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追従とソロバンの「戦後保守」をただせ クライン孝子
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「戦後保守」の台頭を許し、その勢威が一段と際立つように
なった分岐点は今から42年前、
◆作家・三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで悲壮な
檄を飛ばして自決した1970年11月25日にあると私は思っている。
私がこの三島事件を知ったのは欧州生活3年目だった。
当地のテレビと新聞が大々的に報じたからで、檄文を聞いた自衛隊員の
反応にショックを受けた。
理由はほかでもない。
彼らの反応にあった。何しろ彼らは、三島の檄文に感動し拍手を送り、
歓声を挙げるどころか、逆にヤジを飛ばすなど実にクールだったと
いうのだから。
◆その三島の檄文で印象に残っているのは、
生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
という部分だった。
そこには日本の行く末を案じ、自らの命を投げ出しても、
日本を何としてでも救わねならぬ。
今なら救う手があるのではないか、
間に合うのではないか。
日本が真の独立国家として出直すために、少なくとも、
「占領軍にすっかり骨抜きにされてしまった憲法」だけは、
即時、何とかしなければならぬという血を吐く救国の思いである。
*戦後ドイツの覚悟と手腕
◆その三島にドイツの憲法が念頭にあったかどうか。
すでに、鬼籍に入ってしまった人物に尋ねるわけには行くまい。
だが、ことドイツの憲法に関する限り、同じ敗戦国とはいえ、
当時すでに、日本とドイツではその姿勢に雲泥の差があった。
このことは歴然としている。
ここでドイツの憲法について手短かに記すと、
当時ドイツは東西に分断され西ドイツは米英仏3ヶ国に、
片や東ドイツは旧ソ連に統治されていた。
この悲惨な事実をさしおいても、
こと西ドイツにおける憲法草案にあっては、
まずその姿勢が最初のスタートから日本と違っていた。
◆主権独立国家となるに当たって、
「占領国米英仏の干渉は真っ平ごめん、自らの手で知恵をふり絞りつくります」
と内外に宣言し、日本より3年遅れたものの、
1949年、晴れて憲法(=「基本法」)を制定しているからだ。
それだけではない。米ソ対立=冷構造の中、東西に分断され冷戦の
最前線に位置していたこともあって、翌年1950年、朝鮮戦争が勃発するや、
敗戦後。完璧なまでに武装解除され、いかなる再軍備も禁止されていた
にも関わらず、この緊迫した国際情勢をまたとない絶好のチャンスと
とらえ「すわ、第3次世界大戦か」と必要以上にことを荒立て、英仏、
とりわけアメリカをすばやく説き伏せ、55年には再軍備を、
翌56年にはNATO加盟により集団的自衛権を獲得、
同時に18歳から45歳までの全男子国民に兵役を義務付けて見せたからだ。
しかも1968年には保革両党一致で国の根幹である「非常事態法」を導入している。
こうして、三島事件が発生した70年までにすでに27回も基本法を改正するなど、
米ソ対立=冷戦という激動を利用して、たくみに国体強化に腐心してきた。
結果、1989年の「ベルリンの壁」崩壊では、米英仏旧ソ連の疑心暗鬼と
警戒の スキをうまくかいくぐって、見事1年以内に東西ドイツ統一を
果たしてしまった。
それだけではない。
今やドイツは、何と米露英仏中と肩を並べる押しも押されぬ強大国に
復活してしまった。
*日本はいつまで対米追従なのか
それなのに、日本はどうか。
三島が歯ぎしりしながら、
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、
国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、
その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、
◆国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、
日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆく
と慨嘆したとおり、
いまだ占領憲法を引きずり、アメリカの国家戦略のシナリオどおり
ロボット国家に甘んじている。
政官財界を問わず、これらの組織や機関をチェックし、正すべきはずの
◆マスコミまでが、アメリカに首根っこをつかまれ、身動きできない状態に
あるから始末におえない。
めまぐるしく移り変わる国際情勢などそっちのけで、
たとえ海外に目を向けても、アメリカと欧州だとイギリス経由の情報に
依存し都合の悪いことはできるだけ隠蔽し、
恣意的なプロパガンダ臭の強い偏ったニュースやコメントを流す。
◆戦後われがちに日本の知識人が、
留学という名で米英両国に繰り出したのもそうで、やがて、アチラ仕込みの
ブランドで身をつつみ、言葉は悪いがアチラ好みの情報かつぎ屋として帰国し、
期待と羨望の目で迎えられキャリアコースを歩む。
これに加えて金ピカの出身校と出自をアピールすれば、
あわよくば利権のおこぼれにあずかるというわけで、まさに「鬼に金棒」なのである。
アメリカやイギリスを「売り」にすれば当たり外れはなく、
ビジネスは成り立つとそろばんを弾くことが出来るからだ。
◆とはいえ、このマスコミの世界だが、一歩足を踏み入れてみると、
意外に狭く、パイの奪い合いも熾烈で、それだけに要領のよさが先行し、
もみ手で馴れ合う風潮が大手を振り、その延長線上で権威主義が
はびこることになる。
これに逆らおうものなら、たちまち、異端児扱いされ仲間はずれにされてしまう。
戦後、アメリカならびにイギリスを傘にきて幅を利かせてきた右の代弁者、
「戦後保守」といわれる学者や言論人の大半がそうで、
この体質を陰になり日向になり、フォローし、癒着構造をつくり出してて
きたのが、
テレビに代表する映像文化であり、
紙媒体の活字文化、新聞や雑誌である。
◆これこそ、三島がもっとも忌み嫌った社会現象ではなかったか。
だが、こうした本道からそれた、日本特有の「記者クラブ」に見られる
閉鎖的でいびつなマスコミ体質だが、いつまでも続くものではない。
ネットの登場でこの村根性まるだしの閉鎖的かつ陰湿な体質にいよいよ
“焼き”が回ってきたからだ。
ネットという新兵器の登場で、ネットマスコミが、目には見えないが
厳然として存在してきた古いタイプのマスコミの厚い「ベール」を
容赦なく剥ぎ取りはじめただけではない。
◆これまで老獪な言論人の頑迷なまでに新陳代謝を拒むマンネリ化ゆえに、
発言の機会を閉ざされてきた若い有能な言論人が、いち早くこれに気が付き、
「戦後保守」として従来の体質に安穏としてきた俺様的特権意識、
その胡散臭さにためらうことなく挑戦し、除去する作業に乗り出したのだ。
そればかりかネット上で新しい日本を目指すにはどうあるべきか、
どうすべきか、未来志向でこの課題に取り組み、自由自在に世に
問うようになってきた。
その草分けがネットを駆使した新電子雑誌『言志』である。
これまでどのメディアが果たせなかった「日本」を主語とした自由な
言語空間を創り出すだけに、『言志』への期待は限りなく大きい。
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(私のコメント)
日本人であれば左であれ右であれ宗教人であれ無宗教人であれ愛国日本であることは間違いない。ここに来てマスコミの偽善的アメリカ追従が際立ったことはない。邪悪でさえある。これはカルト聖教新聞がいつの間にか五百万部も読まれていることと無関係ではあるまい。昔からマスコミに弱い日本人をここままで破壊したのは狡猾なカルト教団であることは間違いない。
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