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■野田政権、安倍・自民党、大阪維新らの背中に取り憑くヤクザ・暴力団(ゴロツキ徒党政治)の伝統
<注記>画像は、http://urx.nu/2c5K より転載。
sawayakasawada読売「田中法相の暴力団交際、辞任要求強める野党」との記事有り。安保闘争のとき、反対運動を防圧するために自民党は、住吉会、東声会、山口組にヤクザの動員を要請し警察予備隊を組織した話は有名。反対した山口組の田中清玄はのち暗殺。安倍自民党、まずは自分らから身を糺せ。 via web2012.10.13 09:05hanachancauseがリツイート
p9oneh大臣に成らないと発覚&追及しない!不思議@kanbou_tyoukan: 知らなかった?出席者の雰囲気見れば誰でもわかるだろう。 俺ならすぐに逃げ出すよ 田中法相、居座り!暴力団交際を認めるも辞任否定ZAKZAK http://urx.nu/2cJ1 @zakdesk via Twitter for Android2012.10.14 08:48hanachancauseがリツイート
【野田ブタ暴力団式原発推進内閣?】公明に言われるまでもなく辞めるべきだし、子供たちの教育上もよろしくない!⇒田中法相 公明代表、自発的辞任求める 「職責継続は困難」 - MSN http://urx.nu/2c5K http://urx.nu/2cJ3
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・・・以下は、[これぞホニャララの流儀! 麻生組長・談話“総選挙は組員一同一致団結して”シャンシャン、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090718 から一部分を転載・・・
■日本政府の背後に潜むヤクザ・暴力団(ゴロツキ徒党政治)の伝統
これは一部でよく認識されていることではあるが、特に我が国における「政党発達史」を顧みると、「政党」の前段階の存在と見なすべき「政治結社」と「任侠集団等の徒党集団」には、かなり重なり合う部分が見えている。この「任侠の精神」の原型は室町期のバサラ者まで遡ることができるが、彼らは暴力集団というより現代風に言えばパンク、ヤンキーなどに類する風俗・意匠的なアウトローたちであった。
彼らは、カブキ者とも呼ばれ、辻が花(室町中期〜桃山期に流行った模様染め)などの派手な衣装を身に纏い、キッチュな織部焼きの趣味をひけらかすなど前衛文化を好むパンクな輩でもあった。やがて、「大坂冬の陣」(1614)と「大坂夏の陣」(1615)が終わり、「元和偃武」期(1615〜)に入り、武士たちが幕藩体制に組み込まれ官僚組織化した武家階級が成立すると、そこからのはぐれ者たちで「旗本奴」と呼ばれるヤクザ集団が出現する。
また、ほぼ時を同じくして江戸・大坂・京都など都市住民のなかから、「旗本奴」の同類を偽装するかの如き「町奴」と呼ばれるヤクザ・徒党集団が現れてきた。やがて、彼らは自分たちの力(暴力や、もめごとなどの調停能力)に増長し豪商や町屋の大店(商家)から「お断り」と称する金品を巻き上げるようになる。
ここで留意すべきは、たとえ“はぐれ者”たちであるにしても、あくまでも「旗本奴」及びその同類を偽装するヤクザ・徒党集団は何らかの形で支配階層に連なる隠然たる由縁を持つ者たちであるか、あるいはそのことを得体が知れぬ闇の中で巧みに詐称する輩たちであり、彼らは、チラチラと偉いお上の権威を折に触れひけらかすことができる立場であったということである。
この辺りの事情は、近・現代の「政治結社」が何らかの権力的な威圧感を感じさせつつ民間企業から「裏政治献金」を掻き集める姿を彷彿とさせる。つまり、このような慣習と伝統の中で、安全な日常を確保する「寺銭」(テラセン)としての裏政治献金は当然だという日本の社会通念が培われてきたと考えられる。
やがて、元禄期(17C末〜18C初)になると「火消人足集団」が現れるが、これには「武家火消し」(旗本・御家人の次・三男出身)と「町火消し」(町奴、鳶職人が混在)の二種類がある。そこで鳶の技術を活かし第一線の火消しに取り組む男たちは臥煙(がえん)と呼ばれ、全身に刺青を入れた彼らは飛び切りの威勢の良さを誇るとともに、彼らも、次第に傍若無人でありながらも、どこかで公権力との繋がりをチラつかせる威圧的な無頼漢集団と化していった。
この種の無頼漢・徒党集団の中で「親分-子分の絆」が強く意識されるようになったのも、同じ元禄期の頃からであったが、このような流れの中で、江戸時代の後期頃から、専ら「鉄火場の博打」と「ゆすり・たかり」で生計をたてる「任侠ヤクザ・ゴロツキ連中」が登場してくる。
ところで、明治維新後の日本が近代国家へ向かう中の動きで見逃せないのが「自由民権運動」である。教科書的な説明によれば「自由民権運動」とは、藩閥政治に対抗する士族が中心となって取り組んだ民主化運動で、1874年の「民撰議院設立建白書」が口火になったとされる。
この運動は1889年に「大同団結運動」が分裂すると消滅し、やがて自由党、立憲改進党など「政党」が成立する。しかし、近年の歴史研究では「自由民権運動と政党が成立する過程」における「任侠ヤクザ・ゴロツキ集団」の役割、いわゆる「民権博徒的政治結社」の存在が無視できなくなっている。
従って、この辺りにこそ日本の「政党」と「任侠ヤクザ集団」の類縁性のルーツがあると考えられる。今でも我が国の「大政党」に一種独特の胡散臭さが漂っているが、そして、それは殆ど無意識であろうが、我われ日本人の精神の奥底には安全な日常のための「寺銭」(テラセン=裏政治献金)を当然視する“遺伝的庶民感覚”が残存していると考えられる。
なお、明治維新には、「任侠ヤクザ集団」との類縁性を窺わせるこの種の政党のほかに、立憲帝政党という「政府の御用政党」が創られたことも記憶に止めるべきであろう。現代ヤクザ(≒暴力団・ゴロツキ)のルーツは、国会議員であった吉田磯吉(北九州の筑豊炭田を仕切る大親分)であり、その門下から大阪・横浜・神戸・四国でヤクザ集団の分派が誕生している。
更に、神戸の分派から大島組を創設した大島秀吉は神戸市議会に介入し、一時期は神戸市政を牛耳っていた。そして、大島秀吉の子分の一人、山口春吉が創設したヤクザ組織が、いま全国に網を張るヤクザ業界で最大手の山口組である。
いずれにせよ、近代日本における、このような「任侠集団」の歴史を概観すると、いわゆるヤクザ・任侠集団・暴力団が、「政治結社」や「政党」と不可分の曖昧模糊としつつ渾然一体的関係を維持しながら明治維新以降の我が日本国の「保守政治」と「地方自治体政治」に深くかかわってきたことが理解できる。
そして、最も憂うるべきは、わが国における、このような政治権力・行政・財界(政・官・財)の歴史的・世襲的な非近代的ズブズブ性(癒着構造)をステップ・バイ・ステップで改善するための仕事へ取り組むべきジャーナリズム(マスメディア)の過半が、実はそれどころか、記者クラブ制度等の権力側との癒着的な既得権を介して「権力&ヤクザ・任侠集団・暴力団」サイドの仕事に加担している疑いが大きいことだ。
・・・以下、省略・・・
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