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■イラン・トルコ・シリアの三つ巴と米欧VS中露の対立が絡む地政学的最困難&地震大国トルコへの日本国策原発輸出で日本国民が過酷無限賠償責任の災禍を背負う怖れ大の視点欠落!⇒トルコ‐シリア関係の悪化がもたらすもの(六辻 彰二) http://urx.nu/2aeX hanachancause2012.10.09 04:16
(関連情報)1 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20120927
<「国策原発なる日本版9.11」の実像>の現実的意味を考えるにあたり、もう一つ絶対に見逃すべきでない「一般国民の目と意識から巧妙に隠蔽されている事実」がある。
それは、国策原発の場合は(これは日本に限らぬことだが)、仮に過酷原発事故の全責任を電力会社だけに負わせるべきという司法判断になれば国策原発は其の時点で中止せざるを得ない(国策原発が頓挫する)という法的論理が成り立つことだ。これは、原発が<天文学的数字のスケールで地球全体の生命環境を根こそぎにする可能性が非常に大きい悲惨な戦場だという現実>を直視すれば幼い子供でも分かる当然の帰結である。
だからこそ、日本の原発賠償法では、電力会社の原発事故の解釈について『ただし、その損害が異常に巨大な天災地変または社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない(=事業者たる電力会社には賠償責任がない)』(原賠法3条1項、無過失責任の免責規定)という、明らかに不可解な<免責事項の但し書き>が<取って付けられた>形となっている。
この論点の詳細については下記▲を参照して頂きたいが、ともかくも其の結果として、輸出原発も含めて、それがどれほど天文学的規模の数字に膨れ上がろうとも、日本の国策原発がもたらす過酷事故の賠償責任の最終的な担い手(負担者)は廉価な国策原発で普段に大きな利益を享受する日本国民である筈なので、その日本国民が最終的に原発事故の無限責任を負うべきであるとの法的理解となっている訳である。何という恐るべき現実(無辜の一般国民が徹底的にバカにされた状態)ではないか!
▲2012-08-20toxandoriaの日記/原賠法と原賠支援機構法で倫理、国民主権、法治を捨てた日本国民が、やがて対べトナム等の事故賠償付「原発輸出」で海外発「巨額賠償請求」の永久負担を強いられるのは必至http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20120820
従って、この観点からしても原発は<原子力平和利用名目で自然のファスケス(生命環境破壊的で反生命的な暴力性)と生政治権力のファスケス(非人間的暴力性)が野合した全地球環境徹底破壊型の過酷な戦場>であるということになる。
しかも、それは真に恐ろしく悲惨な出来事ではあったが、もしフクシマ3.11(フクシマ原発過酷事故)が此の恐るべき現実を切り裂き抉り出さなければ、殆どの日本国民はそのこと自体をハッキリ意識することはなかった筈だ。
いや、ともすれば、今でも我われはそれを日常的に、かつ自覚的に意識できなくなるようだ。それは、自覚できなくなるように絶えず生政治権力側によって我々が誘導されているからだ。そして、これこそが絶えずフクシマを直視し続けなければならない所以である。
(関連情報)2
原賠法の欠陥は<原子村の権利>を護り<国民へ原発損害の無限責任>を負わせているhttp://urx.nu/21HH こと!⇒【緑の党/見解】原子力損害賠償法の改正先送りを受け、「集団無責任体制」と原子力からの脱却をあらためて訴えるhttp://urx.nu/21HD http://urx.nu/22up
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