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2012年8月24日 (金)
「領土紛争はアメリカが仕掛けた」
巻頭で「北方四島・竹島・尖閣諸島」を特集した『月刊日本』2012年9月号が発刊された。
冒頭に、
『領土紛争はアメリカが仕掛けた』
と題する論文が掲載された。著者は菅沼光弘氏である。
菅沼光弘氏は元公安調査庁第二部長で、現在は精力的に文筆活動を展開されている。
最近では『この国の不都合な真実−日本はなぜここまで劣化したのか?』(徳間書店)などを発表されている。
孫崎亨氏の『戦後史の正体』(創文社)同様に、戦後日本の実相を鮮明に抉り出されている。
この菅沼氏に対するインタビューを『月刊日本』の中村友哉氏がとりまとめたものである。
以下に記事冒頭に記された巻頭文を紹介させていただく。
「昭和20年9月2日、我が国は東京湾に浮かぶミズーリ号上で降伏文書に調印した。
その後、我が国を隷属下においたGHQは、日本の国体を破壊し、徹底して国家改造を行った東京裁判で国民に自虐史観を植え付け、日本国憲法で無防備丸腰国家に、安保条約で対米従属を決定的にした。以来半世紀余、独立国としての矜持すら失った日本は、荒れ狂う国際政治の荒波に翻弄され続けている。
67年前の敗戦は、我が国に何をもたらしたか。現在、私たちが直面している北方領土・竹島・尖閣列島の領土問題、沖縄問題などの安全保障問題、さらに皇室存亡の危機など、我が国が抱える問題は全て、大東亜戦争の敗戦に端を発しているのである。」
私のイデオロギーとしての立脚点は菅沼氏の立脚点とは異なる。したがって、私と菅沼氏の主張は無論同一ではない。
しかし、戦後日本の真相、深層、実相を洞察し、真実を知るうえで、私たちは菅沼氏の指摘を傾聴する必要がある。
春名幹男氏、孫崎亨氏、天木直人氏、菅沼光弘氏など、戦後日本の実相、真実を私たちに正しく伝えてくれる人々が登場していることは極めて意義深いことである。
合わせて拙著『日本の独立』(飛鳥新社)をもご参照賜りたい。
『月刊日本』ブログから、上記論文の冒頭部分を紹介させていただく。
「アメリカの傭兵と化した陸海空・三自衛隊
―― 野田総理はオスプレイの配備について、「日本側からアメリカに対してどうしろこうしろと話はできない」と語るなど、アメリカへの従属度を強めている。
菅沼 オスプレイのような装備品の配備は日米安保条約上、事前協議の対象とならず、我が国政府や地方自治体にその配備を拒否する権利はない。したがって、野田首相の言動は、当然といえば、当然だ。だが、問題は、こうした法律論や抑止力論といった「あるべき論」と、国民感情との乖離だ。
東西冷戦は終結したが、未だに国内に巨大な米軍基地が存続し、日米同盟の深化という名目で、我が国は軍事的にも、経済的にも、ますますアメリカの従属下に置かれようとしている。これは誰が考えてもおかしい。
また、ここ最近自衛隊と米軍の軍事協力も急速に進められている。日米同盟の深化などといわれているが、その実体は米軍と自衛隊の一体化だ。要するに、自衛隊は米軍の先兵となり、米兵の肩代わりもしろということだ。
もっとも、これは自衛隊設立当初からアメリカが目論んでいたことでもある。
(中略)
―― 野田政権は島嶼防衛を理由に日米同盟の強化を進めている。
菅沼 日本が領有する島嶼に対する周辺諸国の圧力が強まっているのは事実だ。北方領土交渉はプーチン政権誕生後も進展しておらず、竹島における韓国の実効支配は強化されつつあり、尖閣問題は中国の強硬な主張を前に、もはや「領土問題」であると国際社会から認知されるようになってしまった。
これらの国々を批判し、反論することは簡単だ。しかし、そうすれば、これら周辺諸国との関係はますます悪化する。これは我が国の国益にかなうことなのか、どうか。我々は、その前に、なぜこうした問題が生じたのか、まずはその原因を知らねばならない。
(中略)
アメリカは韓国の竹島領有を黙認した
―― 二国間に火種を植えつけ対立をあおり、国際政治をコントロールする。それがアメリカの常套手段だ。
菅沼 それは何も北方領土問題に限った話ではない。竹島問題も同様だ。
1952年1月18日、韓国の李承晩大統領はサンフランシスコ講和条約発効の直前に、一方的に「平和ライン」なるものを設定した。いわゆる「李承晩ライン」である。このラインの中には竹島も含まれていた。こうして、韓国は竹島の領有権を主張するようになり、その海域で漁業を営んでいた日本の漁船が、領海侵犯ということで、次々と拿捕されることまで起こった。拿捕された日本漁船は326隻、抑留された日本漁民は3904人に上る。
当時、日本は未だ占領下にあったため、韓国に対して独自に対抗手段を講じることはできなかった。また、アメリカが占領統治している以上、こうした韓国の言動に抗議し、適切な処置をとるのはアメリカの役割であったはずだ。しかし、アメリカは何ら手を打たず、李承晩の振舞いを黙認したのである。これが竹島問題の始まりである。
朴正煕大統領の時代に、日韓国交正常化交渉が行われ、竹島問題解決のチャンスがあった。実際、朴大統領は、「両国友好のために、あんな島など沈めてしまえ」とまで述べていたと言われている。
しかし、李承晩ラインは日韓漁業交渉の枠組みの中で解消されたが、領土問題としての竹島問題は解決されることはなく、棚上げされることになった。この時、調印されたのが日韓基本条約である。ここにもアメリカの意向が強く働いている。
アメリカは当時、韓国の共産化を懸念し、朝鮮戦争によりボロボロになった韓国経済を立て直す必要に迫られていた。そこでアメリカは、韓国に対して資金援助を行うよう日本に働きかけたのだ。
その一方で、アメリカはこれを契機に日韓関係が緊密になることを嫌った。朴正煕大統領は旧日本陸軍士官学校出身であり、日本の政財界と広い人脈を持っていた。また韓国は長い間日本の植民地下に置かれていたため、ソフト面にもハード面にも日本の影響が色濃く残っていた。そのため、日韓の国交が正常化し、日本の経済援助が行われるようになれば、政治的にも、経済的にも、韓国は再び日本の強い影響下に置かれることとなる。それはアメリカにとって好ましいことではなかった。
こうしたアメリカの思惑が、竹島問題の解決を妨げ、日韓関係に紛争の種を植え付けることになったのである。」
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