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地方分権、大阪都構想、道州制など中央と地方の関係を見直す議論が活発だが、そもそも「地方自治」とは何なのか。地方分権、地方自治を考える上で根本的な疑問が多々ある。
○「地方自治」というものの、実態は国で決められたことの下請け仕事が大半で、地方が主体性・独自性を発揮している領域はほとんどない。そもそも法制度含めそのような仕組みになっていない。要するに、地方自治というに相応しい自主管理の中身がない。
○「公務員」はこんなに必要なのか。これだけの人数、人件費とも多すぎるのではないか。民間企業に比べて役所の組織体制が旧態依然という不思議、いったい何故か。
○「議会、選挙」は何のためにあるのか、必要なのか。そもそも数年に一回投票するだけで、自治に参加していると言えるのか。大衆は税金を納め、たまにサービスを受けているだけで単なる消費者のようなもの。この状態を「自治」とは言えないのではないか。
自治=自主管理の精神は、「自分たちの生きる場を、自分たちの手でつくってゆく」ことにあるのだが、地方自治体の現状は少なくともそうなっていない。これはどういうことなのか?
日本の歴史を辿ってみると、「地方自治」という言葉がなかった時代のほうが、また専任の「公務員」もほとんど存在せず、「議会、選挙」もなかった時代のほうが、地方の自主管理が実態として行われていた、つまり自主性・自治性がはるかに高かったと思われる。まずは日本の地方自治の歴史を整理してみたい。
■江戸時代の幕藩体制下、地方自治はどうだったのか?
・江戸時代は大きくは、幕府−藩−村落共同体(大衆)という社会構造。幕府直轄の仕事は、貿易、国防、金の採鉱などに限られ、決して多くはなかった。基本的に幕府から独立した機構だった。藩の側から見れば、幕府はいわば御神輿、それで体制が安定するなら幕府を担いでいた方が良いという感じか。
・大衆は村落共同体における自主管理、自給自足が基盤。村の規範(法制度に近い)も共同体の構成員=大衆自身が決めていた。
江戸時代の村落共同体の大衆には「地方自治」という言葉はなくとも、自治=自主管理が当たり前のこと、ごく自然なことだった。おそらくこれが、縄文以来、ほとんどの日本の地方、村落共同体が歩んできた姿だっただろう。
■明治〜戦前の中央集権体制はどのように形成されたのか?
・明治政府下の新体制により、行政は一気に中央集権化する。明治憲法には地方自治に関する規定は全くなく、要するに地方行政は中央官庁を頂点としたピラミッドの末端と位置づけられた。
こうした中央集権化の第一の要因は、「国家間の戦争圧力」だろう。国家間の戦争圧力が近代に入って上昇してきた背景には「近代市場の形成」と「金貸しによる支配」がある。
★この国家間戦争のやっかいなところは、地方分権体制を維持していては勝てないこと。国内の資源と労働力を結集して国家総力で対応する必要があった。これによって日本古来の村落共同体の自治=自主管理の姿は大きく変容していった。殖産興業のための大量の労働者が必要になり、人口は都市へ移動し、全国一律の学校教育制度も設けられた。社会の構成単位が村落共同体であったのが、徐々に解体されてゆく。
■戦後の地方自治、民主化とは何だったのか?
★・第二次大戦後、国家にとっては専ら「市場拡大=経済成長」が目標となる。大衆的には個々人の豊かさ追求が第一という価値観、これらによって村落共同体は致命的に解体されてゆく。共同体から切り離されたバラバラの家庭・個人がそれぞれに私権追求に励むことが是とされ、地域社会のことは誰も考えなくなってしまい、結果的に地方の自主管理、独自性、創造性は失われてゆく。
・戦後の地方行政の歴史は、教科書やマスコミでは、「民主化の流れ」「地方自治、地方分権の流れ」が拡大していったと言われるが、実態は上記の通りである。実際に、生活者としては地方自治が広がったという感覚はほとんどないし、地方自治体が独自の政策を立案し実行しているという認識もほとんど持てない。少なくとも江戸時代の藩ような自治裁量権を今の地方自治体は有していないし、大衆自身も自治=自主管理の場を有していない。
・歴史的事実として、民主主義が浸透するほど自治=自主管理は失われてきた。戦後の「民主化」「民主主義」とは何だったのか、まさしく「民主主義という騙し:民主主義は自我の暴走装置である」 リンク のとおりである。
★ 歴史を辿って明らかになったのは、古来からあった「共同体」と、近代以降に組織化されてきた「自治体」は出自も原理も異なるということ。共同体は農漁村から(生産体から)、自治体は都市から(戦争と市場から)という言い方もできる。都市というバラバラの家庭・個人が私権追求を行う場において、利害調整を行ったり、自給できなくなった(自前で担えなくなった)サービスを行う機関として必要になったのが自治体という機関とも言える。(世界史を見ても、戦争、貨幣の浸透という二大要因によって中央と地方自治体の問題が登場している)
○共認の時代における地方自治のあり方を考える上で重要なのは、「民主主義からの脱却」と「共同体の再構築」だろう。(岩井裕介/抜粋)
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