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「正義を失った検察」の脅威にさらされる「400万中小企業」
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2012年9月11日 郷原信郎が斬る
「検察崩壊 失われた正義」(毎日新聞社)Amazonに予約が殺到、9月1日の発売未だに在庫切れの状態。このようなジャンルの本が、なぜこれ程までに注目されるのか、その理由は、著者の私にもわからない。孫崎亨氏の「戦後史の正体」が大ベストセラーになっているのと同様に、これまで、秘密のベールに包まれてきた戦後のわが国の中枢部分の真相が明らかになりつつあることに、世間の関心が集中しているということなのかもしれない。
こうした中で、検察捜査が「普通の市民」に牙を向くことの恐ろしさを描く迫真のノンフィクションが公刊された。産経新聞多摩支局長の石塚健司氏の著書「四〇〇万企業が哭いている ドキュメント検察が会社を踏み潰した日」(講談社)http://amzn.to/O3LdvO だ。
「検察崩壊 失われた正義」で明らかにした「検察の信頼崩壊」の深刻さは理解されても、多くの国民にとって、それは「自分達には関係のない世界」と思われているであろう。東京地検特捜部と言えば、政界捜査や大規模な経済事犯を手掛ける捜査機関、対象になるのは小沢一郎氏のような政治家や堀江崇文氏のような大企業の経営者で、一般の中小企業経営者や普通のサラリーマンには無縁の世界と思われていたはずだ。しかし、石塚氏の本では、長引く不況の中、懸命に中小企業の経営に取り組む経営者と、それを必死に支える経営コンサルタントが、特捜捜査に踏み潰されていく経過が生々しく描かれている。
それは、大阪地検の郵便不正事件をめぐる不祥事等で失墜した検察への信頼を回復するための「検察改革」が進められている最中の昨年9月に、東京地検特捜部が独自捜査に着手した事件だった。
2011年4月に「検察の再生に向けての取組み」が公表され、分野別専門委員会、監察指導部の設置、特捜部の身柄事件についての検事長指揮、総括審査検察官の指名、取調べの可視化の試行など施策が打ち出された。この事件は、まさに、それらの改革策が実行されていた最中に、東京地検特捜部が手掛けたものだ。
しかも、その捜査を行ったのは、特捜部の特殊直告2班であり、検察改革の一環として廃止される直前に着手した事件だった。「財政経済関係事件の捜査処理のための態勢を充実強化」の一環としての特捜部の組織体制の見直しによって特殊直告班(主として政界汚職事件など特捜部の独自捜査を担当する部門)は縮小し一班体制とされることとなった。同班が「起死回生の一打」を狙って手掛けたのがこの事件であった。
まさに、この事件は、検察改革によって生み出された事件と言っても良いのである。
検察への信頼が崩壊し、正義を失った検察は、本来の使命である政界捜査、大規模経済犯罪捜査を行う力をなくしたが、それでもなお強大な捜査権限を持っている。行き場を失った捜査の刃が、普通に働き、普通に生活する、普通の市民に向けられ、その仕事と生活が破壊されていく。それがいかに恐ろしいことか、まさに「検察崩壊」の実相をまざまざと見せつけてくれる書だ。
エス・オーインクはメンズカジュアル衣料品の製造卸売会社、13年前に、朝倉亨氏が、妻とアルバイトの3人で始め、年商7億円の会社にまで成長していた。消費不況や東日本大震災の影響で販売が落ち込み、資金繰りに追われ、厳しい経営状況が続いているものの、人気ブランド商品を中心に販売は回復の兆しを見せ、社長の朝倉氏を中心に、社員が一丸となって、事業に取り組んでいた。
一方の佐藤真音氏は、中小企業向けの経営コンサルタント、「小説 日本興業銀行」(高杉良)に登場する中山素平氏のような「野戦病院さながらに駆け込んでくる傷ついた企業を建て直すために英知を尽くす『昭和のバンカー』」にあこがれて銀行員となったが、厳しいノルマを課され、「貸し剥がし」を強いられる銀行の支店営業の世界に幻滅し、入社6年目で退職。銀行の先輩が始めていた中小企業の経営コンサルタントの仕事に加わる。経営不振に喘ぐ中小企業の経営改善を指導し、銀行からの融資が受けられるよう経営者をサポートする。自分の利益を追求するのではなく、会社からの僅かな定額の報酬で、そのままでは破綻してしまいかねない中小企業を立ち直らせることに精魂を傾けていた。
そういう両氏に、東京地検特捜部の捜査という思いもよらぬ厄災がふりかかってきたのが2011年の7月だった。
きっかけとなったのは、前年におきた事件であった。2010年に、元銀行員Aが代表取締役を務める経営コンサルタント会社が国税局の査察を受け、Aが銀行に在職していた時に、大口の融資話をまとめてはリベートを吸い上げて巨額の利益を得、しかも、その融資先会社は殆ど営業実体がないにもかかわらず虚偽の決算報告書で優良企業のように見せかけていたことが明らかになった。査察調査の結果を受けて、東京地検特捜部がAを詐欺で立件し、その被害額は、立件された事件だけで15億円に上った。
この詐欺事件における元銀行員Aと、「元銀行員の中小企業向け経営コンサルタント」というところだけ共通していた佐藤氏を、検察は「粉飾決算の指南役」として捜査の対象とした。その顧客であったエス・オー・インクが「東日本大震災復興緊急保障制度」に基づく保証融資を受けたことが、粉飾決算によって融資金を騙し取った詐欺だとし、佐藤氏と朝倉氏を逮捕・起訴した。その捜査を手掛けたのが東京地検特捜部特殊直告2班、上記のように同班が廃止される直前の同年9月のことだった。
佐藤氏が関わっていた会社の経営者Bが、Aがいた銀行の支店から3億円もの融資を受けており、しかも、その融資金の使途が不明だった。石塚氏も著書で指摘しているように、Aと同様の経歴を持つ佐藤氏がこの融資スキームと使途に関わっていると睨んだところに特捜部の根本的な見立て違いがあった。
佐藤氏を、Aと同様の「不良コンサル」と見た特捜部は、Bに関する容疑で佐藤氏の自宅を捜索、捜索に赴いた係官は、佐藤の住まいのあまりの質素さに驚く。札束も、隠し財産も全くない。佐藤氏への取調べが始まり、その説明から、特捜部の見立てが完全に誤っていたことが明らかになっていくが、特捜部は、引き返そうとはしなかった。そして、佐藤氏が経営コンサルタントとして関わっていた中小企業の中から、融資詐欺の立件の対象とされたのが、朝倉氏が経営するエス・オー・リンクだった。単なる金融機関からの融資ではなく、東日本大震災の復興に関連する保証制度に基づく融資だったことを、「悪徳コンサルタント会社が実質破綻の中小企業を利用して震災復興の保証制度を食い物にした」という構図で組み立てたのだ。
朝倉氏の突然の逮捕で、銀行融資はストップ、会社は破産に追い込まれ、取引先の零細業者も連鎖倒産していく。詐欺に問われた信用協会の保証付き融資も、結果的に返済不能となる。被害弁償もできない1億円を超える詐欺事件では執行猶予もつかない。二人とも一審で実刑判決を受けて控訴中だ。
粉飾決算書の提出が詐欺罪の欺罔行為に当たるのか、証券市場への企業内容の公正開示を求められる上場企業と、非公開の中小企業とでは、粉飾決算の意味合いが違うのではないか、日本の中小企業の多くが粉飾決算を行っている実情はどう考えるのか、など法律上の論点はいろいろある。しかし、そういう理屈の問題は別として、まず、この石塚氏の著書を読み、そこで淡々と客観的に描かれている事実を基に、常識で考えてもらいたい。日々の仕事に、自らの使命に忠実に、懸命に生きている普通の市民の二人がやっていたことが、犯罪として処罰され、刑務所に入れられなければならないようなことなのだろうか。彼らを「悪人」に仕立て上げ、踏み潰していく東京地検特捜部のやり方こそ、まさに「悪魔の所業」そのものではないか。
借金なしでやっていける中小企業など殆どない。その借入に関して、「粉飾決算で騙して銀行から金を借りたから詐欺だ」という理由で一度強制捜査が行われれば、中小企業はただちに破産する。残された借金が「詐欺の被害」になる。石塚氏の著書のタイトルにもなっているように、検察がその気になれば、「400万中小企業」のどれを踏み潰すことも不可能ではないということだ。
刑事事件の公訴権(起訴権限)を独占するとともに、訴追裁量権が与えられている日本の検察は、犯罪事実が認められても、起訴を見送る「起訴猶予」の処分を行うことができる。世の中には、形式上は法令に違反し、罰則の対象となる行為であっても、それを敢えて刑事処罰の対象にする必要はない行為が無数にある。形式的には犯罪が成立しても、事件の実体からして処罰する必要のない事件を不起訴にする権限が与えられている検察は、独自の判断で事件を立件し捜査の対象としていく場合にも、事件の中身を的確にとらえ、刑事処罰に値するものなのかを適切に判断することが求められる。検察が判断を誤り、立件すべきではない事件を立件し、起訴すべきではない事件を起訴してしまった時、裁判所が無罪の判断を下すことは困難であり、しかも、形式上「弁償されていない財産上の被害」があれば、量刑も軽いものではすまない。
組織の内部だけで判断が完結する閉鎖的な検察組織は、社会の変化に適応することができない。経済社会で生起する様々な事案について、実態に即した適切な判断を行うことができない。それが検察が多く不祥事を起こし、組織の信頼が失われていった根本的な原因であることを、私は、「検察の正義」(ちくま新書)、「検察が危ない」(ベスト新書)、「組織の思考が止まるとき」(毎日新聞社)等で指摘してきた。しかし、その後も、検察は、暴走・迷走を繰り返した末、陸山会事件不祥事をめぐる対応で、組織としての自浄作用の無さを露呈、守り続けてきた「正義」をも失った。石塚氏の渾身のドキュメントは、そうした「検察崩壊」の現状が、社会全体にとっていかに危険なものになのかを、まざまざと見せつけてくれている。
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