http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/396.html
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「当時の私は鉄小学校に在学中で運動会の最中に火を噴く機体を見上げていた者の中の一人です。まだ低学年だった事もありお子さんの名前や怪我をした方の人数など記憶が曖昧だったのですが、林さん母子の他にもあんなに大勢の方が被害を受けていた事、こちらを拝見して初めて知りました。お子さん達の最期の言葉『パパ・ママ、バイバイ』や『ポッポッポ』は幼かったながらも未だ脳裏に焼きついています。それに 私の父があのお母さんと同時期・同じ病院に入院していた為、お母さんが薬浴治療で本当に苦しまれていた様子も聞いていました。あの体験は私にとってもある種トラウマになっています。黒煙と炎を噴出しながら自分達の頭上を超低空で飛んで行った戦闘機、パラシュートで脱出した兵士がフワフワと田んぼに落ちてゆく光景、そして轟音とともに山の向こうから立ち昇った大きくて真っ黒なキノコ雲…。あの光景はきっと一生忘れる事が出来ないでしょう。」
「1977年横浜市緑区の米軍機墜落」を小学生当時に目撃された方より(パパ、ママ、バイバイ)
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<参照>
http://twitter.com/ATS_RNS/status/251091875258327041
ATS xNONUKESx
@ATS_RNS
『「パパ、ママ、バイバイ」横浜の米軍機墜落から35年(今日の赤旗9/27、3面)』、これ知った時は衝撃だった、米軍ジェット機が横浜市緑区(現青葉区)の住宅街に墜落、母親と幼い兄弟の命が奪われる、35年前の今日。 http://pic.twitter.com/b29owJ3v
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20120923/CK2012092302000128.html
【神奈川】
語り継ぐ平和の願い 横浜・米軍機墜落事故から35年 中学生が朗読劇
2012年9月23日
横浜市の住宅地に米軍機が墜落・炎上し、九人が死傷した事故から間もなく三十五年。事故の犠牲になった土志田和枝さん=当時(31)=と、二人の子をしのぶ像がある「港の見える丘公園」=横浜市中区山手町=で二十二日、中学生たちが朗読劇を通じて事故を語り継ぐ集いが開かれた。約五十人が集まり、全身やけどを負った和枝さんの苦しみを伝えながら、平和について考えた。(皆川剛)
市民団体「横浜・緑区米軍機墜落事故平和資料センター」の主催。「悲惨な事故を忘れてほしくない」と訴え続けて二〇〇八年に亡くなった、和枝さんの父勇さん=当時(82)=への聞き取りや、当時和枝さんに寄せられた励ましの手紙などをもとに、センターの斎藤真弘代表(71)が台本を作った。事故現場に近い横浜市立川和中学校の演劇部員二十二人が、一カ月かけて練習して臨んだ。
「幼い子どもはベッドにくくりつけられました。全身の痛みに耐えかねて、苦しみもがくからです」「和枝さんは愛児の死を知らされず(化膿(かのう)を防ぐ)硝酸銀の薬浴に耐えながら生死の境に置かれていました」−。朗読を終えた部長の井上萌衣(もえ)さん(15)は「日常とかけ離れたことが、さらりと書かれている。和枝さんはどんな気持ちだったのか」と複雑そうな表情で話した。
折しも、山口県の米軍岩国基地に一時駐機している米軍新型輸送機MV22オスプレイの試験飛行が始まり、市街地上空を通過する可能性に不安が高まっている。萌衣さんの母の美智子さん(44)は「墜落事故のことは娘の部活動を通じて知った。軍用機が国内を飛ぶ必要がある場合もあるのでしょうが、絶対に事故のないものであってほしい」と願った。
<米軍機墜落事故> 1977年9月27日、厚木基地を離陸した米海軍空母「ミッドウェー」の艦載機が、横浜市緑区荏田町(現・青葉区荏田北3)の住宅街に墜落し、9人が死傷した。土志田和枝さんの長男裕一郎ちゃん=当時(3)=と次男康弘ちゃん=同(1)=は事故直後に死亡、和枝さんは全身の8割にジェット燃料によるやけどを負い、4年4カ月後に呼吸困難のため死亡した。
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