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日本では依然として親米主義者が大きな力を持っている。右翼や保守を自任する人間の多くも親米なのだから、その根は深い。
しかし、最も警戒すべきは、反米のフリをした親米主義者である。アメリカを批判しながらアメリカに擦り寄る人間ほど、タチの悪いものはない。
また、日本が戦後から親米になったというのは誤りである。日本は戦前より親米の傾向を持っていた。
いかに親米主義を超克するか、日本の未来はそこにかかっている。
『月刊日本』8月号
吉見俊哉(著)『親米と反米』の書評より
http://gekkan-nippon.com/?p=4281
今日の日本社会は親米主義者によって牛耳られている。彼らは中国の強大化を前にして、日本は早急にTPPに参加すべきだと雄弁をふるい、沖縄のオスプレイ配備拒否に対して、奴らは中国から金をもらっているに違いないと声を荒げる。彼らの主張の中核には常にアメリカへの配慮があり、それはアメリカから嫌われることに対する恐怖心の表れでもある。
日本はいつからこれほどまでに親米主義国家へと変質してしまったのだろうか。本書によれば、その兆しは既に幕末から見られる。その当時、アメリカに漂流した人々によって「アメリカ漂流記」が著されたり、アメリカを題材とした浮世絵が描かれるなど、アメリカは「開化」の象徴として受容されていた。日本は欧化より先に米化を経験したのである(本書32頁)。
倒幕に起ちあがった志士たちもまた、アメリカの自由という観念から少なからず影響を受けていた。共和政治的なものを志向していた横井小楠や坂本龍馬、中岡慎太郎、そして「北海道共和国」を掲げて五稜郭に立てこもった榎本武揚もまた、自由の国・アメリカをモデルとして行動していた(同前)。
大正時代に入ると、日本はアメリカから一段と影響を受けるようになる。アメリカの持つ自由とデモクラシーというイメージは、多くの知識人を魅了した。「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表し、民本主義と国際平等主義を掲げた吉野作造から、国際連盟設立を提唱したアメリカのウィルソン大統領の影響を読み取ることは難しくないだろう(41頁)。
アメリカの影響は大衆文化にも及んだ。ハリウッド映画やジャズ、広告、野球など、アメリカ的生活様式は東京や大阪など大都市に住む人々の心をとらえた。もはやアメリカは異国ではなく、日本の一部だと考えられるようになっていた。
それを象徴するのが、1929年に出版された『アメリカ』という本である。そこでは「アメリカ的でない日本がどこにあるか。アメリカを離れて日本が存在するか。アメリカ的でない生活がわれわれのどこに残っているか。私は断言する、アメリカが世界であるばかりではない。今日は日本もまたアメリカのほかの何ものでもなくなった」と述べられている(46頁)。
戦後の日本が親米主義国家であり続けてきたことは言うまでもないだろう。そこでは、右翼もまた親米主義であるという特異な状況が生まれた。日本の国体を守らんとする人々を「右翼」とするならば、彼らが日本を蹂躙し支配するアメリカ側に立つことなどあり得ない。しかし、そのあり得ないはずのことが起こったのである。
その主な原因として、昭和天皇とマッカーサーの関係を挙げることができる。それは、昭和天皇とマッカーサーの会見写真に象徴されるものである。この写真を屈辱的なものだとする意見も多くあるが、これは当時、戦中期までの「御真影」と同じように崇敬されるべき対象として受け止められていた可能性が高い(77頁)。
マッカーサーの目的も、天皇を貶めることではなく、天皇を崇敬する日本国民に自分が天皇の保護者であることを示すこと、あるいは、自分にも天皇に比せられる崇高性を帯びさせることにあったと考えられる(同前)。
右翼が反米を掲げることができなかったのはそのためだ。天皇とアメリカの関係が強固な状況において反米を主張すれば、天皇を信奉しつつも天皇を批判するという自己矛盾に直面せざるを得ないからである(208頁)。
それゆえ、仮に反米を掲げたとしても、この矛盾から目を背けているのであれば、それはアメリカが日本を対等に扱ってくれないことに対する不満の表明に過ぎずない。それは単なる親米主義の裏返しである。安全圏から唱えられるアメリカへの「否」は、事の本質を隠蔽するという意味では、親米主義よりもタチが悪い。
このように、戦後の日本において、反米主義の多くは親米主義の裏返しであった。それゆえ、かつて反米主義を掲げていた人間が、晩年になってアメリカに擦り寄るようなことがあったとしても不思議ではない。それは親米主義への転向を意味するのではなく、隠されていた本質が顕わになっただけのことである。
日本における親米主義の根はあまりにも深い。しかし、親米か反米か、という地平で物事を考えている限り、この状況を打破することはできない。われわれ日本人は、親米でも反米でもない、未だかつて到達したことのない新たな地平へと踏み出さなければならない時期に来ているのである。
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