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昨年12月、ソウルの日本大使館前に設置された被害少女を象徴するブロンズ像「平和碑」=共同
東京新聞 こちら特報部2012年9月11日
韓国の李明博大統領が竹島(韓国名・独島)上陸の理由のひとつに挙げたのが旧日本軍慰安婦問題だ。韓国では戦後六十七年の今も未解決課題とするが、日本政府は「解決済み」とにべもない。だが、国際世論の目は思いのほか厳しく、「もう二国間問題ではないことを見誤るな」との指摘が出ている。(小坂井文彦、林啓太)
外務省東郷和彦元局長
「慰安婦問題は、河野談話によって均衡が取れている。談話を取り消すほど危険なことはない」
元外務省欧亜局長で,京都産業大世界問題研究所の東郷和彦所長(六七)は、冷却する日韓関係を心配してこう話す。
松原仁国家公安委員長は八月二十七日、「河野談話のあり方を閣僚間で(見直しを)議論すべきだ」と発言し、韓国、北朝鮮両政府が「極めて不適切な発言」 「妄動だ」などと批判した。
日本は一九六五年の日韓基本条約に伴う日韓請求権協定で、慰安婦を含めて韓国との補償問題は「全て解決済み」という 姿勢だ・しかし、韓国で元慰安婦が声を上げ始めたのは、韓国が民主化を終えた一九九〇年代以降で、日本政府として出した解決策が「河野談話」だった。
九三年八月、宮沢政権の河野洋平官房長官(当時)が従軍慰安婦問題へ「おわびと反省」を表明、旧軍の組織的な関与「甘言、強圧など、本人の意思に反して集められた事例が数多くあった」と強制性を認めた。村山政権下の九五年、女性のためのアジア平和国民基金を創設。民間の募金により「償い金」を払うこととし、韓国やフィリピン、中国などの元慰安婦に、二百万円の償い金と首相のおわびの手紙を渡していった。
だが、日本政府の補償ではなく、民間の募金だったことに韓国世論が反発。償い金を受け取った元慰安婦を「非国民」などと此判し、元慰安婦の大半が受け取りを拒否することになった。「元慰安婦を政治的に利用した行動だが、日本政府に法的責任を認めさせないと、統治された屈辱感が晴れないという韓国民の感情が影響した」と東郷氏は分析する。
■世界の目厳しく「女性の人権踏みにじる」
ところが、問題は国際化していく。韓国側が国連に持ち込み、九六年月、人権委員会に「日本政府は法的責任を認め、性奴隷にされた被害者に補償金を支払うべし」と報告。九八年六月には。「二十万入超の女性たちを強制的にレイプセンターで性奴隷にした」という報告書が提出された。
その後、沈静化したかのようにみえたが、二〇〇七年三月、安倍晋三首相(当時)が「強制性を裏付ける証拠はなかった」などと発言し、問題に再び火がついた。今度は、国連ではなく、米下院が動き、本会議で日本政府に「完全な謝罪」を求める決議を採択した。欧州各国の議会でも同様の動きが相次いだ。
東郷氏は「竹島は二国間問題だが、慰安婦は既に大きな国際問題になっている」と続ける。「欧米人は現代の価値観の中で自分の妻や娘、姉妹が強制的に慰安所に入れられることのみを想像している。戦争当時、やむを得ない制度だったという説明は通用しない。
「解決済み」という日本側の態度をよそに、韓国の憲法裁判所が昨年八月、韓国政府に「賠償請求の措置を講じなかったのは憲法違反」と示した。韓国政府はこの判断後、再び強硬な態度を取り始めたが、米国では○七年以降も韓国系市民が中心となって日本批判を続けてきたという。
10年秋、韓国系市民が人口の半分を占める米ニュージャージー州パリセイズパーク市に、慰安婦の碑が建った。今年五月ニユーヨーク総領事や自民党の国会議員が同市に撤去を求めたことが報道で大きく取り上げられ、全米の人権擁護派らの反発を招いた。
昨年十二月、ニューヨークのコロンビア大の集会で、第二次大戦でナチスによる虐殺(ホロコースト)を逃れたユダヤ人女性と、韓国人の元慰安婦が並んで登場。慰安婦と虐殺を同種の問題として扱わせようという狙いだ。今年七月には、米国務省の報道官が慰安婦問題を「巨大レベルの人権侵害」と発言した。
■道義的立場で謙虚に
東郷氏は「このままでは、日本は女性を大切にする気持ちがない野蛮な国家とみられ、日米同盟にも亀裂が入りかねない」と指摘する。
「解決に向け、日本政府は河野談話を踏まえ、元慰安婦の女性の要請がある限り、応え続ける。国際条約とのあり法的な責任は認められないが、道義的な立場で予算を組む。謙虚な態度を取った上、性奴隷、レイプセンター、ホロコーストではないことを主張することが大切だ」
■「生あるうちに解決を」
これまでに名乗り出て、韓国政府が認定した元慰安婦は二百三十四人いるが、高齢で亡くなる人が増え、八月末で六十人にまで減った。今や八十代と九十代だ。謝罪したとして、「許す」と言えるのは本人だけ。子孫はどんな謝罪をされても、足りないというしかない。全員が亡くなれば解決は不可能。永遠の問題になる前に、解決を急がなければならない」
デスクメモ
写真展「重重」を見た。目を閉じる顔に刻まれた幾重ものしわ。胸の奥におりのように重々しく沈む苦しみと痛みが伝わってぎた。そんなハルモニの中に幸せそうな表情の乙女がいた。連行前に自宅周辺で撮った家族の肖像だろうか。生き別れた肉親と望郷の念を思うと切ない。置き去りを救ってほしい。(呂デスク)
<写真家・安世鴻さん>
慰安婦として連行された朝鮮人女性の多くは当時、十代後半の少女たちだ。旧日本軍将兵の性病が問題となり、ほとんど性体験のないことも判断されたという。周旋人らに「勉強ができてお金ももうかる」 「日本で仕事がある」といったうそなどをつかれ、旧日本軍が拡大した戦地の慰安所に送り込まれた。
「フジ子」 「ひとみ」などの日本名を付けられ、民族差別を受け、性行為を拒否する自由も外出の自由もなかった。慰安所は民間人が経営するなどしたが、一定期間、日本兵に監禁されて暴行されたりしたと証言する元慰安婦もいる。
市民団体「『慰安婦』問題とジェンダー平等ゼミナール」(埼玉県春日部市)の吉川方章さん(七二)は「何も知らない子どもの方が、連れ去るのに都合が良かった」と説明する。中国人の従軍慰安婦も多かった。
■ハルモ二 今も置き去りに
敗戦後、朝鮮人の慰安婦が中国や東南アジアに置き去りにされたケースも。中国語を話せずに自力で帰国できず、現地に残留した大も多数に上る。
写真家の安世鴻(アンセホン)さん(四一)=名古屋市=は○一年から中国を七回訪れ、十二人の元慰安婦を取材。「ハルモニ(おばあさん)は慰安所があったのと同じ場所に住み、苦しみ続けている。日本は帰国措置を取らず、置き去りは今も続く」と話す。
今年三月、慰安婦問題の周知のため日韓の市民で「重重プロジェクト」を始め、日本でも写真展や講演会を開いている。
安さんは「ハルモニの存在と痛みを知つてほしい。正しい歴史認識は、過去に真正面から向き合うことを通じてしか生まれない」と訴えている。
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