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「日本の国防のためには、沖縄に在日米軍を置かざるを得ない」といった発想はもはや通用しない。このままオスプレイ配備を強行すれば、沖縄はますます本土から離れ、その心は中国へと近づいていくだろう。
我々は沖縄を批判するのではなく、米軍が日本にいることそのものを問題にしなければならないのである。
『月刊日本』9月号
山崎行太郎「沖縄は日本のごみ捨て場なのか」より
http://gekkan-nippon.com/?p=4245
沖縄は日本のごみ捨て場と化した
―― オスプレイ配備をめぐる問題が、今年に入ってから大きな議論を巻き起こしている。
オスプレイの危険性をめぐる問題は、6月5日に森本敏防衛大臣が、オスプレイ墜落事故の原因を明らかにしないまま、オスプレイを沖縄に配備する可能性を示唆したことによって急速に焦眉の問題となった。この問題は日本人に何を突きつけているのか。
【山崎】私は危険かどうかを含めて、オスプレイそのものには興味がない。ただしオスプレイ問題を通して見えてくるものには、大いに関心がある。それは安全保障、米軍基地、沖縄、そして差別という、わが国の国家存立の根幹にかかわる問題だからだ。これらを総合した沖縄問題を、わが国が避けて通る事はできない。
沖縄は、幕末に日本領土に編入された。大東亜戦争では軍人だけではなく民間人をも巻き込んだ「本土決戦」の戦場になった。戦後は米軍の支配下に置かれ、日本の本土からは切り離された。本土復帰後は7割以上の在日米軍を負担させられた。沖縄は日本本土と大多数の日本国民の「捨石」になった。
しかし、多くの日本人は、沖縄問題を知らないか、知らない振りをしている。あるアメリカの学者は、「沖縄は、日本のゴミ捨て場だ」と言ったが、私もそうだと思う。都合の悪いものは、遠い島に封じ込める。遠い島のことだから、本土の人間は、汚いものを見る必要も生命の危険もなく、安心して快適に暮らせるということだ。我々日本人の多くは、沖縄と沖縄県民を、意識的か無意識的かを問わず、差別してきたといえる。
オスプレイ配備そのものは、去年から始まった話だが、件の森本大臣の失言までは、特に注目されていた訳ではない。つまり森本大臣の失言が、沖縄の虎の尾を踏んだのだ。しかし彼自身は、沖縄がなぜ怒っているのか理解できないだろう。いや、森本敏という一個人を超えて、自民党、マスコミ、そして劣化した保守論壇も理解できていないだろう。この失言は、戦後日本を象徴的に示す現象であり、その問題点を露わにした契機なのだ。
日本の国是は「対米従属」と「沖縄差別」だ
―― 森本大臣の失言は、本土と沖縄にとって、どのような意味を持つのか。
【山崎】森本大臣は失言後、沖縄の理解を得られるように説明に努めると言っているが、この「沖縄の理解を求める」というものの言い方が、そもそもおかしい。沖縄の人が「はい、そうですか」と理解できるはずがないではないか。
ここで見落としてはならないのが、野田首相の発言だ。野田首相はオスプレイ配備に関して、「配備自体はアメリカの方針だ。どうしろ、こうしろという話ではない」と述べ、日本政府として拒否することはできないという認識を示している。
この時点で既に彼らは聞く耳を持っていないことがわかる。オスプレイ配備は既に結論として出ているではないか。にも関らず、森本大臣は配備に理解を求めると言うのだが、実際に沖縄の理解が得られなかったらどうするのか。結局は強制的に配備するのだろう。
日本政府は沖縄の声は全く聞かずに、沖縄の人々に納得しろと言っているのだ。これは不誠実極まりないことであり、当然のことながら、沖縄の人々はこの点にこそ怒りを抱いている。
だがこのような無礼を働きながら、野田首相や森本大臣は、沖縄に対する「痛み」を感じるどころか、沖縄の人々が何に怒っているのか理解できていない。それは彼らの個人的資質ではなく、戦後日本を根底から決定づけている無意識的な縛りに起因する。それこそは、日米安保は絶対であり、そのためには沖縄は捨石にしても構わないという無意識的認識なのだ。すなわち「対米従属」と「沖縄差別」は戦後日本の国是だということだ。
東京や大阪の近郊に巨大な米軍基地が置かれ、さらにオスプレイが導入されるとしたら、どうだろうか。野田首相や森本大臣は「理解を求める」などと言っていられるだろうか。
―― 「対米従属」と「沖縄差別」が戦後日本の常識だった。確かに、マスコミはオスプレイが岩国基地へ揚陸された時期から、すなわちオスプレイが「本土」で墜落する可能性が露呈してから、報道を過熱させている。
【山崎】これはマスコミにおける「沖縄差別」が現象化した一例だろう。いわば対岸の火事で本土には関係ないと思って悠長に構えていたら、そうではなかったと気付いて騒ぎ出したということだ。さらにマスコミの論点は、オスプレイが危険か否かに収束しているが、これはオスプレイが安全なら沖縄に配備するという意味だ。沖縄の基地問題という根源まで遡って考えるという発想はない。
また一部の保守論壇では、目を覆いたくなるほど低俗な愚論が見受けられる。「沖縄の在日米軍に対する反対運動は、沖縄の『ワガママ』に過ぎない。沖縄の地政学的な意義からすれば、国防のために在日米軍を置くことは仕方のないことなのだから、沖縄は日本のために黙って承服しなければならない」――このような類の言説がそうだ。
特に「沖縄の地政学的意義」を振りかざす輩が多いが、彼らは「本土の地政学的意義」をすっかり見落としている。日本がアメリカの不沈空母であり続ける限り、日本全土に均一に米軍基地が偏在してしかるべきだった。ところがそうした本土が耐えるべき負担を、沖縄に集中して引き受けさせたという歴史的経緯を無視している。
そこには、「我々は米軍を引き受けさせられた」という屈辱の想いはない。米軍に押し付けられたものを沖縄に放り投げたという意識であり、それは「我々」と「沖縄」を分離する思考、差別の思考だ。
確かに現実的な状況を勘案すれば、沖縄にある程度の負担がかかることは、仕方のないことかもしれない。しかしその負担が差別の帰結であれば、それは国防上の危機を克服しようとした結果、逆説的にさらに重大な国家統合の危機、すなわち沖縄の分離独立という運動を引き起こさざるを得ない。そうなると結局は、日本は自らをより危機的な状況に追い込むことになる。
昔から沖縄には独立論がある。日本のインテリは、居酒屋独立論などと冷笑しているが、私は、このまま沖縄差別と沖縄米軍基地存続が続くならば、いずれ、沖縄の人々による「沖縄独立論」が現実味を帯びてくると思う。そうなれば、日本は、尖閣問題どころではない。まさに国家分裂の悲劇が待ち構えているはずだ。(以下略)
月刊日本HP
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