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2012.10.10(水) 筆坂 秀世 JBPRESS
先月、2つのパーティーに出席した。1つは、ホテルグランドパレスで9月12日に行われた友愛クラブの第500回記念例会に来賓として招かれた。もう1つが、26日にホテルニューオータニで行われた「鈴木宗男を叱咤激励する会」だ。
友愛クラブというのは、日本友愛協会ホームページによると以下のような団体である。
「鳩山一郎先生が提唱した友愛運動の基となった『友愛青年同志会』のOBを中心に1967年(昭和42年)に設立されました。
政治、経済、学術など幅広い分野から講師を招き、昼食を共にし、専門分野の講演をじっくり一時間拝聴するなどの勉強会を毎月開催、又、クラブ員の友好、情報交換、親睦と多様な活動を続けており、日本友愛青年協会を支援しています」
私も共産党参議院議員当時に招かれて以来、7〜8回講師として例会に参加してきた。それが500回ということは、40年以上続いてきたということである。「継続は力」というがたいしたものである。
この例会には、政界では自民党から共産党まで幅広い国会議員が招かれ講演をしている。この日は、500回記念ということで森喜朗元首相、身内でもある鳩山由紀夫・邦夫兄弟、鈴木宗男氏など、多数の来賓が参加していた。
■「鳩山由紀夫さんのようにはならぬよう」と森元首相
面白かったのは来賓の挨拶だった。
次回の衆議院選挙では立候補しないことを明言している森喜朗元首相は、1969年総選挙で初当選以来、14回連続当選を重ねてきた。言うまでもなく最古参議員である。
その森氏が、当選同期は小沢一郎氏、羽田孜氏、渡部恒三氏と自分の4人だけになったことを述懐しながら、「羽田さんは今季限りでの引退を表明している。恒三さんは後継者がいないと言っており、どうするか決めかねているようだ。小沢さんは、新党を作ったがもう終わりでしょう」と語った後、鳩山由紀夫氏本人を前にして、「私は引退の決意は固い。変わることはありません。鳩山由紀夫さんのような真似だけはしたくないと思っています」と言った時には、会場から爆笑が起こった。
だが森氏の後、挨拶に立った鳩山氏はさすが懲りないことでは無類の人だ。「私は次期選挙で立候補しないでおこうと思ったが、後援会の人たちから地元のために働けと言われて続けることにした。それを批判されて迷惑している」と相変わらずの他人事のような挨拶で、会場には“しらけムード”が広がった。
鳩山氏自身が、自らの政権樹立、政権交代の歴史的意義について、よく理解していなかったのかもしれない。挨拶を聞きながら、改めてそのことを痛感した。このことは鳩山氏だけではなく、民主党議員のすべてに言えることである。
■鳩山内閣成立の歴史的意義とその挫折
そんな思いから、挨拶を指名された私は、鳩山内閣の歴史的意義について若干語った。それは次のようなことである。
私は、近代日本には、世紀ごとに3つの革命的な歴史的変革の時期があった、否、あったはずだと考えている。
最初の変革は、言うまでもなく19世紀の明治維新である。1867年の大政奉還によって徳川幕府の支配を終焉させ、王政復古による天皇親政を通して近代日本、資本主義日本への道を切り開いた。
その目的は、富国強兵と殖産興業を旗印に中央集権の国家体制を確立することであった。変革の内容は、廃藩置県や内閣制、法制、身分制、教育制度、地方行政、外交、金融・経済など、まさしく全分野に及ぶ劇的なものであった。
2つ目の20世紀の変革は、1945年の敗戦によってもたらされた。天皇は政治的権能をいっさい持たない存在となり、主権在民の原則が憲法に明記された。女性の参政権を伴う普通選挙が実施され、言論・表現・出版の自由、信教の自由が保障され、国民が主役になりうる議会制民主主義の体制が確立された。
「否、あったはずだと」冒頭に書いたのは、21世紀の3つ目の変革が念頭にあったからだ。
鳩山氏は、首相に就任した際、「これから新しい歴史をつくる」と語ったものである。その志は間違ってはいなかった。意気軒昂であった。
日本の戦後政治、特に1955年以降は、細川政権、羽田政権のごく一時期を除けば、政権党と言えば自民党であった。政官財の癒着構造も、対米従属政治もこの中で形成されてきた。民主党が批判してきた官主導も自民党政治の産物である。この自民党中心の政治体制を変革することができれば、それは間違いなく21世紀の革命的変革と位置付けられることになったはずである。
もしこれが成功しておれば、国民の多くは、政治を自分たちの力で変えることができると実感したことであろう。だが、挫折した。国民の多くは、自らの選択に無力感を覚えるしかない状態に追いやられてしまった。鳩山氏や小沢氏らは、この責任の重さを痛感してほしいものである。
■松山千春氏の言葉にホッとした鳩山氏
次の鈴木宗男氏のパーティーである。ここでもなぜか主役は、鳩山元首相と森元首相であった。
トップバッターで挨拶に立った鳩山氏が、「今日は鈴木宗男先生にお会いする以上に、松山千春さんにお会いしたかった」「いろいろあろうかと思いますが、この国を思う気持ちはみな同じです」と述べたのに対し、会場から失笑とも思える笑いが起こった。
周知のように、次期総選挙で松山千春氏が新党大地・真民主の候補として、北海道のいずれかの小選挙区から立候補するという話が広がっている。私自身、鈴木宗男氏から何度か「千春さんは必ず立候補してくれる」という確信に満ちた言葉を聞いている。
その後、松山氏が挨拶に立ち、「私は9区から出ませんからと言ったら、鳩山さん、安心してお帰りになりました」と述べたのには、爆笑が起こった(注:鳩山由紀夫の選挙区は北海道第9区)。
とはいえ、元首相が次期選挙を心配して、それが自虐ネタになり、笑いの格好の材料にされている光景は、いまの政治の状況を雄弁に物語っているようで、寂寞とした気持ちに襲われたのは私だけではあるまい。
■スピーチの誤りを指摘された田原総一朗氏
最後にこぼれ話を。このパーティーでは、ジャーナリストの田原総一朗氏、前原誠司民主党政調会長、森喜朗元首相らも挨拶に立った。
森氏が遅れてきたせいなのか、田原総一朗氏が先に挨拶に立った。その話を聞いて、即座にそれは嘘だろうと直感した。田原氏がこういう話をしたからである。
「みなさん、森喜朗という政治家を知っていますか。まだいるんですよ。元首相です」という調子の、森氏を馬鹿にしたかのような語り口でしゃべり始めた田原氏は、こう続けた。
「この前、森さんから電話があったんですよ。プーチンが会いたいと言ってきているんだが、誰と相談したらいいだろうか、というので、それは鈴木宗男さんしかいないだろうと言ったんです」
だが実は、鈴木氏と森氏はロシア外交に関してはツーカーの仲なのである。森氏が首相時代、北方領土問題でプーチン大統領とイルクーツク声明をまとめるなど、北方領土返還交渉を行ってきた際、その下準備を裏方で行ってきたのが鈴木氏だ。プーチンと会談するからといって、田原氏の力や知恵を借りる必要など微塵もない。
案の定だった。田原氏の後挨拶に立った森氏は、いきなり「先ほどの田原さんの話には間違いがあります。私が田原さんに電話をしたのではなく、田原さんから私に電話があったのです」と、田原氏が一番自慢したかったところ、「元首相でさえ俺に相談に来るんだ」というところをあっさり否定してしまったのである。
森氏は、苦笑しながら「もうこんな話は止めましょう」と言って、鈴木氏が中川一郎衆議院議員の秘書時代、どれほど献身的に尽くしたかという話に話題を変えたが、あきれ果てていたに違いない。
パーティーという席は、盛り上げるために主役をオーバーに褒めちぎったり、批判が行き過ぎたりしがちである。誰しも気をつけたいものである
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