http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/817.html
Tweet |
日本の「天皇」号はいつ始まり、それはどんな意味をもっていたのだろうか?確かにいざ聞かれるとよくわからない・・ということで、ちょっと調べてみました。他に知っている方いれば追記お願いします。
<「天皇」号の始まり>
翌年の608年、3回目の遣隋使を派遣することになった。そのとき、手紙の文面をどうするかが問題だった。隋の皇帝煬帝の怒りをかった以上(前年はかの有名な、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」の国書を渡した年)隋の君主と同じ称号を唱えることはできない。しかし、ふたたび倭王の称号にもどり(倭はコビトの意味であり差別用語)、隋に自国の支配権を認めてもらう道を選びたくはなかった。日本が大陸の文明に吸収されて、固有の文化を失うことはさけたかった(中華思想において皇帝とはすべての王の上に君臨する最高の称号であり、王は皇帝の家来です。ちなみにローマ皇帝は元老院、軍、市民の推戴が必要、少し意味合いが違います)。
<日本の「天皇」とシナの「皇帝」>
そこで、このときの手紙には「東の天皇、敬しみて、西の皇帝に白す」と書かれた。皇帝の文字をさけることで隋の立場に配慮しつつも、称号を使うことで、両国が対等であることを表明したのである。これに対して隋の皇帝煬帝は正式には認めなかったが、しぶしぶ黙認するような形になった。これが「天皇」という称号が使われた始まりとされる。日本の自立の姿勢を示す天皇の称号は、その後も使われ続け、とぎれることなく今日にいたっている。
参照:「日本人の歴史教科書」自由社 P36〜37、「天皇論」小林よしのり P277〜290
つまり「天皇」とはシナ冊封体制から抜け出した自主独立の国の君主であることを宣言する称号だった。この歴史的偉業からしても「天皇」の存在意義は大有りです!!そしてこの知略を考え出したのがあの「聖徳太子」です。
特に最近、シナの横暴が目立つ中、廃止なんて断固反対!!「尖閣はオレのもの、沖縄もオレのもの」まるでかつての中華思想むきだし、というか彼らは今でもその思想を持ち続けているのでしょう。ひょっとしたら2000年の時を超えてこのことも恨みに思っているかも??中国共産党の「日本解放第二期工作要綱」の第三期目標には「天皇制の廃止」が書かれていますから・・厳重注意!!!!
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK136掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。