽することができなくなっています。小沢のインチキ裁判も増税法案をめぐる国会の茶番も一連のネット規制法ももはや余裕を失った官僚利権政府の非力を露見させました。おそらく官僚利権政府の中にもこのようなハードな支配への転換に危機感を募らせている官僚が数多くいるはずですが彼らもその危険性(彼らにとっての危険性とは官僚利権政治継続の可否ですが)がわかっていながら止められないのです。

中国の勃興は、西洋植民地時代の最終的な清算でありかつまた東アジアにおけるシーパワーアメリカに対抗するランドパワー中国の出現であることからこれは歴史的かつ地政学的な必然です。誰もこれを押し止めることはできません。アメリカは東アジアから退潮していくわけですが、問題はアメリカはどこまで下がりまたその過程で何が起こるかです。このような東アジア国際環境の歴史的大転換の中で行き詰って崩壊に瀕した官僚利権政府と右翼保守勢力はアメリカの傀儡としてどのような行動を取るのでしょうか。

福島原発事故はまったく収束していません。今後これはどのような展開を見せるのでしょうか。活動期に入った太平洋の火山地震活動は日本に第2、第3の原発事故を引き起こすのでしょうか。その時官僚利権政府はどのような行動を取るのでしょうか。日本人はそのような第2、第3の原発事故を生き延びることができるのでしょうか。

悲しいことです。

私は何年か前桜の季節の山形県、宮城県、福島県の東北三県を巡ったことがあります(岩手にはいけませんでしたが今度ぜひ言って見たいと思います)。実は私にとってはじめての東北旅行でしたがとても感銘深いものでした。その自然も、田や畑も、町並みも、人々も、そして咲き誇る桜も美しいとしか言いようのないものでした。またそれぞれの土地に残る豊かな文化も感銘深いものでした。そうでしたね。東北は明治維新以来のイメージ(そうです、日本の南北戦争であるあの戊辰東北戦争のせいです)でどちらかというと辺境の遅れた地域と見られがちですがそれはとんでもない間違いで江戸時代までは大変豊かに繁栄していたのですものね。その繁栄振りの残滓が今もひしひしと感じられました。

それが、東北に限りませんが、明治維新以来の中央の官僚利権政府の搾取によって今の地域経済状態に貶められていることは大変残念なことです。あの美しい東北の国々が(そうあの陸奥の国と出羽の国です)その美しい自然を必要もないインフラ(ダムや堤防やあの原発です)によって傷つけられ、あの善良で美しい人々が衰退する地域経済の中で困難に直面させられていることは大変悲しく義憤を感ぜざるを得ません。

日本の再生と民主主義の確立はまず東北の独立からなのかもしれません。官僚利権政府の搾取を逃れることこそが日本人の真の豊かさと幸福への道であるのですから、日本国内で官僚利権政府を打倒することができないのであれば独立してしまえばいいのです。台湾だって独立国としてあれだけの繁栄が可能なのですから東北が独立して台湾以上の繁栄と成功ができないわけがありません。冷戦が終わってもはや日本海は北に閉ざされた海ではありませんし、ロシア経済はその発展を将来的にロシア極東に求めるでしょう。

日高見連邦共和国さん、私はそのような可能性とロマンをあなたのペンネームに見ます。日本が2度目の災厄なしに民主主義国として再生できるとしたらそれは案外そのような日本の地方の中央官僚利権政府からの独立によるのかもしれません。陸奥と出羽の国が独立する暁にはぜひ義勇兵としてその独立戦争に参加したいものだと思います。

取り留めのない話ですみません。

私はあなたとその心情を共有するものです。連帯の挨拶を送ります。



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