http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/116.html
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・審査員平均年齢34.55歳の怪
1回目と2回目の審査員のそれぞれの平均年齢が34.55歳と若く、くじで選んでいるとすればありえない確率である。これを説明できるのは審査員が恣意的に選ばれたということしかない。では何故若いのか。そのほうが議決を誘導し易いと考えたからである。選定くじシステムで生年月日が表示されるのは候補者の中から欠格者を排除する「候補者情報の入力」画面のみで、意図的に追加された人物の残り審査員としてこの画面で若年層が残されたものと考えられる。平均年齢34.55歳は合計380歳ということであり、どちらも若年層を選んでいれば、両方ともその合計年齢になる確率はそれ程低いわけではない。
詳細はこれ→http://wamoga.web.fc2.com/system.pdf
・審査員番号の中に特異な番号がある怪
この番号は旅費を振り込むため、会計システムに口座を登録したときに自動採番される番号であり、時間とともに番号が大きくなる。21年4群では103000〜104000番台、22年1群は111000〜112000番台、22年2群は119000番台、22年3群は130000番台である。ここに、21年1群の審査員に109801番、22年1群の審査員に117927番と群から離れた番号をもつ人物がいる。22年3群の補充員にも133566番がいたが、この人物は宣誓書の提出もなく、補充員でありながら臨時の審査員に選ばれ起訴議決、署名をしていることが分かっている。後から投入された人物は議決誘導の助っ人として投入されたものと思われる。追加選定は最初のくじ選定のように判事、検事2人の立ち合いもなく事務局長のみで行えるので容易に投入できるのである。
詳細はこれ→http://wamoga.web.fc2.com/matome.pdf
ここから先はまず小沢事件の流れを見てほしい
事件年表→http://wamoga.web.fc2.com/nenpyou.pdf
・審査員工作は9月25日、21年第4群の審査員選定から始まった
事件年表を見て少し早すぎるのではと思う人もいるかと思うが、小沢裁判で1月20日から捜査応援に行った前田元検事が「現場の検事らは裏金の話は全然出ず、難しいと考えていて、だいぶ疲弊していた」と証言していることから既に捜査はこの段階で八方塞がりの状態であった。そこに衆議院選挙で民主党が圧勝し9月16日に鳩山内閣が出来るに及んでは、告発→不起訴処分→審査申立て→強制起訴という検察審査会制度を使った裁判に持ち込む以外に方法が残されていなかった。告発の内容は何でもよく、たまたま16年の政治資金報告書に期ズレを見つけそれを実行した。
・告発は検察審査会の準備が整うのを待っていた
もう片方の審査員、22年第1群の選定が12月下旬に終わり、検察審査会議の準備が整うのは22年の2月である。これを見据えて3月24日の「西松建設事件」の大久保秘書の起訴から目だった動きをしなかった検察が市民団体を使って動き出した。
・2段構えの告発
まず、第1段として11月4日、「世論を正す会」が秘書3人を告発し、これを逮捕することで世間の目を引き付けた。第2段で1月21日、「真実を求める会」が小沢氏を告発する。小沢氏を告発しなければ検察審査会にかけられないので巧妙にそれぞれ別の市民団体を使い分け、2段構えで細工。その後、水谷建設事件を捏造リークし大々的に報道させ反小沢キャンペーンを盛り上げてから審査会の準備が整った2月4日、不起訴にした。
・スピーディな検察審査会開催の怪
2月4日の不起訴から初回審査の3月9日までわずか1月あまりというスピード開催である。不服申立て受理は2月12日で受理から審査開始までの期間が25日と(22年のそれまでの別案件4件は平均96日)飛びぬけて短く、審査補助員の選定等すべて事前準備が整っていたと思われる。
・審査補助員の選任の怪
審査補助員は検察審査会事務局で指名するものではなく、どの弁護士会(東京には弁護士会が3つある)に依頼するかを決めるだけで誰にするかは弁護士会が決めるようになっている。ここで、同じ第二東京弁護士会に所属する山下幸夫弁護士は明治大学大学院「検察・世論・冤罪V」シンポジューム(23年12月22日)で次のように証言している。「私は弁護士会で指定弁護士や審査補助員になる人を研修する立場にいた。弁護士会も依頼が来たときは、名簿の一番上に山下先生を置いていますと言っていた。しかし、小沢事件でまさに第二東京弁護士会にその依頼が来たとき、何故か米澤さんという別の弁護士が審査補助員になっていて、その人のもとで一回目の起訴相当議決が出たことを知って、非常にびっくりした。弁護士会の中で調べたり聞いたりしても理由がわからない。会長に聞いてもなぜそうなったかはわからないということだった」。
この発言から、審査補助員は明らかに意図的に選任されていることが分かる。米澤審査補助員は元検事であり、所属する麻生法律事務所40周年祝賀会(22年3月25日)には谷垣禎一、野田毅、中井洽、みのもんたらが出席し、米澤弁護士は谷垣と懇意とされている。分かりやすい選任である。それが知れ渡って、さすがに2回目は露骨に分からないように選任している。
・審査補助員による議決誘導
第2回目の吉田審査補助員は暴力団内部の共謀の成否が争点となった判例や、犯罪の実行行為者でなくても謀議に参加すれば共犯として有罪になるなどと認定した1958年の最高裁大法廷判決を審査員に示し、「暴力団や政治家という違いは考えずに、上下関係で判断して下さい」と議論を露骨に誘導したことが明らかになっている。また、米澤審査補助員についても小沢事務所と組事務所、小沢氏と秘書との関係を親分、子分の関係で審査員に説明している。
・代表選当日の9月14日かけこみ議決の怪
指示したのは香川元最高裁判事の金銭スキャンダルをもみ消し、最高裁に大きな貸しをつくった仙石官房長官だと言う意見もあるが、民主党の反小沢勢力ではないと考える。まず14日時点でサポーター投票結果(大量の小沢表が抜き取られたといわれる)で菅の勝利は分かっていたと思われ、その必要がなかったと思われること、また工作ルートがなく、せいぜい仙石官房長官が同じ全友会のメンバーとして審査補助員から情報を聞く程度の話だったと思われる。
そのような事情を知らない勢力が9月1日から始まった代表選の立会演説等での小沢人気の沸騰に慌てて、代表阻止のため急遽、工作ルートを使って動いたものと思われる。
・議決書の署名が10月4日の怪
斉藤副部長が28日、知人に「これから審査会に説明に行く」と言っていたように、もともと審査会は8回目(第1回目の審査8回を踏襲)の審査日、9月28日の議決・署名を目指していたと思われる。ところが、かけこみ議決をしてしまったために28日に議決書の検討・署名がそのまま残ってしまった。吉田弁護士が旅費の請求をその月の最終審査日に一括して提出していて、議決日の9月14日には旅費の請求をしていないことでもそれが分かる。しかし、28日に出席してみると議決メンバーの130346番が当欠したため、その作業が出来ず旅費請求書だけを提出して帰った。これが議決書の署名が10月4日までずれ込んだ理由である。
詳細はこれ→http://wamoga.web.fc2.com/sinsa.pdf
これ→http://wamoga.web.fc2.com/ryohiseikyuu.pdf
・結局、首謀者は誰か
最後に結局、首謀者は誰かという話になるが3人のメインキャストを見ればよい。指揮権発動をした森英介法務大臣、小沢氏個人を告発した山際澄夫そして議決誘導に関わった1回目の米澤敏雄審査補助員である。これを見れば誰でもその結論は一致すると思われる。
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