http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/693.html
Tweet |
生活・小沢氏が独訪問へ、脱原発の取り組み視察
2012年10月4日20時22分 読売新聞
新党「国民の生活が第一」は4日、小沢代表が16日から21日までドイツを訪問し、「脱原発」の取り組みを視察すると発表した。
同党は10年後に原子力発電をゼロとする方針を掲げており、脱原発を打ち出したドイツの事情を参考にする狙いがある。
◆
小沢氏、ドイツの「脱原発」視察へ
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121004/stt12100418250012-n1.htm
2012.10.4 18:25 産経新聞
「国民の生活が第一」は4日、小沢一郎代表が16〜21日の日程でドイツを訪問すると発表した。2022年までの原発ゼロを目指すドイツの政策を視察するのが目的。小沢氏はアルトマイヤー環境相との会談や、再生可能エネルギー関連施設の視察などを予定している。
◆
特集ワイド:小沢一郎氏が掲げる脱原発 少なくともブレてはいない
http://mainichi.jp/feature/news/20120801dde012010015000c.html
毎日新聞 2012年08月01日 東京夕刊
新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表が、「反増税」と共に掲げるのが「脱原発」だ。反原発デモが日常風景となった今、選挙目当ての「あめ玉」なのか、「改革者・小沢」の3・11後の真情なのか。【宮田哲】
◇本気か人気取りか…期待と批判の声、半ば
◇「安易な依存、反省すべきだ」 「過渡的エネルギー」主張も
「再稼働反対」「いのちを守れ」のシュプレヒコールが響く東京・永田町。毎週金曜、首相官邸前では関西電力大飯原発の再稼働撤回を政府に求める抗議行動があり、参加者は7月20日には主催者発表で9万人(警察調べで約7000人)に上った。29日の日曜日は、同20万人(同1万数千人)が国会を取り囲んだ。
官邸前デモの参加者に、小沢氏について聞いてみた。東京都八王子市の無職女性(64)は「信頼できない。コロコロと言うことが変わるから」。千葉市美浜区の大学3年生男子(21)は「選挙目当てに一過性で終わる反原発ならやめてほしい。危険な活断層のある原発を全部調査して、それが終わるまで全原発を停止させるくらいのことを言うなら本気だと認めます」。厳しい声の一方で、東京都板橋区の映画館従業員、竹崎由里子さん(28)は「応援します。そういう声をあげた議員を応援していかないと、政治は絶対動かないと思うから」と期待する。
小沢氏の四つめの新党の結党大会が7月11日、永田町の憲政記念館であった。小沢氏はあいさつで「『脱原発の方向性』を鮮明にする」と述べた。「狭い国土に世界の1割近くの発電所が集中する原子力は、過渡的エネルギーと位置づけ、原発に代わる新たなエネルギーの開発に努める」
記者会見では「高レベル放射性廃棄物の処理は完成した技術ではなく、やればやるほどどんどんたまってくる。原発推進は不可能」「原発に安易に依存した事実も反省しなければならない」と述べた。
政府が2030年の原発依存度を議論していることについては、「ドイツは10年後をめどに(原発を)やめる。日本の場合、できるか断言はできないが大きなめどだと思う」(7月8日のNHK番組)と話した。
小沢氏の側近、東祥三幹事長は官邸前デモの人波に「民意」を見る。「人の動きは組織動員ではない。3年前の政権交代は風が吹いたが、今は一人一人が立ち上がって、それが熱気になっている」
■
小沢氏の「脱原発」には風あたりが強い。自民党の石原伸晃幹事長は「原発をすぐなくしてしまうというようなことをやって、国民の生活を守れるのか。できもしないマニフェストを掲げて民主党の来た道をまた進んでいくのではないか」と批判。政治アナリストの伊藤惇夫さんは「脱原発は衆院選でアピールするためのテーマ。小沢さんを20年以上見てきたが、過去に原発問題に発言したことは私の記憶では一度もない」と話す。
確かに、小沢氏が原発について積極的に発言してきた印象は薄い。民主党政策集の「原子力政策に対する基本姿勢」の項目は、05年版までは「安全性を最優先させ、万一に備えた防災体制を確立したうえで、過渡的エネルギーとして慎重に推進」とされていた。ところが、小沢氏が代表だった07年版から「過渡的エネルギー」の表現が消えている。
しかし、小沢氏の知恵袋といわれる平野貞夫元参院議員は「若い頃から原発には消極的だった」と振り返る。
小沢氏自身は昨年11月、「1970年代、僕が科学技術政務次官だった頃に原発が始まりましたが、過渡的なエネルギーとしては仕方がないと最初から主張していた。新エネルギーを見いださないといけないという思いはずっと持っていました」(「サンデー毎日」11年11月27日号)と語っている。
科学技術政務次官を務めた後、小沢氏は衆院の科学技術関連の委員会に所属し、衆院事務局に勤めていた平野氏はその委員会を担当した。当時、小沢氏は「科学技術庁では原子力行政のあり方のまずさを勉強した。プルトニウムは人類がつくった最大の毒。量産してためるのはよくない」と平野氏に話した。新進党、自由党時代は「なんで便所のないマンションばかり造るのか」としきりに言っていたという。
■
小沢氏は福島第1原発事故にどう反応したのか。平野氏は3月13日に電話した。「被災地に行くべきか悩んでいたが、『今行ったらじゃまになる』と止めた」。独自に情報収集しているらしく、「3月末には『メルトダウンしている可能性がある』と話していた。小沢さんが批判していたのは、政府が避難指示区域を段々と広げたこと。『だから住民の不安が増す。まず広く取ってから、縮めるべきだ』と言っていた」
震災後の小沢氏について、夫人が支持者に送ったとされる離縁報告の手紙が週刊誌に掲載された。そこには「小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました」と記されている。小沢事務所で9年間、書生や秘書を務めた石川知裕衆院議員は「本当に怖くて逃げたのなら、(原発事故発生後)すぐ逃げているのでは」と疑問を呈したうえで、こう解説する。
「世間は『選挙目当て』とみるかもしれないが、小沢さんは原理、原則を大事にする人。原発は廃棄物処理ができないからやめるしかないという考えは、小沢さんの思考としてはまっとうだ。原発を取り巻く企業や官僚が入り組んだ体制や原発立地自治体の問題など、『行うは難し』を解決する手腕を小沢さんに期待できるのではないか」
一方、伊藤さんは「脱原発で共感を呼べるかどうかは、だれが言うかだ。既成の政治構造のど真ん中に座っていた小沢さんが脱原発と言っても直ちに共感されるとは思えない」と話す。
再び反原発デモ。平野氏は官邸前デモに参加し、小沢氏に様子を伝えて「3・11以降、主体的に政治を考えようと日本人の意識は変わったなあ」と話し合った。小沢氏のデモ参加については、ポピュリズムとの批判をあびるから、と平野氏は勧めていない。
栃木県壬生町から参加していた花沢隆徳さん(62)は小沢新党について「半分期待している」と語った。「今は人気取りとしか思えない。だが死に物ぐるいですべての原発をなくそうとする姿をみせてくれるなら、本気さを信じるかもしれない」
「権力闘争」のためでなく、「政策」のために戦う。今こそ多くの人が本気の姿を見たがっている。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK136掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。