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日中両国が“世論の噴き上げ”を制御出来なくなった時 米国は火中の栗を拾うだろうか
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2012年10月01日 世相を斬る あいば達也
本日は日中両政府が、双方の国内世論を制御出来なくなった場合を想定した状況を考えてみようと思う。あくまで仮説なので、可能性は低いだろうが、まったく荒唐無稽と云うものでもない。少なくとも、衆議院議員半減とか、参議院廃止とか、首相公選制よりも可能性のある仮説である。
ところで、その前にアホ臭いが、今日発表される野田第三次改造内閣の新聞人事を見てひと言。総理は野田佳彦、副総理が岡田克也、それから玄葉光一郎、森本敏、藤村修、下地幹郎、前原誠司、田中真紀子、田中慶秋、羽田雄一郎等々。まさにオバケの行進のようではないか。振り返って党幹部を眺めれば、輿石東、安住淳、山井和則、細野豪志等々である。小沢一郎が抜けた民主党と云うもの、今さらながら、その低劣度が赤裸々になっている。これに、仙谷由人が加われば、伊賀甲賀の忍者共も逃げ出す顔ぶれである。
さて本題に入ろう。現時点では、野田民主党と中国政府の外交を中心とした“非難合戦”の真っ最中と言えるのだが、この“非難合戦”が、睨みあいと外交合戦内に留め置かれると云う認識で、両政府が口角泡を飛ばしている分には、何処かでウヤムヤ収束と云う落とし処はあるだろう。しかし、10年前には考えられないネットインフラの発達は、政府であれ、マスメディアであれ、世論をコントロールしているようで、必ずしも完璧な制御能力を有しているとは言い難い。つまり、日本においても昨日の話題の「記者クラブ」が束になって、国内世論の自己増殖的ナショナリズムの噴き上がりを制御出来る状況とは思えない。中国国内においては、その傾向はより顕著であろう。
直近の世論調査によれば、安倍が首相NO1で2位が橋下。ただ現在の首相は野田佳彦と云う配置になっている(笑)。どうにもこうにも野田第三次内閣並のオバケ状況なのだが、嗤ってしまう。問題は、この三人が揃いもそろって、親米軍国主義者であることだ。安倍は野田や橋下に比べれば、超親米ではなさそうだが、右翼系保守である事は紛れもない。勿論、安倍の場合、前原誠司・石原慎太郎タイプなので、口先介入で行動が伴わないと云う意味では、政治的行動のリスクは、野田・橋下よりは劣ると云うか、安全である。褒めているのか貶しているのか、どちらにでも受けとめていただこう。
安倍の特長は、橋下と共通点がある。出来ない事をやると自己主張する点だ。たしかに向こう受けは良いだろう。“不景気なツラするンじゃねえ!”と云う人々からは好感を持たれるに違いない。野田のように、やる事を、やると言わずに、背後に忍び寄り袈裟がけにする卑怯奇天烈よりはマシとも言える。それにしても、安倍君の主張は勇ましい。憲法改正、集団的自衛権行使、尖閣に公務員の常駐、従軍慰安婦河野談話破棄、新教育基本法(教育勅語復活)改正、原発当然推進(核開発の道)等々となっている。
野田も負けてはいない。野田の場合、官僚主導による右翼保守主義なので、極めて米国の意向に沿った政策を実行しているに過ぎないのだが、武器輸出三原則の緩和、原子力基本法に“安全保障に資する”の文言を挿入したり、宇宙開発機構法から“平和目的”の文言を削除している。野田の特長は、目立たず騒がず、慇懃無礼に揉み手をしながら、別れ際に背後から袈裟掛けで、現実に右派保守の政策を次々と打っている。野田の場合問題なのは、彼が現に我が国の総理大臣であることなのだが、その問題点をマスメディアは権力の監視機関として、100%機能していないどころか、その隠蔽に協力している。今さら橋下の言質を語る必要はないが、安倍が自民党総裁になったことで、橋下の存在は、急激に低下する。橋下を持ち上げておく必要性が権力側になくなったからであろう。後2,3ヶ月持つか持たないかだろう、お疲れ様。
問題は、民自共にタカ派が党首となってしまった現実である。なぜこの様な危険な人物たちが誕生したのか、少し冷静に考えてみる必要がある。ワシントン・ポストが“右傾化する日本政治”と云うコラムを書いていた。エコノミストも似たような事を書いていた。“右傾化させたのはオマエらだろう?”と罵りたくなるが、ここは控える事にする。おそらく国家の閉塞感を敏感に捉えた国民の目線と云うものが、(少々乱暴な結論だが)永田町の政治家にも伝わった結果とみて良いだろう。ただ困った事に、国民の閉塞的不満が“歪んだ形で”政治家に受けとめられている節が大いにある。
ここが大変に危険である。それでなくてもグローバル世界の出現は、否応なしに、あらゆる国家のアイデンティティーが希薄になるわけで、日本も中国も例外ではない。そのような状況において、あらゆる国家がジワジワ追い込まれるのが“国家の存在価値は何ぞや”と云う課題である。この課題に打ってつけなのが、外交防衛、特に領土領海問題である。国の経済がグローバル化し、自分達の国の企業を誰が所有しているか、“ちんぷんかんぷん”になると、何処か空疎な空気が国全体に漂うのである。
この現象が顕著な国が韓国だ。己が実効支配している“竹島”の領土問題に火をつけるリスクを抱えながら、わざわざ上陸して見せた退任間近の李大統領である。とても外交防衛が目的とは思えないのだが、彼はそれを実行した。そのようなオマジナイが退任後の自己防衛に繋がる事を期待したのか、金融資本に乗っ取られた国家の実際を知られたくないと考えたか定かではないが、極めて不可解な行為に出る事で、韓国国民は一時自分達の閉塞の実態を忘れたに違いない。
しかし、韓国の状況を他人事みたいに嗤える日本ではない。中国も一国二制度の限界点が近づきつつあるわけで、国民の閉塞の意味合いは異なるが、中国も日本も閉塞感に満たされている点では同じである。まして、両国の政権はモラトリアム的時期を迎えており、現実的行動を起こせない雁字搦めな状況も同じである。日本は長期に亘る経済の低迷に、困ったことだが慣れっこだが、中国は経済成長の鈍化など、あってはならない事である。そうなると、勢い外交防衛に国民目線を向けたくなるのだが、国民の閉塞度は日本の比ではないだろう。その上、反日教育が行き渡っており、ネットメディアに10億の民が釘付けになるのだから、噴き上がり勢力が半端じゃなくなることも想定できる。そして、その矛先は反日、反政府にならざるを得ないだろう。
“中国不満の民”の噴き上がりは、簡単に政府の制御を受けつけるとは限られない。背に腹は替えられないと判断した時、中国政府は、その民衆の怒りを、徹底的に“反日”に向かわせるだろう。そのような事態が起きる可能性は相当ある。その時、中国政府は尖閣に対して、いま以上のパフォーマンスを選択することになる。これに対峙する野田政権はどうか、3党合意と解散の駆け引きで揺れる民主と自民、どちらも口先介入が先行する、実力のない政治家が手綱を握っているのだから、危なくて仕方がない。日本の口先政治家は、イザとなれば日米同盟が…と思っているようだが、筆者は米国が日中の鬩ぎ合いに介入する余地は、殆ど残されていないと考える。アメリカは国益に沿った選択を常にする国であり、義理人情は通用しない人工国家である。善きにつけ悪しきにつけ、システマチックな選択となるだろう。火中の栗を拾う筈もない。野田も安倍も、そこまで腹が座っているのだろうか?甚だ疑問である。自衛隊と人民軍の戦力分析で日本有利とか、そう云う土俵で議論すること自体、ナショナリズムの噴き上がりなのである。核保有国と核を持たない国の問題はさておいての議論は空疎だ。
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