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日本維新の会が28日に発足した。
同日制定された党規約では、党の意思決定や代表選出について、国会議員と地方議員に同じ力を与えた。
党の重要事項は「執行委員会」で決定するが、代表、副代表、幹事長、副幹事長、政調会長、総務会長で構成される委員会のメンバーの大半は代表が選任する。
国会議員は副代表・副幹事長として執行委員会には加わるが、議決には代表を含む過半数の賛成が必要。
このほか、国政・地方選挙の候補者選定、公認、推薦、比例代表名簿順位の最終決定権は代表に帰属する。
ほとんど橋下徹大阪市長の「個人商店」のような政党である。
この記事を読んで、維新の会のこれからの様子がなんとなく見えてきた。
維新の会の「おとしどころ」がわかったような気がする。
いったいどのへんに「おとしどころ」があるのか、こういうことは事後的に「あのときに私はそう予見していたのだ」と言っても所詮「後知恵」である。
あとで賢しらな様子をするよりは、はやめにばんばん予言しておいて、外れたら謝るというのが私のやり方である。
こういうことについてはできるだけ断定的な予言をした方がいい。
それが自然科学の骨法である。
仮説の提示、実験、反証事例の出現、仮説の書き替え。
自然科学はそのエンドレスの繰り返しである。
だから、科学者はその段階で適切だと思った解釈を断定的に語らねばならない。
どうとでも取れる玉虫色の解釈をすること(「ノストラダムスの大予言」みたいなこと)はしてはならない。
どれほど愚かしくても、未来について「これから、こうなる」ということははっきり予測しておいたほうがいいというのが私の考えである。
そうしないと、自分が推論に当たってどんな要素を読み落とし、どんな推理上の誤りを犯したのかが自分にもわからなくなるからである。
問題は「予言の遂行性」ということである。
強く念じたことは実現する。
だから、誰かが断定的に予言したことは、誰も言わなかったことよりも実現する可能性が高い。
困ったものである。
とにかく、2012年段階で、私は次のような未来予測を立てた。
まず、維新の会内部で、地方議員と国会議員団の間で対立が起きる。
これはもうすでに起きている。
党規約の起案に3週間を要したのは「大阪維新の会」の幹部と新党に合流する国会議員団の間で激しい主導権争いがあったためである、とどの新聞も報じている。
今はまだ国会議員は7名だし、「軒を借りる」立場だから、党規約では大幅な譲歩をせざるを得なかった。だが、内心では「いつかみてろよ」と思っているはずである。
このあと国政選挙があり、議員数が増えた場合に、彼らが地方議員と同じ権限に甘んじ、地域政党の幹部に頥使されることを受け入れるということは考えにくい。
ご本人たちの決意がどうあれ、「世間の扱い」が違うからである。
国会議員の「先生」と地方議員の「先生」では待遇が違う、歳費が違う、権限が違う、席順が違う。
世間に出れば「上席」に置かれる人間が、党内では「同席」を求められる。
どちらが「非常識」であるのか、これに悩む人はいない。
「自分に対してより多くの敬意が示される世界が『あるべき世界』である」と考えるのは人性の自然である。
だから、当選してしばらくすると国会議員団の諸君は「大阪の党本部」と「国会議事堂」のどちらがより「あるべき世界」かと問われると、逡巡しつつも「国会」と答えるようになる。
これは不可避の自然過程である。
これを処罰によって規制することはできない(処罰されたら、彼らはたちまち離党して「新党結成」するか、どこかの党に泣きつくだろう)。
採りうるのは「国会議員団を、他の政党の場合と同じように、地方議員団より上位に置く」というソリューションだけである。
というわけでいきなり党規約改定ということになる。
でも、それでは地方議員団が収まらない。
ふざけるんじゃないよ。
東京一極集中を排し、大阪に政治のセンターを作り出すのが「大阪維新の会」の当初のプランである。
国会議員が地方議員や首長の上に来るなら、既成政党と同じじゃないか、と。
この混乱を収拾する「みんなが納得するロジック」は存在しない。
というわけで、選挙直後に党内に国会議員と地方議員・首長のグループ対立という危機が訪れる。
というのが予言その1。
政党である以上、衆議院での首班指名では「自党の党首」に投票しなければならない。
今、議員団の代表は松野頼久衆院議員であるから、論理的に言えば、次の衆院選のあと、彼が当選していれば、日本維新の会の国会議員たちは彼に投票することになる。
だが、それについて橋下代表は明言を避けている。
「いずれリーダーを示さなければならない」と語っているが、これは誰でもわかるように背理的な文章である。
リーダーを指名するのが機関ではなく個人であるなら、指名されるのは「リーダー」ではなく「子分」だからである。
似た組織に公明党がある。
公明党の党首は事実上創価学会会長の指名人事である。
それでうまく政党が回っているのだから、維新の会でもいけるのではないかとたぶん考えた人がいたのだろう。
だが、公明党は「宗教政党」である。地方議員も国会議員も信徒の中から選び出される。
「公明党の政策に共感したので、自民党を離党して公明党に合流する」というようなオプションは原理的にはありえない。
だから、維新の会が公明党に似たことをしようと望むなら、組織統合の軸を「政策」ではなく、「信仰」に置くほかない。
たぶん、何となくそのことは維新の会の幹部たちもわかっていると思う。
だから、議員たちに「橋下徹への個人的な帰依」をまず要求しているのである。
代表に拒否権を付与するというのは、代表が政策判断において「無謬である」ということを意味するわけではない。
だが、「他のすべての党員よりも政策判断において適切である蓋然性が高い」ということを認めている。
ここにいう「他のすべての党員」の中には、「まだ入党していないもの」も含まれている。
その知性や見識について「まだ知られていない人間」よりも代表を上位に置くルールはやはり「信仰」という他ないだろう。
果たして国会議員たちはこの「信仰」をどこまで維持できるか。
むずかしいだろうと思う。
他党の議員からすれば、「陣笠」議員といくら合議しても、対話しても、根回ししても、結局は代表の一存で党議が決するなら、相手にするだけ無駄だからである。
それゆえ、他党の議員たちから維新の会議員団は「見下される」ことになる。
個々の人物の器量や見識によってではなく、「自分たちは政策判断の適否において代表よりも誤る確率が高い」という誓言を代償にして議席を得たという事実によって。
その「見下し目線」に彼らはどこまで耐えられるか。
あまり長くは耐えられないだろうと思う。
というわけで、国会議員団と大阪市長が別立てである限り、この二重権力システムは遠からず軋みを上げることになる。
それを防ぐには橋下代表が国政に出馬して、国会議員団を「締める」しかない。
だから、私は維新の会の国会議員数が一定数(20人)を超えるような勢いであれば、代表は出馬せざるを得ないだろうと思う。
だが、当選議員数がそれ以下(10人そこそこ)なら、大阪からのリモートコントロールも可能である。
とはいえ、大阪市長を任期途中で辞職して国政に出る場合には、「大阪市政をどうするんだ」という市民からの反発が予想される。
その反発が日本維新の会への全国的な逆風につながる可能性がある。
それに、大阪市長選挙で反維新系の候補者が当選した場合には、これまでの職員条例とか教育条例など「維新シフト」はまるごと廃止される可能性がある。
それでは何のために府知事を辞めて大阪市長選に出たのか、わからない。
代表が国政に出ると維新の会の支持率に悪影響が出ると思えば、「出馬しないでほしい」という党内からの声が当然出てくるだろう。
とくに現職の国会議員たちは口々に「国政はわれわれに任せて、あなたは大阪市政に集中しなさい」と忠告するだろう。
だが、これは代表にとってかなり不愉快な発言である。
「おまえらに任せられるくらいなら、はじめから出馬なんて考えなくてよかったんだから・・・(ぶつぶつ)」
だから、まことに逆説的なことではあるが、橋下代表にとっていちばん「望ましい」展開は、支持率があまり伸びず、候補者の大半が落選し、15名程度を国会に送り出すにとどまる、というあたりである。
これなら、「第三極」として、そこそこの議会内勢力でありうるし、大阪市長も辞めずに済む。
そのあたりの「おとしどころ」をめざしてこれから候補者選定が始まると私は予測している。
さて、私の予測は当たるか。刮目して待つべし。
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