http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/797.html
Tweet |
(回答先: 西宮中国大使が死去=政府、後任人事急ぐ(9/16時事通信) 投稿者 紺屋高尾 日時 2012 年 9 月 16 日 15:01:07)
岡田克也代表時の秘書室長が同級の北橋健治衆議院議員=現北九州市長で、小泉偽装改革自民党に失望し、民主党に政権獲得の提案をFAXし出した。でも、衆議院選挙?で消費増税を言い出し、政権交代したくないのか!?とクレームした。やはり大敗した。岡田の自作自演の陰謀かと疑った。
今度は鳩山内閣で岡田外務大臣になり、期待もした。岡田の妻が村上誠一郎の妹で、斎木昭隆と村上が弁論部同期だと、念の為にFAXし、同期の斎木に聞くようメールした。辺野古は止めて、沖縄・下地島や鹿児島の無人島か、または韓国済州島を韓国が軍港と空軍基地を建設予定と新聞で知り、日本が定期借地で韓国から借り、普天間基地の代替地にする様、鳩山官邸・小沢民主党本部・亀井国民新党・社民党・岡田事務所にメール送信した。
鳩山が日中韓首脳会議を済州島ですると知り、大いに期待したが、ムクドリか?で潰れた。鳩山は理系で官庁に友人知人はいないのだろうか?辺野古を止めさせ、普天間を移転することは、簡単だと思っているのだが!!最近、軽井沢図書館に『戦後史の正体』を購入頂き、最初に読ませて頂いた。終戦時の松本俊一外務次官の縁者で聞いていたこととほぼ同じだった。
========================================
ところが、その彼が親米=ヘブライ系=主義者で、皇室>米国政府>日本人の順に忠誠心・親近感格差を痛感した。ウィキリークスでバレて、インドに行った彼が、急に帰ることになっている。中国大使か?
新聞はどう出ているのかな??
渡海人がヘブライ・ペルシャ・高句麗・百済なら彼は光源氏の君にもなれるダルビッシュや黒木メイサだと思っている。ヒル次官補より余程欧米人的で格好良い。
ご母堂がフランス人だと聞いた。お父さんは伊勢神宮の宮司の家系だと。それで日本人のルーツが気になりだした。彼の存在は『天皇家がヘブライ系』の原点・疑問だった。
=====================================
『戦後史の正体』は当然読んでいるでしょう?庶民が読んだのだから!誤りなきよう期待!
齋木 昭隆(斎木昭隆、さいき あきたか、1952年(昭和27年)10月10日 - )は、日本の外交官。外務省アジア大洋州局長等を経て、政務担当外務審議官。
父は元駐アルゼンチン大使の齋木千九郎(さいき せんくろう、1920年7月15日 - 1999年9月13日)。妻は外務副報道官/審議官の斎木尚子。
目次 [非表示]
1 人物2 発言3 経歴4 同期5 脚注6 外部リンク人物 [編集]
駒場東邦高校、東京大学文科2類・教養学部教養学科卒業後、1976年に外務省入省。アジア大洋州局審議官を務め、2006年駐米公使、2008年アジア大洋州局長、2011年から在インド大使を務めている。
北朝鮮による日本人拉致問題、核兵器開発問題交渉に携わってきた。北朝鮮への対応は、伝統的に対米外交政策重視のスタンスをとる外務省の官僚の姿勢の中でも近年強硬派として知られるようになり、アジア外交で主役的存在として浮かび上がった。同期の中でも有力な次官候補に上っている。
発言 [編集]
ウィキリークスは2011年5月、齋木がアジア大洋州局長時代の2009年9月にアメリカ合衆国国務次官補カート・キャンベルとおこなった会談にて、次のような発言をおこなったとする在日アメリカ大使館発の公電の内容を公開した。
公電は、当時の民主党政権(鳩山由紀夫内閣)が「対等な日米関係」を唱えていたことについて、齋木が「すでに対等なのに、鳩山総理や岡田外務大臣が何を考えているのかわからない」と述べたとしている[1]。また、「与党経験のない民主党は官僚をコントロール下に置き、アメリカに挑戦する新しい大胆な外交政策を打ち出すイメージの必要性を感じたのだ」としたうえで、「そのような考え方は馬鹿げたもので、学ぶことになるだろう」とも発言したとしている[1]。
公電は、齋木が北朝鮮による日本人拉致問題に関連して、「北朝鮮は、安否不明の拉致被害者の何人かを殺害していると思う」「拉致被害者の何人かは生きていると思う」との発言をしたとしている[2]。齋木は発言内容を否定し、「全ての拉致被害者は生存していると強く信じており、その前提に立ってこれまでも北朝鮮側と交渉を重ねてきた」と述べている[2]。
経歴 [編集]
1975年(昭和50年)11月 外務公務員採用上級試験合格
1976年(昭和51年)3月 東京大学教養学部卒業
1976年(昭和51年)4月 外務省入省
1977年(昭和52年) 英語研修(フレッチャー法律外交大学院修士課程修了)
1979年(昭和54年) 在アメリカ合衆国日本国大使館二等書記官
1981年(昭和56年)6月 北米局北米第一課
1983年(昭和58年)6月 北米局北米第一課首席事務官
1983年(昭和58年)11月 経済局国際経済第一課首席事務官
1986年(昭和61年)7月 アジア局南東アジア第二課首席事務官
1988年(昭和63年)9月 ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官
1993年(平成5年)8月 欧亜局西欧第二課長
1995年(平成7年)1月 経済局国際機関第二課長
1997年(平成9年)2月 経済局国際経済第二課長
1997年(平成9年)9月 小渕恵三外務大臣秘書官
1998年(平成10年)7月 内閣副広報官
2000年(平成12年)8月 経済局外務参事官
2000年(平成12年)9月 大臣官房人事課長
2002年(平成14年)9月 アジア大洋州局次長
2006年(平成18年)1月 在アメリカ合衆国日本国大使館公使
2008年(平成20年)1月 アジア大洋州局長
2011年(平成23年)インド駐箚特命全権大使
2012年(平成24年)9月 外務審議官(政務)
同期 [編集]
兒玉和夫(国連大使(次席)・外務報道官)
國方俊男(駐チェコ大使)
小菅淳一(駐ヨルダン大使・駐アフガニスタン大使)
高田稔久(駐ケニア大使)
福川正浩(駐ペルー大使)
西宮伸一(外務審議官・ニューヨーク総領事・北米局長)
木寺昌人(外務省大臣官房長・国際協力局長)
鶴岡公二(総合外交政策局長・地球規模課題審議官)
篠田研次(国際情報統括官)
田尻和宏(広州総領事)
高橋邦夫(11年駐ネパール大使・09年駐スリランカ大使)
久枝譲治(11年駐オマーン大使)
加茂佳彦(ホノルル総領事)
高瀬康夫(12年駐ベリーズ大使)
渡部和男(12年駐コロンビア大使)
小泉崇(12年駐ブルガリア大使)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK135掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。