http://www.asyura2.com/12/senkyo137/msg/139.html
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(投稿者)『維新の会所属議員が「橋下氏は平和ボケ」と不快感 (週刊朝日)』
http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/632.html
で挙げた「橋下氏と橋下氏が乗っている勢力」の資料として投稿します。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121011/stt12101121450011-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121011/stt12101121450011-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121011/stt12101121450011-n3.htm
都構想実現は「政治闘争」 「政治生命」は「言葉遊び」 日本維新の会幹事長、大阪府知事 松井一郎
2012.10.11 21:42
自民党大阪府議団の政調会長をしていた平成19年12月ごろ、財政赤字を増やした(橋下徹氏の前任の)太田房江府政の検証結果をまとめたときに、(現大阪府市特別顧問の)堺屋太一さんが「橋下という人材がいるよ」と連れてきた。
彼は、テレビで「(出馬は)2万パーセントない」と言い切っていた。でも、府の財政状況を説明すると「納税者として許せない。自分の7人の子供も含め、次世代の人たちが食べていけない」と。弁護士でありテレビで活躍していた人が、大阪を何とかしたいとの思いで、10分の1の報酬になる道を選んだわけだ。
自民党は彼を支援したのに、ベテランは彼をタレント扱いしかしない。歳出削減策には、支援団体の代弁者のように言うて邪魔する。ベテランが議会を仕切るのでは府政改革はできないと、僕も不満だった。
そして府庁舎移転問題だ。橋下が掲げたWTC(大阪ワールドトレードセンタービルディング)への移転案に、僕らは賛成やった。ベテランは「大阪市が失敗したビルに府が入るのはけしからん」と言うてきた。長年横たわっていた府と市の対立をこの場面でも持ち出してきたのだ。
自民党会派は賛成が多数意見でまとまった。すると、ベテラン勢は他党と組んで無記名投票の採決に持ち込んだ。移転案は否決された。「政治はこういうものだ」とベテランから言われ、自民党会派にいる意味はない、と6人で「自民党維新の会」を結成した。
橋下も府議会のやり方に「ふがいないなあ」とあきれたと思いますよ。府と市の二重行政を解消しなければいけないと訴えてきたから、ここで府と市をガラガラポンしなきゃいかんなあとの思いを橋下と共有し、「大阪都構想」を推し進めようとなった。「血で血を洗ういやらしい戦いになると思うが、一緒にやろうや」と確認し合ったのだ。
その後、自民党から賛同者が来て、22年4月には「大阪維新の会府議団」、地域政党「大阪維新の会」を相次いで立ち上げた。大阪市議補選で相次いで勝利し、昨年4月の統一選で府議会では史上初となる単独過半数の会派となり、同年11月の知事と市長の「ダブル選」でも圧勝できた。
彼は、選挙戦で「大阪都構想ができんようなら、家にこもって私利私欲に走る。みんなから『都構想をやれ』と数をもらったらやる」と訴えた。大阪都構想はそもそも、僕が議会で提案していた。僕の発言はメディアには取り上げられなかったが、橋下徹という発信力のある知事が言うことで一挙に浸透した。
市長へのくら替えを勧めたのは僕らだった。知事と市長が一緒に動かないと都構想は実現できないと思ったからだ。しかし、現職だった平松邦夫氏を民主、自民が支援した。勝てるのは橋下しかいないと思った。
同年10月にうどん屋で彼を説得したんです。すると彼は「やるんやったら、知事選には松井先生です。そのパターンでなかったら出ません」と。僕は、知事は東大官僚みたいな人がええん違うかと思っていたので、逆提案にびっくりした。「無理やで」と拒否したが、2次会に場を移しても彼が説得するので、もう受けざるを得なくなった。
自民党大阪府議団の政調会長をしていた平成19年12月ごろ、財政赤字を増やした(橋下徹氏の前任の)太田房江府政の検証結果をまとめたときに、(現大阪府市特別顧問の)堺屋太一さんが「橋下という人材がいるよ」と連れてきた。
彼は、テレビで「(出馬は)2万パーセントない」と言い切っていた。でも、府の財政状況を説明すると「納税者として許せない。自分の7人の子供も含め、次世代の人たちが食べていけない」と。弁護士でありテレビで活躍していた人が、大阪を何とかしたいとの思いで、10分の1の報酬になる道を選んだわけだ。
自民党は彼を支援したのに、ベテランは彼をタレント扱いしかしない。歳出削減策には、支援団体の代弁者のように言うて邪魔する。ベテランが議会を仕切るのでは府政改革はできないと、僕も不満だった。
そして府庁舎移転問題だ。橋下が掲げたWTC(大阪ワールドトレードセンタービルディング)への移転案に、僕らは賛成やった。ベテランは「大阪市が失敗したビルに府が入るのはけしからん」と言うてきた。長年横たわっていた府と市の対立をこの場面でも持ち出してきたのだ。
自民党会派は賛成が多数意見でまとまった。すると、ベテラン勢は他党と組んで無記名投票の採決に持ち込んだ。移転案は否決された。「政治はこういうものだ」とベテランから言われ、自民党会派にいる意味はない、と6人で「自民党維新の会」を結成した。
飯を食べる機会は何度もあるけど、彼はいつも仕事の話ばかり。しかも、2次会になったのはこのときが初めて。僕でさえ彼の趣味も好きな歌も知らないほどなので、友達は少ないん違うかと思ったほどだ。
僕らは、都構想実現のため政治闘争を続ける。ただ、橋下の「政治生命を懸ける」は「言葉遊び」という感覚だ。どんなに激しい論争や選挙をしても「終わればノーサイドでしょう。本当に命のやりとりをしたんじゃないから」と平気で言う。ラグビーやっていたからかなあ…。
実は、彼の弁護士時代から接点はあった。通うジムが一緒やった。僕からすれば「テレビで有名な橋下さん」、向こうは僕のこと知らんかったはずや。
彼が僕のシューズを間違えて持っていったことがあった。サイズも色も違うのにだ。追っかけて彼のシューズを見せたら「はは、すみません」って照れ笑いしたが、後に僕が彼を知事や市長に担ぐことになるとは思わんかった。
◇
売れっ子弁護士から今や、政界の台風の目となった橋下徹大阪市長。身近に接してきた人物へのインタビューを通して、毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする「政治家・橋下徹」の実像に迫る。
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