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善意で動く社会と欲望で動く社会
みんなが善意で人のために動く社会ならどうなるだろう???
商品は唯だからお金は要らない。
みんな商品を欲しいだけ貰うことが出来る。
当然、需要は最大化するから、生産も最大化する。
需要に生産が制約されるということは起こらない。
すべての人が満足できる生活が出来るようになったら
そこが需要、生産の最大値だろう。
それ以上、生産をする必要が無くなったら、みんな余暇を楽しめば良い。
人にあまり労苦をかけるのは悪いので、足るを知るように成るだろう。
自然に負荷をかけるのも悪いのでもったいないという気持ちも起きるだろう。
無駄なものを考えだし、宣伝広告で必死に売るような事も無くなるだろう。
善意で動く社会とは非常に効率的社会なのです。
では欲望で動く社会はどうだろう???
人は出来るだけ安く買い、高く売ろうと考える。それには価格を決める能力を持つしかない。
市場の寡占化が進む。
完全競争状態の市場とは、例えば農家が個別にコメを売れば完全競争状態に成る。
豊作でいくらコメが余っても、自分だけ減反して価格を維持することは出来ない。
農家は増産することによってしか収入を増やすことが出来ない。
結局、価格が下がり競争に負けた農家が市場から退出して需給が調和する。
現実には政府が音頭を取り減反して、需給調整をして価格を維持する。
いまや多くの市場が減産して価格調整が出来る、寡占市場に成ってしまった。
しかし価格が下がらなければ、貧しい者は商品を買えない。
ここに需要が生産を制約するという現象が起きる。
需要に生産が制約され、生産力が最大限発揮できなくなる。
需要に生産が制約されるというのは不効率です。
寡占市場というのは不公正です。
つまり欲望によって動く社会とは、不効率であり不公正なのです。
しかしなかなか善意で動く社会には成りませんね。
悪貨が良貨を駆逐するという事が起きる。
誰かが欲で動くようになると、それを真似する人が出て来る。
でも日本人は綺麗好きで親切だという評判がある。
これは東洋には昔から、人間は人のために何かをしたいものだという思想が有る。
また現実に人のためになることをしたいと思っている。
道を尋ねられたら、みんな親切に教えてやろうとする。
見返りを期待しているわけではない。単にそうしてやりたいと思うだけ。
これが世界の人には親切と感じるらしい
日本人にとっては当然のこととしか感じられない。
そうしたいからする、それだけのことだ。
日本人はこういう善意に基づいて社会を形成してきた。
商売の取引相手も継続的な取引先を望む。
これは信頼関係、善意を期待するからだ。
商品の価格も安心して取引が出来る。品質も安心性がある。
こういうことを望んで取引の継続性を求める。
しかしこういう善意の混じった市場経済に、欲望だけの欧米経済が入り込み、
市場や社会を破壊しようとしている。
人々は善意に基づく社会の方が効率的であり、欲望に基づく社会の方が、
不効率、不公正だと知るべきではないか。
そして本質的には人間は善意に基づくことをしたいものでしょう。
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