http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/549.html
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昭和12年12月に、日本軍が当時の中国の首都・南京を占領した際の真相解明を
目的に発足した「日本『南京』学会」(会長・東中野修道亜細亜大教授)が解散する
ことになった。
同学会は平成12年10月、南京虐殺などが既成事実化することに疑問をもった
東中野氏らが立ち上げ、戦前から戦後にかけての内外の膨大な資料を精査、
南京占領に関係した、元日本軍兵士ら40人弱から聞き取り調査を行うなどした。
その成果は42号に及ぶ学会報や6冊の「南京『事件』研究の最前線」(展転社)
などに結実した。
同学会によると、日本軍の南京占領に関して、学問的にほぼ解明、不法殺害は
ほとんどなく、その実態は中国国民党中央宣伝部によるプロパガンダであることが
はっきりしたという。また、南京事件の証拠として通用する写真は一枚も発見され
なかったという。
同会長によると、年齢的に、元兵士を含む新たな証言者も得にくい、などから
会としての活動は難しいと判断した。同学会は9月15日に都内で最後の大会を
開き、正式に解散する。
:産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120909/trd12090900560000-n1.htm
22 :名無しさん@13周年:2012/09/09(日) 01:12:55.12 ID:0SRYkIvA0
解散しちゃマズいだろ。
解散の事実を、「事実と認めた」と喧伝するのが支那朝鮮の常套手段だし、
同盟の学会を立ち上げて、「われわれ保守派も虐殺を認めている」と歪曲する恐れもある。
歴史や政治関係の団体は、自分たちの行いが反対勢力に利用される可能性も考えて動けや。
こんなこともあるだろうが、
「日本『南京』学会」の資料は、書籍化して全国の図書館に
保存することを望む。
どうせだからホームページだけ残してそこに研究成果を
残しておいて欲しいわ
誰でも観覧保存できるようにしてほしい
平成の世代では、「プロパガンダ」に取り込まれそうなので・・・・
お願いします。
● 南京虐殺は国民党の対外宣伝工作のでっち上げ 〜 週刊ダイヤモンド ( 2001年12月1日号 ) 桜井よしこ
戦後教育を受けた私は、長いあいだ、日本人は南京で虐殺行為をしたのだと思っていた。
報道の仕事をするようになって幅広く書籍や資料を読み、30万人虐殺はありえないことは、比較的すぐに納得できた。
問題はそこから先である。
30万人より小規模ながら、一般市民の虐殺はあったとの見方をぬぐい去ることができなかったからだ。
そんな私の目を大きく開かせた書籍が、『 南京事件の探究 』( 文春新書 ) だった。
立命館大学で中国近 ・ 現代史の教授である著者 ・ 北村稔氏は、イデオロギーを排除して客観的事実を掘り起こそうとした。
南京虐殺が存在したと確定されたのが東京と南京で行なわれた戦争裁判の判決書によってであることから、
北村氏は2つの判決書がどのような資料と証言によって作成されたかを逐一調査した。
その結果、驚くべきことが分かったのだ。
南京虐殺を最初に世界に発信したティンパーリーは英国一流紙のマンチェスター・ガーディアンの中国特派員だった。
彼の “ What War Means : the Japanese Terror in China ” は1938年に出版、戦争裁判で証拠となった。
北村氏が発掘した事実は、このティンパーリーの隠された素顔に関するものだ。
じつは彼は公平なジャーナリストなどでは決してなく、蒋介石国民党の対外宣伝工作に従事していたのである。
ティンパーリーは、抗日国際宣伝が上海で展開された時の 『 抗戦委員会 』 の重要人物のうちの1人であった。
抗戦委員会はティンパーリーに資金提供をし、虐殺の目撃記録として2冊の本を書かせたことが判明した。
公平な第三者の著作のはずが、じつは国民党宣伝部のプロパガンダ工作であり、南京大虐殺説が生まれたのだ。
( 注:ティンパーリーはその後、国民党中央宣伝部顧問に就任 )
南京虐殺は存在しなかったのだ!
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