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新党「国民の生活が第一」は27日、福島県総支部連合会(県連)の設立を県選管に届け出た。
代表には太田和美、幹事長に石原洋三郎の両衆院議員が就任した。県連は福島市天神町の石原氏の事務所に置く。
両氏は同市で記者会見し、消費税増税の廃止、原発ゼロ、地域主権の取り組みを緊急課題として挙げた。太田氏は「解散・総選挙の準備に取り組んでいきたい」、石原氏は「原発事故や地震・津波からの復旧・復興が最優先だ」と抱負を述べた。太田氏は衆院福島3〜5区での公認候補擁立についても意欲を見せた。他の役員については、10〜11月頃に開く県連大会までに選任する予定。
(2012年8月28日09時59分 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20120828-OYT1T00226.htm
太田 和美
生年月日1979年8月28日(33歳)
千葉県柏市
出身校
千葉県立沼南高柳高等学校卒業
会社役員
(民主党(小沢グループ)→)
国民の生活が第一
公式サイト 衆議院議員 太田かずみhttp://www.kazumi.ms/
選挙区(千葉県第7区→)
福島県第2区 当選回数 2回
議院運営委員会(委員)
東日本大震災復興特別委員会
元千葉県議会議員(1期)
元民主党青年局長。
千葉県柏市生まれ、千葉県立沼南高柳高等学校卒業。2005年の千葉県議会議員補欠選挙(松戸市選挙区)で初当選。2006年の衆議院議員千葉県第7区補欠選挙にて衆議院議員初当選。千葉県議会議員
2005年、千葉県議会議員補欠選挙にて松戸市選挙区から民主党公認として立候補。得票数71,772票を得て、千葉県議会史上最年少の25歳6ヶ月で当選。
衆議院議員
2006年、千葉県第7区にて自民党公認で当選した松本和巳陣営の選挙違反事件に伴う衆議院補欠選挙に立候補し、得票数87,046票を得て衆議院議員初当選。この補選には当初、選挙区で松本に敗れ比例復活で当選した内山晃が鞍替え出馬すると見られていたが、当時党員資格停止中だった永田寿康の堀江メール問題で党の支持率が低迷していたことから鞍替え出馬を見送り、4月7日に選出された小沢一郎党新代表の許で太田が補選への出馬を表明するに至った。この選挙では、「負け組ゼロへ」をキャッチコピーに、選挙カーにはほとんど乗らず自転車で選挙区内を回り地元出身をアピールする戦術に徹し、自民党公認の斎藤健に対して955票という僅差で勝利を手にした。当選後は経済産業委員会、政治倫理審査会に所属。
2007年、次期衆院選に対する党内の公認調整の結果、第45回衆議院議員総選挙では内山が千葉県第7区の小選挙区候補として公認されることが内定した。太田は他の選挙区に国替えを求められたが、2008年9月、母が福島県のいわき市、祖父母が同じく会津地方出身である地縁により福島県第2区からの出馬が内定。「福島にお嫁にきました」と銘打った選挙戦を展開し、得票数131,306票を得て再選を果たした。2012年、内閣総理大臣の野田佳彦が第45回衆議院議員総選挙でのマニフェストを破棄し、公約を反故にして消費税増税などを含む社会保障・税一体改革関連法案の提出を表明した際には、法案の内容を批判した。衆議院本会議における社会保障・税一体改革関連法案の採決では、党の公約を守るため反対票を投じた。7月11日の「国民の生活が第一」結党に参加した[2]。
衆議院議員 石原 洋三郎
1973年3月22日(39歳)
福島県福島市
慶應義塾大学経済学部卒業
前職
福島市議会議員
世襲3世
曽祖父・井上孝哉(衆議院議員)
祖父・石原幹市郎(参議院議員)
父・石原健太郎(衆議院議員)
選出選挙区
福島1区
当選回数1回所属党派
(民主党(小沢グループ)→)
国民の生活が第一
党役職
福島県第1区総支部長
ウェブサイト公式サイトhttp://ishiharayouzaburou.com/
石原 洋三郎(いしはら ようざぶろう、1973年3月22日 - )は日本の政治家。衆議院議員(1期)。福島市議会議員(2期)を歴任。父石原健太郎(元衆議院議員・元参議院議員)、母石原那津子(福島市更生保護婦人会会長)の三男として、1973年3月誕生。幼少期は酪農業を営む父とともに農場で生活を送る。福島県立福島高等学校在学中には応援団に所属、生徒会の役員を歴任した。慶應義塾大学経済学部在学中は学生寮ですごす。
卒業後、株式会社明電舎勤務を経て2005年11月の福島市議会議員補欠選挙に民主党公認で立候補。46357票の大量得票で見事初当選を飾る。1年半後に行われた、平成19年福島市議会議員通常選挙においては、元県議会議員・元福島市議会副議長の伴場忠彦の後継者として認知され、福島市政史上最高点の8134票を獲得しトップ当選。
福島市議会議員2期目なかばに、党支部並びに党本部からの要請により、民主党福島県第1区総支部長を受ける。2009年、第45回衆議院議員総選挙にて福島1区より出馬、亀岡偉民を破り初当選。民主党は世襲政治家の問題点から、2009年衆院選を前に3親等以内の親族の政治家が選挙区から連続して立候補することを禁止しており、石原は父の石原健太郎と選挙区が同一であるが、2003年の父引退から6年間の空白期間があるため民主党候補として立候補できた。なお、2003年衆院選と2005年衆院選は兄の石原信市郎が民主党候補として擁立(2回とも落選)しているため、民主党(及び前身の自由党)は2000年衆院選、2003年衆院選、2005年衆院選、2009年衆院選と4回連続で石原一族を政党公認候補として擁立し続けていることになる。
現在農林水産委員会所属。
2011年6月2日に行われた内閣不信任案決議には小沢氏と同様に欠席した。2012年、内閣総理大臣の野田佳彦が第45回衆議院議員総選挙でのマニフェストを破棄し、公約を反故にして消費税増税などを含む社会保障・税一体改革関連法案の提出を表明した際には、法案の内容を批判した。衆議院本会議における社会保障・税一体改革関連法案の採決では、党の公約を守るため反対票を投じた。7月11日の国民の生活が第一結党に参加した[2]。
略歴
福島市立荒井小学校卒業
福島市立西信中学校卒業
福島県立福島高等学校卒業
慶應義塾大学経済学部卒業
株式会社明電舎
福島市議会議員
民主党福島県第1区総支部総支部長
選挙歴
2005年11月 - 福島市議会議員補欠選挙 46357票 トップ当選
2007年4月 - 福島市議会議員通常選挙 8134票 トップ当選
2009年8月 - 第45回衆議院議員総選挙 156060票 当選
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