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民主党結党の精神を忘れ変節した代表選候補者は誰か
http://diamond.jp/articles/-/25103
2012年9月20日 週刊 上杉隆 :ダイヤモンド・オンライン
民主党代表選はいよいよあす投票を迎える。
下馬評では野田佳彦代表(首相)の再選は確実だとされている。
だが、果たして本当にそれでいいのだろうか。仮に民主党の国会議員と地方議員、さらに党員とサポーターが野田代表を再選させることになったら、筆者は残念ながら一つの哀しい結論を下すことになるだろう。
1996年の旧民主党結党時、筆者は鳩山邦夫副代表(当時)の秘書であった。
その年の1月末、長らく口も利かなかった鳩山兄弟(由紀夫と邦夫)が、四谷の料理屋『城山』で軽井沢の鳩山別荘の土地の分筆のために渋々の和解に至る。
物語はそこから急展開する。
4月初めにはさきがけの代表幹事だった鳩山由紀夫衆議院議員と新進党の船田元衆議院議員という当時、もっとも人気のあった二人の政治家が新党結成で仮合意を行う。
5月のゴールデンウィークには、そこに橋本内閣の閣僚である菅直人厚生大臣(当時)と鳩山邦夫・新進党東京都連会長が加わり、軽井沢の鳩山別荘の極秘会合で新党結成合意に至った。
さらに夏までには、主に与党から50人規模の国会議員が参集を約束、秋の総選挙では社会党書記長だった赤松広隆氏を含む、衆議院議員52人の当選を果たし、一気に比較第三党に躍り出たのだ。
さらに1998年に入ると、今度は細川護煕元首相と鹿野道彦新党みらい代表のもと、毎週のように国立国会図書館で8党(一会派)による新党準備委員会が開催され、結果、拡大民主党の結成に至った。
野田首相も、原口一博元総務大臣もその時に新党に合流している。
■結党の精神を忘れた“自民党野田派”
実は、その三年間、最初の兄弟の話し合いからほとんどすべての「会合」に、筆者は同席する幸運を得たものだった。
だが、それは「幸運」ではあると同時に、一方で筆者にとっては耐え難い不幸を背負うことでもあったのだ。
それは、いま民主党代表選挙を争っている4人の顔ぶれをみれば、いったい誰が政治を裏切り、いったい誰が国民を蔑ろにし、いったい誰が当時の自分自身に嘘をついているのか、すぐにわかってしまうからである。
結論から言えば、野田首相、あるいはその閣僚たちは、民主党の結党精神を忘れ、政治を弄び、国民を裏切った「張本人」たちとなっている。
あの96年の夏、そして98年の新党結党時の話し合い、さらにいえば2003年の自由党との合流の際の純粋な政治的な約束は、反故にされた。少なくとも基本的な3つの精神は完全に消滅した。
「自民党型政治の終焉」と「霞が関利権構造の打破」、さらにそのための徹底した「情報公開による開かれた政治」の3つを党の結党精神の柱に据え、野党民主党は歩み始め、国民の支持を拡大してきたことを野田代表は忘れたのである。
「『自民党野田派』と申し上げた方がいいのではないでしょうか」
今回の代表選前、自民党・公明党との三党合意によって、驚くべき「変節」を果たした野田氏、その彼に対して、鳩山元首相が投げかけた言葉はまさに的を射ている。
自身の日本新党、新進党所属時代から、自社さ政権を否定し、自自公連立を批判し、自民党型政治との決別を訴え続けていたのは他ならぬ野田氏自身だ。
船橋駅前で、聴衆を感動させるのみならず、同じ国会議員の瞳を濡らすほどの名演説でももって、自民党とは絶対に一緒にやらないと野田氏は訴えていたではないか。
さらには、野田首相自身、菅内閣で財務大臣に就任する前までは一度も口にしなかった消費税増税を宣言し、ついには霞が関の頂点である財務官僚の手先として、その法案成立に手を貸すことまでやってしまったのだ。
■不可解な記者会見ドタキャン 背景に総理周辺の連絡錯綜
野田首相の変節はそれだけではない。野党時代、一貫して「開かれた政治」を訴え、情報公開に賛同してきたはずの彼が、今回の代表選の前半戦では公開討論会はもちろんのこと、メディアの前に出ることを拒み続け、他候補から批判されるという醜態を晒したのだ。
記者クラブの開放含め、自民党とマスコミとの癒着を批判してきた同じ人物の業とは到底思えない。
実際、おととい開かれた社団法人自由報道協会主催の民主党代表選合同記者会見でも野田氏は姿を見せなかった。
しかも、驚くべきことに、自由報道協会に野田首相が正式に欠席を通知してきたのは、開始22分前、しかも協会側から官邸の秘書官に確認してようやく回答する始末であった。
自由報道協会の合同記者会見でいえば、そもそも野田首相サイドは金曜日までに参加の可否を知らせてくるということだった。
ところが、党本部、野田事務所、官邸の間で連絡が混乱し、自らのスケジュール調整すらできない事態に陥ってしまったのだ。
しょせんそれが民主党だろうという笑い事では済まない。一国の総理自らが記者会見への出席の是非すらコントロールできていないという一点で、もはや絶望の二文字しか浮かばないのである。
ついでに言えば、98年民主党結党の立役者のひとりである鹿野氏も、その会見を事実上、当日になってドタキャンしている。
96年の夏、軽井沢や新木場のホテルイースト21に集まった民主党の議員は誠実だった。
また、98年、連日国会図書館に集って、政策論をぶつけていた民主党議員も政治に対して真摯だった。
筆者には彼らの変節がいまだに信じられない。あの当時の約束を忠実に守ろうとしているのが、原口氏と赤松氏だけになろうとは。
だが、その二人の約束を守る政治家は代表選で苦しい戦いを強いられている。
果たして、民主党の良心は残っているのだろうか。投票は午後から行われる。
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