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2012年10月05日 世相を斬る あいば達也
北尾氏の以下のコラムを読みながら、政治体制、選挙制度のことについて、ふと考えた事を書いておく。特に深く考えたわけではない。北尾氏のコラムの趣旨に賛同しているわけでもない。ただ、瞬間的に触発されただけ、とでも言っておこう。
おそらく、民主主義において、議院内閣制によって国家のリーダー、内閣総理大臣が選ばれようと、別途、大統領制、首相公選制でリーダーが選ばれようと、現在の制度と似たりよったりの問題点は出てくるのだと思う。どちらにせよ、リーダー選出の前提となる“主たる国民の支持”が必要になるので、それら選挙制度の欠点を補っても、異なる欠点が出てくるわけで、実はたいして重要な問題点ではないのではないか、と思う気持ちの方が強い。
問題の本質は、選挙民の“質”の問題であり、選挙制度自体に政治劣化の元凶があると云う議論は空疎だ。思想信条や政治的理念に重きをおく選挙民がいれば、利害得失に重きをおく選挙民がいる。これは永遠に同じことだろう。国の“政”を考える基礎知識の共有は求められるが、絶対的条件とも言えない。考えなし、風まかせな国民であっても、国民なのだから、彼らにも一票の権利がある。故に、民主主義なのである。
アメリカ大統領選、共和党大統領候補のロムニーが「税金を払わぬ国民の事を考えない」的な発言をして物議を醸しているが、金融資本主義とか、市場原理主義な考えを研ぎ澄ませば、一理ある話になる。納税力に応じた選挙権の付与と云う、前時代的選挙制度もありだろう。しかし、現代は一国民に、同一に一つの同等の権利を付与する絶対条件がベースで成り立っているのだから、今さらの話になってしまう。
筆者などは、現在与野党で重大な政局になっている「近いうち解散」などを考える時、議院内閣制度においても、これとは別途に、緊急リコール制度のようなものの設置は無理なのかな?等と考える事がある。アメリカの大統領制において、大統領リコール制度はなかった筈だが、日本の地域首長に対しては、リコール制度がある。国民挙げてのリコールの是非・国民投票と云うのは、考えると厄介なのも事実だが、現在の野田佳彦や菅直人のような内閣総理大臣を目の当たりにすると、代議員である国会議員を飛ばして、主権者国民が“クビ!”と宣言する権利が欲しい気持にもなってしまう。制度論無視で思いを語った。
≪『日本政治における「大統領制」の導入意義』
先週行われた自民党総裁選の5候補全てが世襲議員であり、そしてまた先月ばたばたと引退表明をした福田康夫氏や中川秀直氏といった「自民党長老議員」の地盤を引き継ぐのも彼らの息子と言われるように、二世議員・三世議員がどんどん誕生してくる日本の政治状況というのは、明らかに異常であるとつくづく思っています(※1/※2)。
先週水曜日にフェイスブックに投稿した『松下政経塾は有意な「政治家育成システム」か』に対して、塚本哲章様より「日本で有能な(定義は色々ありますが)政治家を輩出するには、どういう仕組みを作ったらいいのでしょう?昔から政治家になるには地盤、看板、お金が必要で、結果として政治家の家にうまれるか、自営でたべていける人か、地元の名士みたいな人になってます」というコメントも頂きましたが、本来そういうやり方で良いはずもなく、選挙システムに対しても大幅なメスを入れる必要性があるというように思っています。
実際問題として、現在も選挙で勝つためには昔から言われているような「ジバン、カンバン、カバン」が必要であって、選挙には多額のお金が掛かり、色々な良い意見・政策を持っていても中々直ぐには受け入れられないという現実が常にありますから、政治の世界は親の七光りが効き易く、世襲でなければ政治家になり難いということです(※3)。
世襲議員が当選し易い状況を見直すべく、仮に世襲制限を掛けるとすれば、職業選択の自由に反し、憲法違反になるかもしれませんので、先代とは違う選挙区から出馬させるという考え方も一つありますが、それでもやはり中曽根康弘氏の息子は中曽根氏、小泉純一郎氏の息子は小泉氏であって、当選する確率は非常に高く、陰に陽に親の七光りの影響を受けるのであろうと思います(※3)。
その一方で多くの世襲議員に見られるように、単に「ジバン、カンバン、カバン」を引き継いで国会議員になったとしても、国を先導して行くのは基本的には無理であって、国政を預かる代議士というのは、それなりの能力・手腕・人格を有していなければなりません(※3)。
孟子が「天これを授け、人与う」という言葉を残しているように、要するに政治家は人望や人気、あるいは徳と言っても良いかもしれませんが、そのようなものを重ね持って、尚且つ能力・手腕もある人でなければならぬということです(※3)。
「天これを授け」とは、人物の出自を言い、これはある意味天が定めたもうた宿命であり、また「人与う」とは、そこに徳や人間的魅力で人を集め、同時に能力 や手腕で国を引っ張って行くことが出来るといったことです(※3)。
端的に言えば、現行の選挙システムというのは、地域利権と結び付いたような形で国会議員を選出し、絶大な権力を与えて行くといったものですが、政治家として不適格な二世議員・三世議員が続出する状況を唯一つ見ても、最早限界がきているのであろうと思います。
では、そうした状況を如何に変革すべきかと考えてみるに、先に述べた先週水曜日の投稿に対し、「大統領制にして官僚制度を見直ししなきゃ駄目です」と栗原康治様もコメントされていますが、やはり一刻も早く日本も事実上の大統領制である「大統領制型の首相公選制」を導入せねばならないというように考えていま す(※4)。
凡そ2年前のブログ『国際比較研究の重要性〜日本の処方箋を描くために〜』でも指摘した通り、党首と首相というものを同一人物にする 必要は必ずしもないと思いますし、やはり全国国民が1年以上を掛けて次のリーダーを選び出して行くという位のプロセスを経なければ、長期安定政権を築くことは最早難しいのではないかと感じています。
候補者が日本中を飛び回り、国民に演説をダイレクトに届け、そして次のリーダーが選出されて行くというプロセスは、密室で何やら選ぶというよりも明らかに公平で、正鵠を射た遥かに良いプロセスではないかと思うのです(※5)。
真に国民から支持されるリーダーを国民が直接的に選び出し、その結果として「大統領権限」をある程度大きくするよう制度設計を行い、そして議会とのパワー バランスというものに変革を齎す、という形にするのが、今の日本政治の退勢を打破する一つの手ではないかというふうに私は考えています。≫
(北尾吉孝日記より:http://www.sbi-com.jp/kitao_diary/archives/201210035540.html )
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