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維新八策による「真の弱者」と「それ以外の弱者」の「区別」はいじめである
村野瀬玲奈の秘書課広報室09/22/2012 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3744.html
『「維新八策」を批判的に検証するのがマスメディアの義務のはず。』の記事で、大阪維新の会(日本維新の会)の綱領「維新八策」を批判的に見ました。
その中で記録した「維新八策」の中の一つの「用語」について批判的に取り上げます。
それは、「真の弱者」という用語です。「自助努力でなんとかすべき弱者ではなくて」という意味らしい「真の弱者」という用語です。
これは、維新八策の最初の方で登場します。次の部分です。
大阪維新の会の理念は、個人の自由な選択と多様な価値観を認め合う社会を前提に、
・自立する個人
・自立する地域
・自立する国家
を実現することです。
そのためには、国民全員に開かれた機会の平等を出発点として自助、共助、公助の範囲と役割を明確にすること、公助から既得権を排し真の弱者支援に徹すること、そして現役世代を活性化し、世代間の協力関係を再構築することが必要です。
(引用ここまで)
日の丸君が代について個人の自由な選択も多様な価値観も認めず、「教育は20000%強制」などとのたまう橋下徹ですから、「個人の自由な選択と多様な価値観を認め合う社会」というところからして信用できず、そこからすでにツッコミどころ満載ですが、そこは今回はおいといて、今回は「真の弱者支援」という言葉に注目しましょう。
果たして、維新の会は本当に「真の弱者支援」をするのでしょうか。維新の会が本当に真の弱者支援をすると信じる有権者がいるのでしょうか。
そもそも、橋下徹不正と橋下徹市政のもと、大阪府と大阪市では、「偽の弱者」であれ「真の弱者」であれ、弱者への援助なるものは行なわれていなかったわけですが、「維新の会」結成宣言を批判した東京新聞の記事を見ましょう。
●東京新聞(TOKYO Web)
「日本維新の会」結成宣言 弱肉強食路線が鮮明
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012091302000140.html
2012年9月13日 朝刊
橋下徹大阪市長は十二日、自らが代表となる国政進出のための新党「日本維新の会」の結党を正式に宣言した。橋下氏は「自立」「競争」「自己責任」を新党の理念として強調している。格差拡大や医療・介護現場の崩壊などが社会問題化したかつての小泉構造改革をほうふつさせる。 (金杉貴雄)
「自由、競争、自己責任、選択という価値観は一致している」。橋下氏はさる九日に国会議員や首長を集めて開いた公開討論会で、満足そうに語っていた。
維新は国政進出の理由に「大阪都構想の完成」や「統治機構改革」を挙げ、脱・中央集権型の政権構想で注目されるが、社会像ではあらゆる面で「自立」を求め、弱者への公的支援は絞り込みたいという考えが見える。
「維新八策」には、自立や競争に関する項目がずらりと並ぶ。国家像として真っ先に「自立する個人」を挙げ、「真の弱者支援」という表現も出てくる。「ちょっとかわいそうな人は助けず、ものすごくかわいそうな人を助ける」ということを言いたいようだ。
社会保障では給付の効率化、生活保護の支給基準や公的保険の適用範囲の見直しを公約。競争力強化のために徹底した規制改革を目指し「解雇規制の緩和」も掲げる。
自民政権時代には、市場原理を優先した小泉構造改革によって、非正規雇用者の「派遣切り」などが進み、「勝ち組」と「負け組」といわれる社会の二極化を招いた。維新は、小泉政権の経済財政担当相だった竹中平蔵氏や財務省出身の高橋洋一氏を政治塾の講師に招くなど重用する。ある民主党議員は「維新は小泉政権以上の新自由主義だ」と、弱肉強食路線の再来だと批判する。
橋下氏は記者会見で海外メディアから「維新は(公的医療保険などに反対する米国保守派運動の)ティーパーティー(茶会)と同じか」と問われると、「われわれは医療保険のような公の役割は重視していくので茶会とは違う」と否定した。
ただ、八策には今のところ、経済弱者に目を向けた政策はほとんどない。
(転載ここまで)
橋下自身が税金を自分と「維新の会」という身内のために使ってばかりいるという事実から、「政治家こそ自立せよ」と一喝したいくらいですが、話が拡散するので、ここはぐっとこらえましょう。笑
さらには、維新の会のこの維新八策に対して、『「維新八策」を批判的に検証するのがマスメディアの義務のはず。』の記事では、すでに赤旗の批判があることも紹介しました。次の通りです。
雇用・福祉 過激な新自由主義で破壊
「維新八策」の「経済政策」に並ぶのは「競争力強化」「国・自治体・都市の競争力強化」「競争力を重視する自由経済」など“競争力強化”一辺倒です。それしかないといっても過言ではありません。
大企業向けには「競争力強化のためのインフラ整備」を掲げるとともに「徹底した規制改革」を打ち出し「産業の淘汰(とうた)を真正面から受け止める」産業構造への転換を主張。まさに弱者は去れという弱肉強食の社会づくりです。
そのもとで、国民生活がどうなるかには、冷淡で無頓着です。大金持ちには、さらなる所得減税となる「超簡素な税制=フラットタックス化」を打ち出す一方で、労働者に対しては「解雇規制の緩和を含む労働市場の流動化」でいっそうの不安定雇用を強いる方向です。
小泉「構造改革」のもと、製造業派遣の解禁などで貧困と格差が拡大したことから何一つ学ばず、今度は“首切り自由”(解雇規制の緩和)で国民をいっそう困窮に追いやろうというものです。まさに“過激な新自由主義”にほかなりません。
その姿勢は社会保障にも貫かれています。
「八策」は社会保障について「自助、共助、公助の範囲と役割を明確に」し、「真の弱者支援に徹する」と明記しています。本来、すべての国民が受ける権利をもつ社会保障を「真の弱者」だけに絞り込み、「合理化・効率化」の名で社会保障費を削減しようというのです。
「真の弱者支援」というのは社会保障切り捨ての口実にすぎません。
一つは、保険で受けられる医療を切り縮めようということです。「八策」では「公的医療保険給付の重症患者への重点化」を口実として「軽症患者の自己負担増」を方針化しています。橋下氏は「風邪とかばかりを扱う開業医がどんどん増えてくる」(8月30日)と地域医療を敵視し、「公的医療保険制度の範囲を見直す」としています。
さらに、米国が求めている混合診療を「完全解禁」すると明記。混合診療は、保険のきかない医療を拡大して患者に重い負担を求めるもの。“命の沙汰も金次第”にしようとしています。
また、生活保護について、今でも本来対象となる人の2割程度にしか利用されていない制度をさらに改悪し、保護の打ち切りにつながる「有期制」や、現在は無料で受けられる医療への「自己負担」導入などを盛り込み、給付をさらに絞り込もうとしています。
(引用ここまで)
この赤旗の記事でももう十分ですが、もう少し考えてみましょう。
橋下政治が本当に「真の弱者」を援助しようとすると仮定してみるのです。そのためには、橋下は「真の弱者」と「真の弱者ではない弱者」をより分ける必要があります。
まず、絶対ここで橋下は「真の弱者」をきびしく定義して、援助すべき「真の弱者」の数をできるだけ減らそうとするはずです。それが橋下の目的なのですから。
そうしてたとえば数人の「真の弱者」だけに最低限の援助をすれば、橋下にとって「真の弱者を援助しました」と強弁することも可能になります。まず、それは、橋下が「真の弱者」とみなさなかった多くの人を見捨て、苦しめるというサディズムにほかなりません。
では、少なくとも「そのような真の弱者は本当に援助された」と言えるでしょうか?私の答えはノーです。
なぜなら、人間としての尊厳も何もない、そんな「真の弱者認定」をされて、最低限の援助を橋下がいつはく奪するかわからず、さらに、マスコミや一般人による生活保護バッシングの吹き荒れる日本社会の中で誇りを失わず、不安なしに暮らせる人がいるとはとても思えないからです。
「真の弱者認定」という言葉を信じてはいけません。
さらに、次のツイートのやり取りをごらんください。
じこぼう @kinkuma0327 「本当の弱者(真の弱者)こそ救うべきだ」と喧伝する人たちを観察していると、彼らの話題に上るのは「本当の弱者ではないのは誰か?」という話ばかりで、彼らが考える「本当の弱者」というのが一体どんな人たちのことなのか皆目イメージできなくて困惑してしまいます。
13 Sept 12 RépondreRetweeterFavori
じこぼう @kinkuma0327 13 Sept 12 「本当の弱者(真の弱者)こそ救うべきだ」と喧伝する人たちを観察していると、彼らの話題に上るのは「本当の弱者ではないのは誰か?」という話ばかりで、彼らが考える「本当の弱者」というのが一体どんな人たちのことなのか皆目イメージできなくて困惑してしまいます。
英NA@世の中にうんざりする会会員 @WATERMAN1996 彼らの考える本当の弱者の姿が語られないのは、言語化してしまうとその非常識さが明らかになるためだろう。毎日ハローワークに通い、再就職のために職業訓練に勤しみ、もちろん嗜好品は嗜まず、外食もしない。 RT @kinkuma0327
15 Sept 12 RépondreRetweeterFavori(転載ここまで)
言ってみれば、今の日本において、「真の弱者」と「それ以外の弱者」の「区別」そのものが現実的にはいじめのような仕打ちであるということです。「真の弱者」にとっても、「それ以外の弱者」にとっても。
それにしても、意識的なのか無意識的なのか、弱者を援助した実績のない政治グループとして、「真の弱者」という冷酷でサディスティックな手口を橋下とその一派はよく考え付くものです。
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