http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/759.html
Tweet |
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52002385.html
<西太后を籠絡した天津財閥>
天津の蘇君が、清代財閥の旧家を案内してくれた。今回の成果の一つかもしれない。13元を払うと、広大な屋敷の「石家大院」を見学できる。道路1本隔てて運河が広がっている。この清代財閥は、物流を独占したことで栄華をきわめた。時の皇帝との癒着が、それを可能にした。政治権力を動かす影の組織体は、昔も今も財閥である。戦前の日本も、そして戦後の日本もそうである。清代の中国も、だ。米オバマ大統領の言う富豪も、言い換えると財閥のことである。その源流を、天津財閥からも窺うことが出来た。
こうして天津郊外の巨大な旧家を眺めると、初期独占企業体による莫大な利益が転がり込む制度を、否応なく認識させられる。清代の商人は皇帝とつながり、一体化することで、暴利を得ることができた。
封建制度の末期が、資本主義の前段階であることも理解出来る。商人と権力が結びつくと、容易に豪商に発展、その先に財閥が約束される。近代化はいうなれば、市民のためというよりも、実態は独占商人・財閥のため、と言い換えてもおかしくないだろう。
マルクスを知らない人間だが、特権層を排除して初めて公正な社会を誕生させることが出来る。従って人類は、財閥の存在を忌避したい、せめて公正なルールを約束させないと、本物の民主主義を確立することなどできない。そんな思いを、この天津財閥を目の前にして感じてしまうのだ。
永田町と平河町をずっと見聞してきて、背後の大手町の存在の大きさと、それと一体化している霞が関の日本とも、想像をたくましくしなくても重ね合うのだ。明るい公正な日本にするためには、財閥と官閥を透明化、腐敗の芽を絶つことなのである。公正な政策の実現を約束しよう。これが本来の政治主導ではないだろうか。
本来であれば、財閥と官閥の中から改革の芽が出れば解決は早い。しかし、それが全く期待できないところに、日本沈没にブレーキを掛けられない現状をみてとれる。永田町でささやかれている政治主導は、官閥の透明化と言い換えてもいいのだが、自己保身に長けた官閥に自浄能力がない。いわんや政界や言論界による財閥改革は、声さえも出てこないありさまだ。
こんな思いを抱きながら、財閥の源流である「石家大院」を見学した。
<財閥が動かす政治権力>
天津の清代財閥は、人々が生きるための米・塩などを、驚くなかれ、帆船を用いて北京から杭州までの1794キロもの運河輸送・販売を、独占的に行って莫大な富を築いた。暴利などと呼べるレベルをはるかに超えている。
邸内に観劇場がある。いくつもの門には、高官専用の出入り口が用意されている。一家繁栄を祈願する寺院までも。火災予防のための「水局」(消防)も取りそろえて、屋敷の安全に万全を期している。戦国武将の民間版のようだ。
圧巻は、西太后から届いた「施好善楽」という木板に刻まれた大きな額である。権力を背後に控えさせての古典的財閥を印象付けている。
<三井が関東軍を操る>
時代が移ると、帆船から蒸気機関車へと変わる。明治の日本財閥の三井や三菱だ。武器弾薬にも手を染めてゆく。戦争で暴利を得ながら規模は大きくなってゆく。政治を実質、握る主役である。それは時として政治を危うくする存在となる。
日本占領のアメリカが真っ先に財閥を解体した理由も、そこにあった。戦争と財閥・死の商人の深くて太いパイプを忘却すべきではない。うがち過ぎた社会分析とみてはならない。米軍人大統領のアイゼンハワーが指摘した「産軍複合体」が、それだ。
言論も政治も掌握している現代の怪獣なのだ。新聞テレビが国民に奉仕しない、正論を貫けない理由も、この1点にある。
かつて戦前の三井財閥を研究している学者の持論を、間接的に聞いたことがある。彼は関東軍の謀略で知られる張作霖爆死事件の黒幕を三井と断じた。理由は、旧満州の大豆利権に軍閥が介入してきたための反撃だった。財閥が軍閥を動かした典型的な事例という。
この学者は当時の三井の極秘資料や大豆関連資料から、隠されてきた正体を暴いたものだ。1日も早い公表が望まれる。
不勉強な筆者は、最近になってトヨタ・東芝・PANASONICなどの財閥企業が、現在の三井住友財閥の傘下にあることに気付かされた。経済界に詳しい言論人であれば、みな知っている事柄だろう。政治と経済は、地球上どこに行っても一体なのだ。ここに透明性と公正のルールを持ち込むことが、人類の平和と幸福を約束させる不可欠な要素だろう。
<民主化レベルは韓国が上>
財閥の研究はもっとも重要な学問である。官閥もそうだが、ここに焦点を当てると、何もかもがよく見えてくるだろう。あえて尖閣も?
戦後の日本から財閥という文字が消えた。復活したというのに、財閥の文字は消されてしまっている。
その点で、韓国の方が民主化のレベルは高い。韓国の政治は韓国財閥と共に歩んできている。ベールを脱いでいる。はるかに透明性が高い。権力の移行期に捜査当局のメスも入る。日本のように完璧に隠れた存在ではない。
せめて日本も韓国レベルになれば、国民の監視を可能となろう。公正な社会を実現するためには、これが不可欠といっていいだろう。
今回の反日デモに対して、経団連会長は北京に飛んだ。そして野田の尖閣暴走にブレーキをかけた。日本財閥の威力を見せつけている。これに野田も石原も沈黙している。おわかりだろうか。
<天津の日本人は平穏>
天津のホテルで数回、日本人のグループとすれ違った。声をかけて見た。「何かありましたか」という質問に対して、二人の現地で働く30代の日本人男性は「ここは全く何もありません」と即答した。
天津を旅する子供連れ家族も同様だった。「日本語を話すな」「タクシーに乗るな」という警告は、作られた反中メッセージである。確かに反日デモの一部に暴走した若者がいたが、パンドラの箱を開けた側に原因がある。
「反日デモを煽りたてる外からの工作もあった」という東京情報も、筆者の耳に届いている。日本と中国の友好を疎外したい輩は、石原だけではない。ありうることだろう。中国の格差と腐敗に怒る市民がいるのも確かだが、それだけではない。
唐家セン元外交部長が加藤紘一・日中友好協会会長らに語ったことも、9・18デモに影響を与えた。それは「ロシアでのAPEC会議の胡錦濤主席と野田首相の立ち話の直後に、野田は尖閣国有化の閣議決定をした。この反発が大きかった」のであろう。
今回に限ったことではない。最近の中国ではドイツと韓国の車が、人々の人気の的となっている。歴史認識で中韓両国は連携できる環境にある。安い韓国車に庶民は手を出す。双方の観光も発展している。街中で「あなたは韓国人か」と声をかけられたりするほどだ。
ドイツ首相はたびたび中国を訪問する。歴史認識を乗り越えたドイツ人に対して、中国社会は尊敬の念を抱いている。ビジネスに絞ると、日本のお陰で、本来、日本が手にできる利益を韓国とドイツがいただいている。両国は日本に感謝したい気分だろう。
<ケ小平の智恵>
友好は平和の源である。繁栄の源だ。誰もわかっている原理原則である。
帰国して日本記者クラブの動画を開くと、どうしてかケ小平会見が現れた。1978年10月25日に当時副首相だったケ小平が1時間ほど会見を行っている。彼が東京・目白の田中角栄邸に訪問した場面を覚えているが、この大事な会見に参加していなかった。
政治部長になって入会したクラブだから、恐らく遠慮したものか。あるいは重要性の認識不足だったのか。後者かもしれない。
彼は尖閣問題についての質問に次のように答えている。
「名前も呼び方も違い、双方に食い違った見方が存在している。中日国交正常化のさい、この問題に触れないことを双方約束した。中日平和友好条約の交渉のさいも同じだった。」「要するに一時棚上げだ。我々の世代は智恵が足りない。次の世代はきっと我々よりも賢いはずだ」
棚上げこそが両国政府の智恵だった。そして40年後に、反中派の極右知事と首相が、意図的にパンドラの箱を開けてしまった。愚者の対応だ。たとえ外的要因が加わったとしても、愚か過ぎようか。
余談だが、この時の通訳も王コウ賢女史だ。周恩来が大平外相通訳に任命した中国きってのNO1通訳である。この年に改革開放政策をぶち上げたケ小平だ。翌年、大平首相は中国を訪問した。
人民大会堂で待ち構えるケ小平と記者団は、数分待たされた。大平さんが便所に飛び込んだせいだった。懐かしい場面だ。余談になるが、彼の盟友である角さんは、遊説中、突然、遊説車を止めて、目の前の民家に飛び込んで便所を借りた。その瞬間に、その家の支持を取り付けた。智恵である。
<国際交流基金から離脱せよ>
一部に政経分離論が吹聴されている。ありえないことだ。友好が何よりもビジネスにとって重要な要素である。中国で暴利をむさぼって、その金の一部を極右勢力に流すというやり方は通用しない。相手の政治体制が気に食わないといって、好みの体制を押し付けることは、国際社会のルールに反する。
このルポを閉めるに当たり、筆者は中国の日本研究機関にモノ申したいことがある。国際交流基金のことである。日本国民の税金だが、これは時の政権の意図が加味された金に変身する。浄財ではなくなっている。
したがって、この金を当てにした日本研究は無意味どころか、有害である。間違った日本研究に役立つだけである。この金に手を出さなくても、既に自立した研究会は、中国で可能なはずだ。
今回の教訓の一つは、日本研究の徹底見直しが求められている点にある。昨夜、近く帰国する元新華社記者と秋葉原の安い食堂で雑談した。彼は今回の日本訪問で初めて国学の本を読んだという。筆者は読んだことなど無い。「極右の本質が見えてきた」と喜んでいた。
自立した日本研究の見本ではないだろうか。
財閥研究は日本にも中国にもない。しかし、とても重要である。筆者にそのヒントをくれたのは、いうまでもなく宇都宮徳馬である。
2012年10月6日記(終わり)
---------------------------------------
石家大院
石家の来歴 http://blog.livedoor.jp/hitokoto_news/archives/52346482.html
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK136掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。