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特捜検察が「普通の市民」に牙をむくとき
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2012年9月30日 郷原信郎が斬る
本ブログ記事【「正義を失った検察」の脅威にさらされる「400万中小企業」】で紹介した、中小企業経営者の朝倉亨氏と経営コンサルタントの佐藤真言氏の二人とお会いし、じっくり話をした。
政治権力者でも、著名な企業経営者でもない、普通の市民の二人は、特捜捜査に情け容赦なく踏み潰され、粉飾決算書を提出して金融機関から融資を受けたという詐欺で実刑判決を受け、裁判は継続中だ。
佐藤氏は、「刑務所に入ることになっても、出てきて10年たったら法曹資格がとれると聞いています。自分のような目に遭わされる人が出ないように、弁護士になりたい」と考え、法科大学院の入学試験を受け合格した。検察の不当な捜査、起訴によって、実刑判決を受けるという自らの厳しい境遇を感じさせないほど、本当に前向きだ。
一方の朝倉氏、懸命に経営してきたアパレル会社は、社長が検察に逮捕されたことで、一瞬のうちに破産した。従業員は路頭に迷い、取引先の連鎖倒産まで生じさせた。それは検察の理不尽な捜査の結果なのだが、朝倉氏は、そのことで自分を責める。裁判が終わった後は、刑務所に入ることしか考えられないという。朝倉氏は、毎日運送会社の夜勤を務め、自分の体をも責めつづける。
どうして彼らが、このような境遇にさらされなければならないのか。「検察の正義」、「刑事司法の正義」は、どこにあるのか。
30年前検事に任官した時、私にとって東京地検特捜部は憧れの的であった。
検事になった以上は、特捜部で活躍したい。経済事件、政界汚職事件の捜査の最前線で働き、自分の能力を活かしたい、ということを強く願っていた。しかし、私は特捜部への応援という形で捜査に関わる中で、特捜部という組織が、私が期待していたものとは、凡そかけ離れたものであることを思い知らされた。私は、特捜部という組織が持つ暴力性、それが普通の市民に向けられた時、いかに理不尽で、非道なことになるのかを、自分自身が特捜部での検察官の勤務の中で体験したのである。
その一つが「検察の正義」(ちくま新書)の中でも紹介したある証券担保ローンをめぐる背任事件だった。その事件では、特捜部が経済社会の実態にあまりに無知であるために、誤った捜査を行い、そして、そこで歯止めが効かずに無理をした時に、普通の市民に対して大きな脅威を与える、ということを知った。そういった面で、今回の朝倉氏、佐藤氏の事件と共通性がある。
その事件は、まさにバブル経済の真っ直中、株式売買への国民の関心が高まる中で、買い付けた株式を担保にしてノンバンクから融資を受けて、さらに株式売買を行う資金にするというやり方で、大規模な株式売買を行っていた男Aが、投資に失敗して巨額の損失を出した。その男に対するノンバンク側からの融資には、社内規定どおりの担保を十分にとっていないものが多数あり、ノンバンクの担当者が背任罪、融資を受けて株式売買を行っていた側が、背任罪の共犯に問われたものだった。
背任事件だったが、主たるターゲットとされていたのは、融資した側ではなく、融資を受けた側の投資家のAだった。ノンバンクの内規に違反しているとわかった上で多額の融資を受けたことが、背任の共犯にあたるということで捜査を進めていたが、少しでも多くの資金がほしい投資家側としては、ノンバンク側が融資してくれるというのであれば、ノンバンク内部の手続きがどうであれ、有り難く融資を受けるのは当然であろう。担当者に金品や利益を提供して内規違反をさせた、ということでもない限り、刑事責任を問う必要のある事件とは思えない。
また、ノンバンク側が証券担保ローンで融資を実行する場合に、どの程度の担保をとるか、ということも、大口の融資であれば、投資家の投資歴、投資成績や全体的な資金状況などを考慮して判断をすべきであろうし、形式的な内規通りにやっていれば良いという話ではないであろう。
そう考えると、その事件には、そもそも犯罪が成立するのかどうか、という点に相当問題があるように思えた。しかし、Aを含む被疑者の逮捕という捜査方針は確定していた。下っ端の応援検事が口を出せるようなことではなかった。
この証券担保ローンの背任事件に関しては、不正融資とされる証券担保ローンの実行の時点で、融資先の投資家の株式損益がどのような状況だったかが重要な事実だったはずだ。全体として利益が出ているのであれば、ある程度、担保評価を緩めて、融資額を増額することも、あながち不合理な判断とは言えない。しかし、特捜部の捜査では、その点についての客観的な証拠は殆どなかった。単に、供述だけで、「Aは株で大損をしていた」と決め付けられた。
私は、その頃、まだあまり普及していなかった「表計算ソフト」を活用して、頻繁に株式売買を繰り返している投資家の損益を逐次計算できるマクロプログラムを完成させ、背任事件の共犯とされている投資家の損益状況を調べてみた。すると、背任融資とされている融資の実行の時点の大半で、トータルでは十分に利益が出ており、大幅な損失は、投資の最後の時点で特定の銘柄が膨大な損失となったため、それでトータルの損益が大幅なマイナスになったものだということがわかった。
そうして判明した事実を、思い切って、主任検事、副部長に報告してみた。しかし、「関係者が全員、Aはずっと株で損をしていたと言っているじゃないか。お前のパソコンはおかしいんじゃないか。」と一笑に付されてしまった。
それから間もなく、Aは逃亡し、所在をくらましてしまった。それ以降、事実関係を詰める捜査は棚上げにされ、Aの所在を突き止めるための捜査一色になった。
株式売買に手を出し、証券担保金融で投資額が拡大、会社を辞めてプロの投資家のようになっていたが、もともとは一流大学卒の大企業のエリート社員だったAには、特捜部のに逮捕されるプレッシャーが耐え難かったのであろう。
こうして捜査対象の被疑者が所在不明になってしまうと、検察独自捜査にとっては、非常に苦しい事態になる。全国の都道府県警に指名手配をして協力を求めることができる警察とは違い、検察は所在不明になった被疑者の行方を追うことには制約がある。
しかし、被疑者の逮捕、本格的捜査が予定され、応援検事まで確保している場合に、捜査をあまり先延ばしすることはできない。つのる焦燥感の中で、そのときの主任検事が命じたのは、所在不明となったAの家族・親類縁者を片っ端から呼び出して、「かくまっているのではないか」と疑って、徹底的にいじめるというやり方だった。それを徹底していけば、そのプレッシャーを受けた家族、親類縁者が、積極的に心当たりに連絡することで、どこかでAの所在が明らかになって、通報してくるのではないか、という作戦だった。
確かに、それは、検察として取り得る手段の中では有効なものなのかも知れない。しかし、Aは、殺人犯のように、本当に草の根分けても探し出さなくてはならないような犯罪者ではない。要するに、その所在を明らかにしないといけないというのは、「検察の都合」に過ぎないのだ。私も、その「家族、親類縁者いじめ」の取調べに駆り出された。上司の指示・命令を受けてやらされる仕事の中で、これほど気の進まないことはなかった。
ある日、主任検事から、所在不明のAの従弟のB氏を呼び出して取り調べるようにとの指示を受けた。「前日にX検事(私の同期)が呼び出しの電話をかけたが、どうしても都合が悪いと言って来なかった奴だ。何か隠しているから来たくないんだろう。徹底して締め上げろ」という指示だった。
私が電話をかけたところ、Aの従弟のB氏が出た。私は、東京地検特捜部の検事であることを告げ、「Aさんのことでお伺いしたいことがあるので、明日、東京地検まで来てもらえませんか」と言うと、「Aとはもう何年も会っていません。何も知りません。どうしても行かなければいけませんか。」と言ってきた。「それでも、どうしても直接お伺いしたいことがあるのです。」と言うと、「では、行きます。」と言ってくれた。
翌日の朝、霞ヶ関の東京地検に出向いてきたB氏は、私の「取調べ」が始まるなり、淡々と話し始めた。
「一昨日の夜も、X検事から電話があって、明日東京地検に来てくれと言われました。私が、仕事があって無理ですと言うと、『お前はAの行き先を知っているだろう。嘘をついてもわかる。隠しているから調べに応じたくないんだろう。隠したりしていると捕まえるぞ。』とさんざん脅されました。ちょうど、我が家では、子供にいろいろ大変なことがあって、とても深刻な家族会議をしていた最中でした。中学生の息子がイジメで登校拒否をしています。それに加えて、一昨日、小学生の息子が、重い心臓病だということがわかって、私たち家族はどうしたら良いんだろうと、目の前が真っ暗になって、そこに、夜の10時過ぎにX検事から電話があったのです。どうしても都合が悪いからと言って、東京地検に行くのは一日待ってもらいました。そこで、昨日、また電話がかかってきた。それが、検事さんからでした。私が検察庁に呼び出されたということで、今朝出てくるときに、女房が取り乱していて、私が逮捕されるんではないかと心配で頭がおかしくなりそうだと言っていました。」
私が、その話を聞いて驚き、黙っていると、B氏はさらに言葉を続けた。
「私は、市役所の職員として、20年余り仕事をしてきました。人から後ろ指を指されるようなことをしたことはありません。もし、私がAのことで何か知っていたら、すべてお話しします。でも、何も知りません。生意気なことを言うようですが、私も、少しばかりですが国にも市にも税金を納めている市民です。どうしてこういう目に遭わされなければならないんでしょうか。」
私は、このときほど、恥ずかしく惨めな思いをしたことはなかった。自分がやっていることは人間のやることではないと思った。
私は、すぐに、B氏の自宅に電話をかけて、B氏の妻と話をした。「何も心配することはありません。ご主人に何か疑いがかかっているということではありません。こちらの都合で、どうしても今日、一日、こちらにいてもらわないといけないのですが、まったく心配は要りませんから安心してください。今日の夜にはお返しします。今日だけで、明日以降は来てもらうこともありません」
そして、B氏には「あなたから聞くことは何もありません。でも、どうしても、我々の組織の内部的な問題で、今日一日、この建物にいてもらわなければならないんです。待合室で待っていてください。時折、部屋に入ってもらいます。夜には帰ってもらいますから。」
私は、昼と夕方に、主任検事に取調べの状況を報告した。
「しぶとい奴です。さっきからガンガンやってるんですが、何も話しません。本当に何も知らないのかも知れませんが、もう少し頑張ってみます」と真っ赤な嘘をついた。
主任検事に評価してもらおうなどという気持がまったくなかったことは言うまでもない。私が恐れたのは、私の「取調べ」が生ぬるいという理由で、B氏の「取調べ」がX検事に担当替えになることだった。とにかく、一日で終わらせなければならない。そのためには手段を選んでいる場合ではなかった。
その日のことは、私にとって衝撃だった。この特捜部での応援勤務の経験によって、それまで、ある種の「憧れ」を持っていた特捜部という組織の権力が、使い方によっては市民に対する恐ろしい暴力になりかねないことを実感した。
私は、この事件をきっかけに特捜部という組織に幻滅し、やがて訣別した。その後、地方の検察庁で独自の検察捜査の手法を切り開いていこうとしたが(前出「検察の正義」の最終章「長崎の奇跡」参照)、それも、検察の組織として受け入れるところとはならず、結局、検察組織から離れた。そして、その後、検察の外から、特捜捜査を中心に検察を厳しく批判し続けてきた。
大阪地検不祥事以降、社会から厳しい批判を受けている検察が、検察改革の最中に手掛けた捜査が、今回の朝倉氏と佐藤氏の「詐欺事件」である。それは、私が検察にいて経験した、そして、これだけは絶対に許すことができないと考えた「検察の市民への暴力」そのものである。
彼らを検察の暴力から救い出すために、私として精一杯のことをしたいと考えている。今回の事件に、関心を持つ方々、特捜捜査の理不尽さに憤りを覚える方々、今後の裁判の展開に注目して頂きたい。
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