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小学生、中学生なら誰でも知っていること。それは主権者が国民であるということ。
即ち主権者たる国民は自らの幸福と国家の繁栄を築くために、その実現の手段として議員を置き、その議員活動の援護のために官僚を置いている。 ところが現実はこれが逆になっている。財務省が財務大臣を丸め込んで総理に仕立て上げ、その総理が主権者たる国民を泣かせているのだから国民が幸福になれず国家が繁栄しないのは至極当然の話となる。
国家として先の仕組みがうまく機能するためには、それを実現するための適任者をその都度選出し、不適任者と入れ替えるという新陳代謝が常に必要となるが、我が国ではこれを妨げる二つの理由から国家として機能不全状態に陥っているのが今日の姿である。
第一の理由は国会議員として不適任な人材をいつまでも置いておくバカ国民の責任である。たとえば野党時代にあれだけ威勢の良いことを言っていた長妻議員など厚労大臣になっても何も成し遂げられなかった。これなど民間の会社ならリストラ候補の筆頭であろう。
あるときなどはテレビで「出来なかった言い訳」を長々と宣っていたが、厚労省のトップにまで上り詰めて実現出来なかったのであれば、自らの無能ぶりを国民に詫びて潔く国会議員を辞職してもらいたいものだが、余りの居心地の良さに本人から辞職することなど期待するのは100%無理だろう。かくなる上は国民から「二度と立候補しないで下さい」とお願いするしかないのである。
従って「人の良い」我が日本国民は自らの生活苦と引換に税金を無能議員のために納め続け、尚且つ消費増税まで受け入れるという、人の良さもここまで来るとバカである。
ダメ議員が潔く辞職できる環境も必要であるが、それを阻害するのは選挙事務所である。
宣伝カーに乗って「○○をお願いします」を連呼した仲間意識があることは理解できるが、もういい加減に村社会の名残のような慣習はやめませんか? 応援団として徒党を組むのではなく個人としてもっと自由に人を選べるようにしませんか? こんな選挙事務所のようなものがある限り議員を簡単には辞めさせてくれないでしょう。そうやって何年も議員を続けたからといって今更地元への利益誘導を期待する時代でもないでしょう。
国民も選挙で選ぶだけ選んだら後は知らぬ顔で、さも自分の義務を果たしたかのように錯覚しているが、もし任期中に「役に立たない国会議員」であることが分かったら、それは自らの見る目の無さを大いに反省し、二度と選出しないようにしてもらいたい。これは全国の選挙区の責任であり、国家繁栄のための国民の結束行動である。
第二の理由は選出された議員が活動に障害となる官僚をクビ(免職の意味ではなく)に出来なければいけないのに、我が国では国家公務員法や人事院などが障壁となって官僚組織を改革することが出来ないのである。
例えば自民党政権時は議員と官僚との間に全く緊張感が存在していない。即ちお互いに居心地の良い状況を暗黙裡に認め合うという、これはもう殆ど談合のようなものである。その結果官僚が国会議員をうまく利用し、国会議員は自己保身のために国民の前では調子の良いことを抜かして選挙に勝ち抜くという状況が何十年も続いてきた。
もちろんこの腐りきった官僚組織を官僚自らが改革するわけはなく、改革できるとすれば国民が国会に送り出した議員に頼ることしかできないのである。そして2009年の政権交代はそのような期待感をもって実現したのである。
ところが政権交代を果たしたものの、野田君などは官僚組織の最も悪性腫瘍部分にあたる財務省の言いなりになって、しかも総理大臣という最高の指揮官ポストを得るに至っては、国民は何をか言わんや、呆れ果ててしまった。断っておくが野田君を総理大臣にしたのは民主党議員であって、その民主党議員を選出したのは国民である。国民は矛盾している。
国民はそのことをよく知っているくせに、政治においては「官僚を押さえ込むことの出来ない役立たずの国会議員」をごまんと抱え、歳費の大判振る舞いと文書通信交通滞在費の支給、更には公用車、と至れり尽くせりである。 何と効率の悪いことよ!
何度も言うが、要は国民がバカなのである。民間の企業ならばこれだけ役に立たない人々に高い歳費を払って大勢抱え込むなどという効率の悪さは絶対に考えられないが、幸いな事に「人の良い」おバカ国民が大多数を占める我が国ではこのような信じがたいことが起こっているのである。
それでは希望の芽は全くないかというと阿修羅諸兄ならば誰しも周知のように、官僚組織の改革を実現できるのは小沢一郎その人なのである。だから政権交代を果たした国民は何がなんでも小沢一郎を総理大臣にしなければいけなかった。 反対に既得権益を手放したくない官僚は何が何でも小沢一郎が総理大臣になることを阻止しなければいけなかった。
そのためのでっち上げが検察によって行われたが、これは国民の前に明らかになった以上、検察の敗北と言わねばなるまい。しかしだからと言って国民が勝利したわけではなく、現時点では検察の目的は達成されていると言えなくもない。従って小沢一郎総理の実現こそ国民がはじめて検察に勝利した日と言えるだろう。
果たしてその日は来るのだろうか。
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